人は大人になるとある程度の保守化を受け入れざるを得ない。それは庵野秀明とて例外ではない。宇部興産に就職する道を断ち、地元を捨て、上京して、アニメーターとして子供を持たずに働いていても保守化は受け入れざるを得ない。そうでなければ、後進やのちの世代に何を残せるだろうか。
第三村は反出生的な、妊娠出産養育から逃げてきた庵野秀明のこれまでの作品に真っ向から反対する。あの村の人たちは当然のように異性と結婚し、子供を産み育てる。ケンスケは独身で、子供こそいないけど、インフラ整備などの「保守」をしたり村の割り当てに従って魚を獲っている。既存の枠組みを利用した革新的な戦闘行為に明け暮れるだけで人生は終われない。昔からの視聴者は、おそらくランボーのように「何も終わっちゃいません! 何もです! あの戦争は続いている! 俺にとっちゃ今でも!」と叫びたくなっただろう。しかし、いつか戦争は終わる。エヴァが終わるように。
ヴィレのミサトは我が子を捨て、第二の息子であるシンジを再び死地に赴かせる。二人の息子のために命を投げ出すことしかできないと槍を運ぶ。
ネルフのゲンドウは我が子を捨てたが、シンジを愛していることを自覚して、ユイと繋がる唯一の方法はシンジと触れ合うことだとようやく気づく。
機能不全家庭で育った親たちも、不器用ながらも自分なりに親としての道を見出した。
そして、「母親が言うと説得力あるわね」のセリフから子供を持たないと推測されるリツコは、ミサトに人類の未来を託される。子育ては、子供がいなくてもできるのだ。より良い未来を紡ぐことこそ、子育てなのだから。
ラストに映る宇部興産は、良心的なかつての自民党のような「確かな技術で未来を開く」会社であり。保守の役割は、まさに社会を「保守(maintenance )」していくことである。コンクリートの畦は日本住血病から農民を救い、コンクリートの家やマンションは人類を暑さ寒さから解放した。第三村でインフラを整備するケンスケ、整備部に所属し技術部門ならなんでもやるマヤ、宇部興業に就職したシンジ、未来を託されたリツコも科学の人である。彼女たちに庵野秀明が託した未来は、今よりずっと明るく、人間による人間のための未来となるだろう。