マザーテレサはダージリンに行く列車の中で神の声を聞いたと言います。
それは単身インドに行って貧しい病気の人を救うという、考えられないほどハードルの高い内容でした。
しかも当然無報酬です。
普通はこのような高尚な誘いはきません。
ほとんどは逆の誘惑ですよね。
例えば性的な誘惑とか、金銭的な誘惑とか、飲酒などの誘惑とか、
そういう甘い誘惑は誰にでもくると思います。
ですから私たちは本物の神の声とニセモノの神の声を聞き分ける能力を持つ必要があるということでしょう。
能力というか、霊性ですね。
おおよそですが、ホンモノは厳しく、ニセモノは甘いです。
ニセモノは自分が寄せ付けなくなってくると来なくなってきます。
しかし、ちょっと油断すると、すぐにやって来ます。
それが霊魂というものです。
人間も霊界にいる霊魂も、本質は同じ霊魂なのです。
でもマザーテレサに来たような厳しい誘いは普通は来ないと思います。
それは霊性の選択の範囲がそんなに広くないからです。
霊性が向上すれば選択の範囲は広がります。
ところでみなさん、神の声ってどんなふうに聞こえると思いますか?
命令形でしょうか、それとも暗示のようなものでしょうか?
私は思います。
本物の神の声は決して命令調ではないと思います。
ではどのように聞こえるのか?
私はヒントはイエスの「神のみ国は自分の中にある」という言葉にあると思います。
つまり、これは選択が出来るまでに霊性が向上した人の心に響く「自問自答である」と思うのです。
なぜ私がそう思うのか?
それは私も全く同じような体験をしているからです。
それをこれから記します。
私は食べ物も飲み物も、ほとんど好き嫌いがありません。
ただお酒だけは若い頃からどうしても好きになれずにいます。
若い時から肉も魚も鳥も卵も乳製品もラーメンも、とにかく好き嫌いがありませんでした。
その私が、今から7年ほど前に突然自分で自問を始めたのです。
もしかしたらこれが神の声と言えるのかもしれませんが、私には自分が自分に対して質問をしている感が強かったです。
13年前に私の霊能力が顕現して、それから2〜3年して霊性が開かれて、それからまた2〜3年して、今度は生命のことが分かってきたのです。
シルバーバーチの霊訓には「生命とは霊のことである」と書かれてはいますが、それが魂レベルで分かるようになってきたのです。
自分という魂は、いろいろな身体に宿って成長をしてきたことが分かってきたのです。
それは虫にはじまって、魚、鳥、そして動物へと変遷して魂が進化してきたことが分かったのです。
そうすると、自分が宿っていた身体を殺生してその抜け殻を食べるなどということができなくなったのです。
つまり肉や魚がまず食べれなくなったのです。
続いて卵と乳製品、そして小麦とカフェインも食べたくなくなったのです。
この時に私の中で神の声、というか自問の声が聞こえました。
「さあ、肉体に良いものではなく、霊にとって良いものを取るように」と。
そして私は自分の声に対して、「なぜ私がそのようなことをしなければならないのか」と答えというか質問をしていました。
そして自分に対して「だってあなた以外の誰がこんな大変なことができるのか?」という答えともつかない答えを返していました。
「ああ、確かにこんな大変なこと、自分しかやる人はいないだろう」私はそう思いました。
まあ、マザーテレサに比べたら、なんと小さなことと思うかもしれませんが、私の魂にとってはかなり高いハードルだったと思います。
ただ自分で思うのは、この食べないということに対して、嫌だとかひどいとか、そういう思いは全くなかったです。
むしろマザーと同じく、使命感のようなものを感じていました。
つまり嫌々義務感のようにするのではなく、どちらかというと、そうしないと気が済まない、という気持ちが強かったと思います。
それは霊性が開かれてから、霊的な摂理の一つ一つを自分の人生を実験台として、仮説を立てて検証するということをやってきていたからだと思います。
動物、鳥、魚、卵、乳製品、グルテン、カフェイン、酒、を摂取しなければ、霊的に健康になり、その結果として肉体が健康になり、争いも消える、という仮説を立てて、実験を続けています。
それから7年ほど経ちますが、おかげさまで風邪とかインフルエンザとか、まったく罹らなくなりました。
ただ今年になってコロナに罹りました。
私はコロナにも罹らないと思っていましたから、結構ショックでした。
まあ少し油断していたのはあると思います。
家族が年末帰ってきて、久しぶりで全員が揃いました。
年始になって熱が出てきたので、Amazonで5個1000円のコロナ検査キットを買って調べたところ、なんと家族全員がコロナに罹っていたことが判明したのです。
あの線が2本出る検査キットです。
でもこの時私は思いました、「なんて我が家は仲が良いのだろう」と。
ネガティヴではなく、ポジティブ思考、それが私という人間です。
治るのに1週間かかりました。
インフルエンザの時は数時間でウィルスは去ってくれましたが、いやー、コロナは本当に強かったです。
ウィルスとして相当な進化をしていると感じました。
私はウィルスは人間に憑いている霊魂に付いてくるものだと思っています。
ただそういう霊魂を遠ざける唯一の方法は、自分の霊性を向上させることだとも思っています。
そう考えると、自分は霊性がまだまだ不完全で未熟であると痛感させられます。
私は思います。
私たちはいつも試されているのだと。
背後霊には本物とニセモノがいます。
本物は自分のことを本物とは言いませんが、ニセモノは自分のことを本物であると言います。
なんか詐欺と似ていませんか?
まさにこの地上は魂の修行の場所ですね。
だから天狗になってはいけないのです。
私たちは何かことがうまく行くとすぐに有頂天になってしまいます。
私がコロナに罹ったのも、多分そういう心の緩みがあったのだと思います。
謙虚さは霊性のバロメーターの一つです。
私は「人間万事塞翁が馬」のようなシーソーの人生は嫌です。
人生で良いことと良くないことが繰り返されるのが当たり前だとみなさん思っているかもしれませんが、そうではないのです。
私は自分の人生から「生老病死」という四苦を無くしたいのです。
自分の人生から四苦がなくなれば、きっと皆さんもそれが出来ると思っているからです。
しかし、今年になってコロナに罹ってしまいました。
まだまだ出来ていないのだと思います。
今年はさらに自分に起きることにはどんなに小さなことにも愛を込めて一つ一つのことに最善を尽くすようにしていきたいと思います。
なぜって、それが最も自分の霊性を向上させる近道だからです。
偶然は一つもないのです。
すべては必要だから起きているのです。
日常こそ修行の場なのです。
そして謙虚さを忘れないことが大事なのです。