最近の政治を見ていると、これほどまでに魂のキレイさがわかりやすく出るものもないなと感じている。

自分や自分の側の利権のようなものを守っていこうとする人と、社会とか教育とかを改革してよくしていこうとする人に分かれているように思える。

 

これはきっといつの時代もそうだったのだろうと思う。

歴史を見ると、最初は前者が多数派で後者は少数派である。

しかし、やがて大衆が前者の政治に辟易としてくる時が来る。

きっと今がそういう時期なのかもしれない。

 

例えば、泉房穂さんや石丸伸二さんのような人が日本のトップになったらどうだろうか。

彼らの共通点は、魂がキレイなことである。

要するに、 自分個人のことや利権や組織に忖度することよりも、自分のやっている政治が社会や人々のためになっているかどうかの方がはるかに大事な人達なのである。

 

例えば政治の世界には 清濁合わせ飲む という言葉があるが、そんな言葉も思想も彼らには無いのである。

無いのだから、例えば金銭や名誉や地位を与えても、それを喜んで受け取るような人たちではない、ということである。

 

では、みなさんはどうだろうか。

下世話な話で恐縮であるが、金銭や名誉や地位を与えられたら、魂を売ってしまうなどということは絶対に無いと言い切れるだろうか。

例えば、目の前に1億円積まれて、心が微動だにしない人がいるだろうか。

1億円で多すぎるなら、1000万でも100万でもいい。

もし1億円で少ないのなら10億円でもいい。

ぜひ自問自答して頂きたい。

金額はいくらでも良いのだ。

仮に1000億円でも同じである。

 

これは金額のダカではないのである。

魂の問題だからだ。

これによって自分という人間がいかに誘惑に弱いかがわかるのである。

 

石丸伸二さんはまだこれからのところもあるが、泉房穂さんは政治の世界に出てきた救世主であると私は思っている。

彼は誘惑に負けない強さを持っている。

人によって態度を変えることがない、正直者である。

魂が洗われてキレイなのである。

 

そうするとマスコミは、数十年前の昔のことを持ち出してスキャンダルだと言ってくる可能性がある。

魂がこの地上に生まれてきたのは、脆弱な魂が打たれて焼かれて強くなるためである。

そのためにそれぞれの魂の前には苦難や困難という形で様々な辛苦が置かれるのである。

それを打破するためには人間は多少の無茶をするものである。

そういう昔のスキャンダルとも言えることが、キレイな魂の人間を作るために必要だったとも言えるのである。

従って、昔のスキャンダルを持ち出すのはナンセンスである、と私は思っている。

ただし、生命に関わることは別である。生命に時効はない。

 

私が泉房穂さんを応援しているのは、彼はそういうキレイな魂の持ち主だと思っているからである。

彼は組織を持たない、まさに一匹オオカミである。

なぜ組織を持たないのか、組織は大勢の人の集まりである。

人が大勢集まれば、そこには必ず拝金(お金を欲しがる)、拝名(地位名誉を欲しがる)、そして排他(他を排除する)という行為が生まれるからである。

 

政治も宗教も、あるいはどの法人も五十歩百歩であるし、法律はある意味そういう行為を擁護しているとも言える。

彼はそのことをよく知っている、だから組織を持たない、作らないということを徹底しているのだ、私はそう思っている。

 

組織を持てばわかるが、なんと法律の生ぬるいことか。

正直を通そうとすると、法律がグレイ色(信号で言えば黄色)なのが分かってくる。

魂がキレイということは、正直だということである。

 

私は彼のようなキレイな魂の持ち主に政治を託したいと思っている。

だが、果たして国民はそこまでキレイな政治を望んでいるのだろうか、とも思っている。

 

誰でも自分や自分の家族は守りたい、そして自分が所属する組織も守りたい、そう思っているのではないだろうか。

組織が少し魂が汚れるようなことを押し付けてきた時に、組織を飛び出す勇気、もっと言ったら、覚悟のようなものがみなさんに果たしてあるだろうか。

 

ある意味社会からはみ出したように見える、そういう一匹オオカミ的な魂のキレイな人たちが、これからのより良い社会を作っていくに違いない、私はそう思っている