7月14日(日),鹽竈神社(宮城県塩竈市一森山)流鏑馬神事が斎行されました。写真と動画で報告します。
流鏑馬神事は午後2時から鹽竈神社馬場で斎行されます。
午前11時頃から馬場で練習です。
流鏑馬神事の前に,御釜神社(塩竈市本町)で潮垢離(しおごり,禊のこと。「塩垢離」とも。)が行われます。午後零時30分頃志波彦神社鹽竈神社第二講堂前を出発し,鹽竈神社で最も古い参道である七曲坂を下ります。七曲坂は奈良時代にはあったものと推定されていますが,もっと古いかも知れません。
鹽竈海道を進みます。
射手らが参拝します。
御釜神社での潮垢離が終了し,七曲坂を上って来ました。
神馬舎・神龍社前です。
午後2時少し前に馬場に射手3人ら関係者が登場しました。
2回試技が行われます。写真はその一部です。
いよいよ流鏑馬です。三人の射手が三つの的を次々と射抜いてゆきます。それぞれ3回行われます。矢が的に的中することは除災招福の瑞祥とされております。動画はその一部です。
午後2時40分頃流鏑馬神事が終了しました。
なお,「鹽竈神社流鏑馬神事は鎌倉時代,留守職・伊沢家景が三頭の馬を献じて流鏑馬を行い,部下の士気を高めたのが始まりと伝えます。」と志波彦神社鹽竈神社HPが訂正されました。これまでHPに「室町時代」とあったため,新聞等の報道機関その他がこれを引用し,「室町時代」と紹介していました。ただし,伊澤家景は平安時代末期から鎌倉時代初期の御家人(生誕不明~承久3年(1221年))で,文治6年(1190年)に陸奥國留守職(るすしき)に任ぜられていますから,「室町時代」では時代が合いません。「鎌倉時代」のはずです。仮に「室町時代」が正しいのであれば,伊澤家景とは無関係ということになります。このことについて,私はこれまでいろいろな機会に指摘してきたのですが,ほとんど無視されて来ました。昨年の流鏑馬神事後,KHB(東日本放送,テレ朝系)が鹽竈神社流鏑馬神事のニュースで,「鹽竈神社で毎年行われている流鏑馬の神事は,鎌倉時代に武芸の上達を願って奉納されたのが始まりとされていて,的に当たる矢の数が多いほど幸運が訪れると言われています。」と放送したのが数少ない例外の一つです。何の根拠も無く「伊澤家景は何人もいる(だから室町時代で良い。)。」とか,「(伊澤家景は平安時代末期から鎌倉時代初期の人物であるが)志波彦神社鹽竈神社HPに室町時代と書いてあるのであるから,室町時代と言わざるを得ない(室町時代で良い。)。」とか主張している方々がいました。今後は「室町時代」と主張する方はいないだろうと思いますが,いかがでしょうか。