これは、起床から出発当時の松山空港、ANAで羽田空港まで、羽田空港からリムジンバスで成田空港まで、そして成田空港でANA・United便に搭乗して日本を出る、その途中、途中で予備に持っていたAndroidに打ち込んでいた文章です。“臨場感あふれる”というのはまさにこの文章のことで、その時に書いていますから“臨場”しています。大きな期待と大きな不安の入り混じったどきどきの心境で書いています。では‥‥‥

 なんというか、アメリカ合衆国、さらにニューヨークに13日間も旅行するということに、大きな喜びを感じます。。「自分は、アメリカに13日間も行くんだ。」という誇らしさ。1月から今日まで、様々な準備をやり遂げてきたという達成感、などすべての感情が大きな喜びにつながっているということです。

 2023.8.10、朝、4:00起床。まあ、よく眠れました。いつもならいやいや起きるのに、今日は、わりとすっきり起きれました。

 トイレがなかなかでした。6時にやっとでしたが、なんとか上手くいきました。昨日、朝から、肉じゃがとか食べて繊維質をたくさんとりましたが、水分はそういえば、少なかったかもしれません。次はうまくやるぞ!

 6時半に家を出ました。家内は、スーツケースを積むために、早く車を出して待ってくれました。道々、どこへ行くとか、長女の大学はどうとか話しながら、家内ははうなずいていました。

 松山空港に着くと、カウンターで、「国際線に搭乗されますか?」と言われて、ドヤ顔にになりました。マイレージカードのこともちゃんと言えました。

 長女に「アメリカにお土産買ってきて、大学の先生に、お世話になっているお礼にあげるから。」と頼まれた土産を買おうとしたら、抹茶の母恵夢は期間限定で売ってなかったので、長女にLINEで聞こうとして、 iPhoneがまだつながっていないことがわかりました。T-MobileのSIMカードに入れ替えてしまっていたので、当然つながりません。空港のWi-Fiを繋ごうとしましたが、設定がパスワードを入れる画面ではなかったのです。しばらく何回もWi-Fiをつなぎ直したりしていましたが、結局SSIDを入れないのにつながっていました、よかった!長女とやりとりして、せとかの母恵夢にしようということになりました。T-mobileの電話番号は、アメリカに着いたら、ショートメッセージで届くと長女に教えてもらいました。

 保安検査場を通って、搭乗待合室に入ったのは、7:40ごろで、出発は9:25⇒9:40に遅延なので、2時間もあります。で、旅行記を書き始めました。バッテリーは、今、63%。松山空港では、7ごろはすいていたのに、徐々に混み始めてきました。台風が接近して九州東側を通過しています。前日の便は軒並み欠航でした。私が乗る便を運行するか欠航するか、もし欠航したら、今までの苦労が水の泡になります、日本を出てもいない!愛媛さえ出ていないのに!おー!よかった!運行されるみたいです。そうとうほっとして待合所で座ってこのエッセイを打ち始めました。





 搭乗したら、機体左側の窓側の席で、隣は空席。この便自体がすいています。台風の影響でしょうか。離陸するやいなや、猛烈に揺れ始めました。窓から見える主翼の先の3分の1ほどが、まさに「ペラペラ」と柔らかくしなっています。あんなにしなって大丈夫かと心配になるくらいはしなっていますが、しなることで破断を防いでいるのでしょう、と気を静めます。雲の上に出ると、揺れはうそのように収まりました。台風の雲を斜め上方から眺めているわけで、下方には入道雲のように白く輝くいくつもの雲の塊が激しく湧き上がるようで、また、遠方には、『天空の城ラピュタ』の『龍の巣』を平たくしたような、大きな大きな雲の塊が見え、あれがきっと台風の雲の中心でしょう、こういう光景は、もちろん初めて見ました。感動しました。中国地方、近畿地方と飛び進んで行くにつれ、ぶくぶくと沸き立つような雲が視界の下一面に広がって、徐々に湧き上がる塊が小さくなっていきます。





 東海を横目に、関東が近づいて来ると、富士山が見えるのではと気になって、窓の外を探し続けます。すると、翼の上に小さく見え始めました。やや荒れ気味の雲の上に小さく黒く富士山が見えました。この黒は、以前、双海町辺りからはるか沖に自衛艦が浮かんでいたのを見たときのあの黒でした。本来は自衛艦色、つまりグレーが、周囲に光を吸い取られたように黒く、そこだけが落ち込んで見えるような黒です。

 雲の上に小さく見える富士山は、徐々に徐々に大きくなり、翼の下に見え始めると、先程の黒ではなく黒っぽい灰色に変わり、斜面の凹凸も見えているようでした。まだ、日本も出ていないこんなところで、もう充分感動しています。

 機長のアナウンスが入り、出発時の15分の遅れを取り戻してくれるらしいです。そんなことができるの?すごーっ!と感心し、着陸して、「◯◯分早く到着しました。」と、機長がアナウンスしたら、拍手をしようかと考えていたのに、アナウンスはありませんでした。

 到着したら荷物受け取り所で待つのに、なかなか始まりません。1110分に到着し、1140分にリムジンバスが出るという、なかなかシビアな予定なのに、30分になっても始まりません。ここは、第2ゲートで、エントランスのガラス越しにリムジンバスが見えています。これに乗れないとタクシーで行くことになるのかな。焦りました。やっと動き始めましたが、私のステッカーだらけのスーツケースが出て来ません。35分にやっと出てきたスーツケースを掴んで、大急ぎでバス停に向かうと、東南アジア系の係の人が、「あなたのバスは12時10分に着く。まだ早い。」と笑顔で教えてくれました。チケットにはしっかり『12時10分』とあるのに、頭の中でいつの間にそれが『11時40分』に変わってしまったのでした。慌てていた精神状態だったので、混乱したのでしょう。まあ、結果オーライです。

 30分も余裕があったので、すぐ目の前にあるタリーズコーヒーで、特厚ハムサンドとハムチーズサンドとアイスコーヒーを買いました。またバス停に戻ると、とても暑いです。暑い暑いと思いながら、かなり待ってリムジンバスに乗り込みました。「よし!これで成田までは行けるぞ!またミッション、クリア!」っとほっとしました。すぐにサンドイッチを2つとも食べました。格別の美味しさです。

 松山空港からAndroidのスマホの文字打ちができません(と書いていますが、今読んでもまったく思い出せません、ではこのエッセイはどうやって打ったのでしょうか)。iPhoneWi-FiがつながらないからLINEもできません。電話も海外SIMカード(T-Mobile)にすでに変えていたのでかけられません。(これは、いつ替えるかすっごく悩みました。デンバー空港に着いてそんな余裕がないかもしれない、実際たっぷりありました、飛行機の中で替えてて、跳ねて落としたらすごく面倒なことになりそう、これはそうでした、なので悩んだ末に、家で変えておくことにしたのです。早過ぎました、デンバー空港でもよかったかな。)旅程はまあなんとか順調なのに、スマホは課題山積です。



 リムジンバスがいよいよ成田空港に着きました。飛行機に乗りさえすれば一安心ですが、そこまでが“出国”という、まったく未経験の多難な道のりです。第1ターミナルのエントランスに入ると、さすがに巨大国際空港、果てしなく広いし、すさまじい人の多さに面食らいました。外国人もすごく多いです。日本人よりも多いかも。まず、搭乗手続きカウンターに長蛇の列。eチケットとパスポートを見せ、スーツケースを預かってもらい、出国審査へ。ここもパスポートを見せて、荷物を開けたりもせずクリア。次に保安検査、大きいバッグ、ショルダーバッグ2個、スマホは2つを出して、これも問題なく通過。いよいよ搭乗ゲートです。と、途中に換金所があります。「円をドルに換えられますか。」と聞くと、「換えられますよ、いくらですか?」と聞くので、「2万円を1$札にできるだけ。」と言うと、「136枚にもなりますよ、チップですか?」と言うので、「50ドル札も10ドル札もあるので、あとは、1ドル札にできるだけたくさん換金しておきたいんです。向こうで換金するのも両替するのも難しそうなので。」と答えました。たくさんは換金させたくなさそうに感じたので、たくさん換金すると換金所の保管枚数が少なくなるので、させたくないのかなと思いました。100枚は帯封をした札束でした、かっこいい!帯風した札束持ったの初めてです。財布が分厚くなってしまいました。すごっ!

 いよいよ搭乗です、とうとうここまで来ました、ここまでもミッション、クリアです!この飛行機に乗ったらこっちのもの、前から乗ってビジネスクラスの個室のような座席(あれいいわあ、ゆったり、まあ、隣の人とは仲良くなれなさそうですけどね)を通り抜け、プレミアムエコノミークラスに行きました。前に来ていた中国系っぽい二人の女性が、連れなのに席が埋まっていたからか、離れた席になっているので席を替わってほしいまいうので、替わってあげました。「じゃあ、どんな人が私の隣の席に来るのだろう?」と期待とちょっぴり心配な気持ちで待っていたら、30代ぐらいのすごく美人の女性でした。うれしくもあり、気まずかったら、10時間がしんどいなと思いました。2,30分は、無言のままでした、まあ、このままずっと行くのかなと思いました。先が奥だからトイレに立ちにくいだろうと思って、「席を立ちたかったら、いつでも遠慮せず言ってください。眠っているときでも言ってくれてかまいません。」と、Google翻訳でその女性に見せました。それで少し話すようになりました。“サラ”(名前を聞けたのはだいぶ後ですが)という名前だそうで、自分には夫と娘がいるとか、自分はシンガポールに1ヶ月行ったとか、それは弟夫婦に会うためだとか言ってくれたりして、かなりフレンドリーに話してくれました。メキシコの人だそうで、ラテン系の白人で、目鼻立ちも大きくて髪は金髪でスタイルもよさそうで、チラ見ですが、見れば見るほどすごくきれいな人です。で、『シンガポールと言えばマーライオン』は思い出したのでそう言ったら、シンガポールの写真をいろいろ見せてくれて、それについて話してくれて楽しいです。話してと言っても

、「わーお!」とか「beautiful!」が多かったですが、時々、貧弱な英語力をフル回転させて、自分としてはわりといい感じに楽しく話せていると思います。まあ、スマホの翻訳アプリも使いました。サラさんはスペインがなので、スペイン語のサラさんと日本語の私が英語で話すという、おもしろい、むずかしい会話です。それでも、とても楽しいです。話せるものですね。

 弟さんのお嫁さんは広島の人だとか、サラさんは美容医師で法医学者だとかで、日本の検死官のような仕事もしているそうで、顔にヒアルロン酸注射をしたり、遺体を調べたり、頭蓋骨を調べたりしている写真を見せてくれた。「自分は、美と死に関わっている。」と言っていました。








 夕食が配られてからも話し続けていたので、
CAさんが食器を取りに来ても、食事は全然進んでなくて、CAさんに、「Sorry!sorry!」と謝ったら、“全然いいんですよ”みたいな感じで言ってくれました。この夕食で赤ワインを頼んだら、自分の半袖の服のおなかのあたりに少し、いえ、まあまあこぼしたのがカッコ悪かったです。拭いても赤ワインの赤って取れませんね。

 と、ここで“リアルタイムエッセイ”は終わっています。なんでやめたのでしょう、打ってる場合じゃない、その状況を楽しもうと思ったような気がします。とにかくユナイテッド便に乗れました。ここまででも、すごい波瀾万丈のミッションでしたが、なんとかクリアしています。これからあと、まだまだ12日間の数々のハードなミッションが待ち受けています。どうなることやら‥‥。