霊の世界は確実に存在します。

霊の世界があるということを認めることがすべての始まりなのです。

 

霊の世界があるから私たちは生きているのであり、もし物質の世界だけしかなければ私たちは生存していることさえもできないのです。

そして霊の世界を認めることにより、はじめて全ての辻褄(つじつま)が合ってくるのです。

 

では、霊の世界は一体どこにあるのかと言いますと、今みなさんが居るところにあります。

つまり、宇宙はこの地球も含めてすべてが霊の世界である、ということなのです。

しかし、みなさんもご存知の通り地球は物質の世界です。

 

それなのに私は「宇宙は地球も含めて霊の世界である」とおかしなことを言っています。

これは昔「地球は静止していて他の天体が動いている」と言っている時に、「否、地球は自らが自転公転している」という地動説を唱えたのとまったく同じことなのです。

 

この地球は物質の世界であると同時に霊の世界でもある、ということなのです。

ただしこれは物質の世界から見た時の見え方です。

霊の世界から見た時の見え方は、「宇宙全体の霊の世界の中にほんの一箇所ポツンと物質の世界がある」ということになります。

 

つまり地球の本質はあくまでも霊の世界なのであり、物質の世界は本質ではないということなのです。

もう少し分かりやすく言うと、地球で起きている多くの事象の本質は物質的なものにあるのではなく、霊的なものにあるのということなのです。

 

例えば、生老病死という四苦は物質的なものの見方をしていれば解決はとても覚束(おぼつか)ないことに思えるでしょうが、霊的な視点で見た時にはじめて怖れや心配が無くなっていき、苦しみではなくなっていくのだと思います。

 

宇宙の本質が物質の世界ではなく霊の世界であるということは、実は私たち人間にも同じことが言えるのです。

つまり、人間の本質は物質的なものにあるのではなく、霊的なものにあるということです。

物質的なものというのは肉体という身体のことであり、霊的なものというのは霊と魂のことを指しています。

 

宇宙の本質は霊的なものにある、こう考えた時に、ようやく地上での事象に整合性が出てきて、辻褄が合うようになってくるのです。

 

法律にしろ宗教にしろ、人間がつくるものに完全なものは無い、私はそう思っています。

それは人間がまだ未熟だからです。

 

何が未熟かというと人間の魂です。

私は自分がそう自覚できた時に、ようやく自分の魂の霊性を向上させる方向にベクトルが向かい始めました。

 

霊性というのは、霊という賦活性のエネルギーの完全性を個々の魂がどの程度現すことができるかのバロメーター(物差し)のことです。

「シルバーバーチの霊訓」という書籍には「霊性」という言葉が頻繁に出てきます。

そして人間にとって霊性を向上させることは最も困難なことの一つである、そう述べられています。

そして霊性の向上は死後に持っていける唯一の宝であるとも。

 

物質的な人間性と霊的な霊性とは似て非なるものです。

ですからなかなか霊性の重要性が理解出来ないかもしれませんが、繰り返して「シルバーバーチの霊訓」をお読みいただければと思います。

 

霊性が向上すればするほど、霊性が大切であるということが分かってきますので、より霊性の向上に拍車がかかるようになります。

霊性の向上は、霊能力を伸ばすことではありません。

全く逆で、霊能力を使わないことが霊性を向上させることにつながります。

では霊能力はなぜ何のために現れるのかと言いますと、それは「人間は霊である」ということを体験を通して知り、腑に落とすためです。

 

霊というのは同じ霊性のもの同士が群れをなすという霊的な摂理があります。

それは虫や鳥や魚や動物、そして植物もみな群生をしているのを見れば明らかではないでしょうか。

人間も全く同じなのです。

 

ただ大事なのは霊の世界というのは見えない世界であるということです。

今地上にいる人間だけがこの霊の世界にいるわけではないのです。

 

多くの病気や争いには、霊的な要因が見られます。

物的な視点ではなく、霊的な視点で初めて整合性が出て辻褄が合うようになります。

物的な視点では、病気や戦争は解決しないと思いますが、霊性が向上すれば、氷が溶けるように解決してゆくと思います。

これは個人にも国にも言えることだと思います。

 

霊性が向上すれば、物事の本質が見えるようになってきます。

霊性の向上こそがすべての疑問を解決する、私はそう思っています。