8月18日、旅行9日目、ニューヨーク4日目、メトロポリタン美術館に行きました。

 朝、7時に起きて、8時からタイムズスクエアからブロードウェイの通り沿いで、『The Food Emporium & Amish Kitchen』という食品店(別の記事でご覧ください)を見つけ入りました。美味しく食べて、セントラルパークに向けて出発です。セントラルパークにはわりとすぐ着きましたが、セントラルパークの中を通ってメトロポリタン美術館に行こうとしたのですが、これがなかなか着かない。ホテル辺りからセントラルパークまでは15分くらい、セントラルパークの南入り口からメトロポリタン美術館近くまでが40分ほど歩いたような気がします。






 セントラルパークに入るとすぐ目についたのが、地上に露出した変成岩の巨岩で、至る所にあります。以前、「マンハッタンは硬い岩盤の上にあるので、高層ビルが建てやすく、地上は超高層ビルなのに地下はあまり深くない。」という話を聞いたことがあります。これがその話の“岩盤”なんだな、これもいい物が見れたなと思いながら歩きました。

 で、セントラルパークの中ほどを東に出ると、メトロポリタン美術館に向かう大きな通りに出ました。この通りは、セントラルパークの東側を走る5thアベニューです。歩道沿いに、絵画のミニ版などを売る露天商が立ち並び、美術館に近づいていることがわかります。



 そして視界が開けると、「おー!とうとう来ました、メトロポリタン美術館!あの、あこがれの美術館が目の前に現れました。NHK eテレの『日曜美術館』など、テレビでは何度も見た、世界でも最大級の美術館に、2年前までは思いもしなかった、なんと!自分が自分の足で入り、自分の目で観ようとしています!


見上げる建物は、それ自体が美しい美術品です!正面玄関前の大階段を登って、せまーい入り口から入るとすぐに、ニューヨークでお約束の“保安検査”です。ここで、スティックタイプのペンのようになるハサミを預け、番号を書いた紙を受け取りました。
 (※この“ スティックタイプのペンのようになるハサミ”は、美術館を出るときに、番号を書いた紙を、見るからに屈強な体つきの警備スタッフさんに渡すと、スタッフさんがあれこれ探すのに見つからないようです⁈その探してくれている様子が、屈強な体たちに似合わない、慌てた、コミカルな様子だったので、おかしかったです。そのうち、応援も一人加わって探してくれるのですが見つかりません⁈これまた、二人で慌てて探す様子がコミカルで、ありがたかったです。で、わたしは、“Sorry! scissors llike a pen!”みたいに声をかけると、“Oh!OK!”みたいな感じで、“This one!”っと見つけて渡してくれました。ニューヨークのメトロポリタン美術館で見せてもらった、屈強な警備スタッフさんたちのコミカルであったかい気持ちが伝わって楽しかったです。)

 入るとすぐに、広々とした、天井も高い、大きなエントランスです。11時に入りましたが、人でいっぱいです。チケットを買うために並びます。並んでいる間に、チケットの看板を翻訳アプリで翻訳します。『30ドル』!

4,230円!まあ、世界最大級だけあって、チケットも世界最大級です!でも、ニューヨーク市民は“free”自由な“希望額”なのだそうです。それもおもしろい!ついでに、ここは私立の美術館なんだそうで、私立といっても誰か大金持ちが作ったのではなく、ニューヨークの人たちが協力して作ったそうです!さすがニューヨーカー!


 チケットを買うと、中央の大階段です!上がっていきます!すごーい!


 しばらく、歩みに任せて展示作品を観て行きますが、あまりの広さと作品の多さに圧倒されます。「これでは、今日中に終わらないぞ!何か作戦を立てなくては!」そこで考えたのは、私は19世紀末あたりから20世紀初頭にかけてのヨーロッパの絵画を中心に観ることです。わたしはその時代の芸術が好きです。エドバルト・ムンク、グスタフ・クリムト、エゴン・シーレは、NHKの日曜美術館で観て感銘を受け、高くて分厚い作品集を持っています。クールベ、ゴッホ、ルノアール、モネ、ゴヤなど、この時代の画家の作品は大好きです。なので、その時代のヨーロッパの作品のエリアを観ようということにしました!館内マップを左手に、右手にスマホを握りしめて、探して探して、鑑賞開始です!なんと!撮影OKです!撮りまくります!なんと!MET(メトロポリタン美術館)だけで、482枚も撮りました!



 最初に観たのがロダンの『考える人』です!テレビなどで何度も何度も観た、聞いた、あの傑作が目の前にあります!この感動!ぐるぐる周りを回りながら鑑賞します!おー!あんまりおーきくない、というか、小さい!もっと大きな、人よりも大きな作品と思っていました。ミケランジェロの巨大なダビデ像の印象が強いのでしょう。『考える人』は確かに体をひねっています。右肘を左膝につくって無理がある、その無理がある感が、人生の苦悩を表しているようです。そんなに下ばっか見てると気分が落ち込むよ、前を向いて、笑おうよ!と言ってあげたくなりました。

 見る作品、見る作品、すごいです!圧巻です!感動です!さらにそれが全部本物です!目の前にあります!あの名画、傑作が手を伸ばせば触れられるところにあるのです!(だめです!近づき過ぎると注意されます!)

 なんか、そこだけ特に人だかりがしてるな、なんだろう思って近づくと、ゴッホでした!




 

ゴッホの『ひまわり』、『自画像』ありました!『自画像』の周りで写真を撮りまくりました。自撮りもしました。これも小さい作品です、ゴッホは貧しかったんですよね。たしかに頬がこけて、そう思ってみると、着ているものも古ぼけた普段着です。貧しさが自然に伝わりますね。筆遣いがゴッホです。この人は、黄色とかベージュとか、そっちよりの色が好きみたい。だから、『ひまわり』は、恰好のモチーフだったでしょうね。

 ゴッホはたくさんの自画像を描いていますね。ナルチシズムもあったのでしょうし、一番にはモデルを雇うお金がなかったのでしょう。自分だったら、いくらでも描けますよね。もちろん、自分を人物画の対象にしたら、いくらでも観察してとことん極めて描けますよね。自画像を描くということは、画家にとって究極の挑戦だったでしょう、だって、いくらでもかけるだけに、オリジナリティを追究した最高の作品にしなければならないモチーフなのですから。

 ゴッホの自画像の中に耳を覆うように包帯をした自画像がありますよね。彼は牧師の子として生まれ、気性が激しく癇癪を起こすので周囲の人とのいざこざが絶えなかったようですね。多くの女性を愛し求婚しますが、その気性の激しさのためかいつも断わられ絶望したようです。伯父の下で画商会社の社員をしたり聖職者を目指したりしますがうまくはいかなかったようですね。弟テオに仕送りをもらったり同居したりと支援してもらいましたが、彼とも喧嘩が絶えず、ゴッホには穏やかな日々はなかったようですね。ゴーギャンと6ヶ月同居しましたが、画風が合わず、ゴッホが描いた自画像の耳の形がおかしいと指摘されて逆上し、自分で耳を切り落としたそうで、あまりにも激しい気性がゴッホ自身をも心身共に傷つけています。そんな彼の人生が彼の絵の一筆一筆に表れているようで、彼の小さな自画像の前で立ち続けました。

 



 モネの『水蓮』、ありました!これは大きい!超大作です!ゴッホとは大違い!キャンバスも絵の具もお金がかかっています!よくこれだけの大きさに、ぼんやりと焦点が合わない、どこが中心とかのない、取り留めのない絵を描きましたね、モネは!それがすごいところなんでしょうね!このぼんやり感は、ルノアールとかロートレックなどの印象派の特徴でしょうか。つまり、事象から受けた“印象”を大事にして、細部にはこだわらず、伝えたい印象をいかに伝えるかを重視して描いている、というようなことなのでしょうか。装飾品の細部まで描写したり、木々のは一枚一枚まで描くとかとは、根本的に描き方が違うのですね。


 ありました!クリムト!少女の全身像です。白いやわらかなふわふわの素材の膝下までのワンピースを着て、手を腰に、脚を開いて立つ様は、少女の溢れる生命感から来る自信の表れのようです。周りの地面の花やバックの紫など、クリムトの絵は華やかで官能的です。クリムトの場合、この花のようなものが女性を象徴する記号だそうですね、わたしが持っているクリムトの分厚い画集に解説がありました。そしてそこに男性の象徴の記号も散りばめてるそうでね。彼の描いた『ダナエ』(METにはありません。)では、ダナエの両脚の間に黄金の雨となって迫るゼウスの先端に男性の記号が描かれています。絵のモチーフも絵自体も官能的な上に、この記号を用いた性的な表現が、クリムトのエロチシズムをさらに重ねて描いていますね。


 ジュール・バスティアン=ルパージュの『ジャンヌ・ダルク』がすごかったです。2メートル×2メートルの大作で、農家の庭先に立つ、農民の質素な服を着た娘を描いていますが、聖ミカエルがジャンヌ・ダルクに降りてきた瞬間だそうです。超写実であり、娘のポーズと表情に、ミカエルたちの降臨の驚きや戸惑い、そして決意のようなものも感じられます。左手に何か持っていますね、なんでしょう?あらっ!後ろにいますよ、ミカエルたちが!


 あと、ウィリアム・ブーゲルコーの『若い母親と子供』は、愛媛の県立美術館の展覧会に来てました。子どもの顔をのぞき込む若い母親のやさしいまなざしと対照的に、大きく目を見開いた子ども、三、四歳のようですが、衣服を一切着ていないところが、純粋無垢を感じます。それでいながら聡明そうな表情に、知性や未来への可能性、希望も感じます。全体的に暗い中に、子どものやわらかい色合いの肌の明るさが、子どもの存在感を主張しています。母親の衣服のやわらかさや白も母親の若さや優しさ、誠実さ、純潔を感じます。それとは対照的に、子どもを座らせている敷物のような布は、朱の大きな大きな花を二輪あしらった伝統的な図柄が華やかでもあり、強いアクセントになっています。この作品とは別に、若い母親が子どもを抱いている、他ほぼ同じ構図の作品がいくつもありました。聖母マリアとキリストの聖母子像と重なっていますね。このモチーフは人の愛情の原点となる母子の愛情を感じますね、永遠の題材ですね、この絵も傑作です。




 アレクサンドル・カバネルの『ビーナスの誕生』です。この美しさはなんなのでしょうね。アレクサンドル・カバネルは誕生したばかりのビーナスを横たわらせています。横たわってい右脚を曲げているので太もものたっぷりとした感じがいいですね。そして体を右にひねって胸を上方に向けているので、豊かな乳房があらわになっていて、上を向いたのと右斜めを向いたのとで、それぞれ異なった表情で美しいです。体は上方にひねっているのに、顔は横向きであまり開いていない目はわたしを見ていて、何か言いたげです。誕生して間もない、まだ体を起こす力がない感じを醸し出していますが、妖艶な笑みを浮かべているようにも見え、ほんのり上気したような頬が美しいです。髪は長く豊かで、ほぼ全身が髪の上に横たわっていて、白い脇と二の腕が髪の上にあるためにその白い肌が際立っています。また、腰から左の太ももあたりが髪の暗黒の上に暗い影の部分ながら白い肌が浮かんできます。頭から上の方に流した髪が左の手首あたりに絡んでいて、これでやはり腕の白い肌が際立っています。ビーナスは海で誕生するので、海の上に横たわったいて、上半身の下には白波が立っているので、上半身を今まさに左にひねったばかりでその勢いによって海面が波立てられたようにも見え、横たわっている静的な存在感と動的な命のエネルギーを感じます。ビーナスの上を飛ぶ天使は、一人の天使はビーナスの誕生に驚き、その驚きの弾みで一人の天使ははじかれ、一人の天使はビーナスの美しさに引き寄せられ、ニ人の天使は誕生の喜びでほら貝を吹き鳴らす。横たわったビーナスの静的な存在感とは対照的に、天使には空中で飛び交う躍動感を感じます。この作品の前にずいぶん長い間いました。傑作です。


 これはジェームズ・ティソの『お茶(tea)』です。この作品のすさまじいまでの精密描写!好きです!娘が出を伸ばしている紅茶の茶器は、肉眼で見えている対象をミリ単位で細かく描写しています。茶器の冷たく光沢のある感じとは対照的にドレスの左袖の柔らかくしなやかで、しかもつやのある高級で上質な感じが絶妙なタッチで描かれています。さらには、黒いふわふわでひらひらの、なんというものなのでしょう、この描き方はどうですか!!帽子から垂れ下がるリボンやテーブルの表面の木目の反射、また、川面に浮かぶ帆船まで、徹底的に細部までとらえて描写している、この絵こそわたしが好きな描き方です。全てが実物のまま、細部まで真実を描写する、その上で自分が描きたいテーマを重ねる。いやー!すごいですね!この描写力!



 これは、シャルル=テオドール・フルールの『1880年までにオリーブ山からのエルサレム』です。この絵を見て驚いたのは、右手前のラクダの鞍の装飾の細かさです。驚愕の描写力と言っていいでしょう。他の部分の描写も細かいですが、エルサレムを遥か遠くに臨む遠近感。放牧の柵の壁でしょうか、エルサレムからこちらに繋がってくる曲線。そして左中ほどの休んでいるキャラバン隊から、中央の槍を手にした番兵(でしょうか)からの休むラクダからの小テントからの大テントと左から右へのつながりが効果的に配置されていて、何もなさそうな風景なのに全体が見応えのある絵になっています。あ、スカイブルーから下に向かってのグラデーションもとても美しいです。これも傑作ですね!


 

(完成にはすごーくかかりそうなので、執筆途中ですがアップします。)





 昼食に食べたサンドイッチです。ローストビーフサンドです。とっても量が多くて食べきれなかったので、半分をそのまま包んでミネラルウォーターとバッグに入れて、後半戦に出発です。




 ホールをぐるっと回る2階テラスに展示していました。まあ見事な装飾、そして藍色がとても美しいです。


 これは刀剣や武具の展示エリアです。



 11時に入館して、昼食は30分食べて、さらに午後5時まで、結局、6時間をメトロポリタン美術館で過ごしました。観ることができたのは、3エリアだけでしたが、十分堪能しました。すごかったです!メトロポリタン美術館!(拍手)