私は13年ほど前に魂が打たれて目覚めました。

五感の延長線上の霊能力が目を覚ましたのです。

それでとにかく知識を得たいと思い本を読み漁りました。

 

「霊」に関する知識です。

「霊」という文字を見つけては本をネットで買い漁り読みました。

 

そして「シルバーバーチ読書会」を見つけて、行ってみようと思ったのです。

 

1軒目の読書会は、何かやる気のなさそうな会でしたので途中で退席しました。

 

2軒目の読書会は、「シルバーバーチは語る」という書籍を全員が輪読していくやり方でした。

輪読が終わって主催者の方が「質問のある方?」と言われたので、私は「霊について聞きたいことがあります」と質問を続けようとしたところ、「霊のことは聞かないように」と言われてしまいました。

私はさらに、「ここは霊のことを勉強する場所ではないのですか?」と聞きますと、「ここはそういう場所ではありません」と言われたので、そのまま私は退席をしました。

 

シルバーバーチの本は霊のことが書かれている書籍ですから、「霊のことを話さないで何を話すのだろう」とは思いましたが、何かの組織のフランチャイジーみたいなところでしたので、それ以上は何も言わずに退席をしました。

 

3件目は、結構霊的な話ができる読書会でした。

4回目の時に、主催者の人と話している時に、その方の背後に忙しなく動く霧状の白っぽいフワフワと浮かんでいるものを見つけました。

私がそのフワフワとした物体を見ていますと、主催者の人が「なぜ私を見ているのか?」と聞いてきました。

私は本当に驚きました。

と言いますのも、私は浮かんでいるフワフワとした物体を見ていただけで、その主催者を見ていたわけではなかったからです。

 

ただ、この時は私の魂が目覚めて霊能力が出たばかりの時でしたので、何が何だかわかりませんでした。

 

この時以来、読書会には行っていません。

 

それ以来、私は霊に関する勉強をしてきました。

そしてさまざまな体験もしました。

 

今言えることは、2軒目の読書会では主催者を含め霊的に目覚めた人がいなかったと言うことです。

ですから霊のことは話せない、で正解だったのですが、もう少し正直に自分たちのことを言ってほしかったと思います。

 

3軒目の読書会で遭遇した出来事は、主催者の方が霊的に目覚めてはいたが、亡くなった霊魂がこの主催者の口を使って霊言をしていたということだと思います。

私自身も霊言は経験していますが、私の時は自分で喋っていると言う意識はあったのですが、ただ内容はまるでわからなかったです。

 

この体験も含めて霊能力の顕現は、自分は霊である、人間は霊である、ということを体験を通して腑に落とすためである、と思っています。

ただこのことに気づくまでに、私自身も上記の他にさまざまな霊的な体験をしました。

 

霊性という言葉はシルバーバーチが好んでよく使う言葉です。

霊性が発現するとか霊性が向上するなどと使っています。

 

霊性というのは、霊という賦活性のエネルギー(生命エネルギー)の完全性を、魂(意識と意志)がどれほど現すことができるかのバロメーター(物差し)です。

私たち人間は、霊という見えないエネルギーのおかげで肉体が生きています。

その霊というエネルギーのことをシルバーバーチは生命と言っているのですが、私は生命という言葉には霊と魂の両方を含んでも良いと思っています。

なぜならば、霊というエネルギーは魂である意識と意志によって初めて活動することが可能になるからです。

 

人間の肉体を生かしているのは霊魂であり、意識と意志が生命エネルギーを働かせているからに他なりません。

ただし、どれだけ生命エネルギーが働くかは、魂の立ち位置である霊性に左右されるということです。

霊性が向上すれば、争いがなくなり、病気もなくなっていきます。

環境が良くなり、生活が向上します。

霊性が向上すれば、五感の延長線上にはない霊能力が得られる可能性があります。

 

霊能力よりも霊性なのです。

本当に必要なのは、霊力を働かせる事であり、霊能力は霊力のほんの入り口の力に過ぎないのです。

霊能力に固執するのは本当にもったいないです。

 

ですからシルバーバーチ読書会は、ただ読書するのではなく、また霊能力を向上させるものでもなく、霊性を向上させるという目的のためにあるべきである、というのが私の考えです。

 

霊性を向上させていくと、気づきや悟りを体験するようになります。

気をつけなければならないのは、悟りは一回ではないということです。

悟ったからもういいや、というものではないのです。

昔名僧と言われた人が霊界に行ってそのことに気づいて大変に後悔をしています。

 

霊は類を呼びます。

ですから 怒り、愚痴、悪口、うそ、ごまかし、かくしごと は口に出してはいけないのです。

もっと言ったら 思ってもいけないのです。

 

それはそういう霊魂を呼んでしまうからです。

そういう霊魂は、おおよそ病気や争いを持ったまま他界しています。

そういう霊魂とは訣別する覚悟が必要なのです。

 

もちろん簡単でないことは分かっています。

「シルバーバーチの霊訓」は真理を伝えるために書かれたものですが、もう一つ「人間の霊性の向上」のために書かれたと私は思っています。

 

なぜならば私たちが霊魂として生まれた目的は、魂を進化させて霊の完全性を現していくことにあるからです。

言葉を変えれば、自分の霊性を向上させて全生命の進化に寄与するために私たちは霊魂として生まれてきたのです。

 

「シルバーバーチ読書会」が「霊性の向上」というベクトルに向かって進むことを願っています。