御朱走松島「105th.こころ安らぐ霊場松島さんぽ」 | 哲風のBLOG

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 「海と社(やしろ)に育まれる楽しい塩竈」を目指している宮城県塩竈市に鎮座する志波彦神社鹽竈神社の神事,四季の移り変わりや,仙台,塩竈,多賀城,松島など宮城県内各地の名所,旧跡,行事などを紹介します。

 6月22日(土),御朱走松島(ごしゅらんまつしま)の「105th.こころ安らぐ霊場松島さんぽ」に参加しました。「松島生まれ・松島育ちの松っ子ayaさん」のガイドで,JR松島海岸駅(宮城県宮城郡松島町松島字浪打浜)→雄島→松島海岸駅→天麟院(瑞雲峰天麟院,臨済宗妙心寺派,松島町松島字町内)→比翼塚→新富山(松島町松島字愛宕裏)→五大堂(松島町松島字町内)などを巡りました。新しい発見がたくさんあり,感激しました。写真で報告します。

 

 午前9時40分,JR松島海岸駅集合です。

 

霊場松島(1)

 

 雄島(おしま)に向かいます。

 

霊場松島(2)

 

 朱塗りの橋・渡月橋(とげつきょう)を渡ると雄島です。

 

霊場松島(3)

 

 頼賢(らいけん)の碑です。国指定重要文化財です。

 

霊場松島(4)

 

 桂島(塩竈市の有人島の一つ)方面の海を望みます。

 

霊場松島(5)

 

 松尾芭蕉,河合曾良の句碑です。芭蕉「朝よさを 誰まつしまぞ 片心」(朝となく夜となく松島の景色が思い出されるのは,誰か私を片思いに待っていてくれる人がいるからだろうか) ただし,この句は「おくのほそ道」の旅に出発する前に詠んだもので,芭蕉は松島で1句も詠んでいません。曾良「松島や 鶴に身をかれ ほととぎす」(ホトトギスが鳴きながら飛んで行く。松には鶴が似合うので,せめて鶴の姿を借りて鳴いてくれ」

 

霊場松島(6)

 

 この辺り(薬師堂跡付近)は秋には素晴らしい紅葉の名所になります。

 

霊場松島(7)

 

 福浦島方面の海を望みます。6月22日は満月です。「ストロベリームーン」と言うそうです。ここで,ガイドのayaさんから「日本三景・松島の絶景は満月にありました」との説明がありました。ちなみに,松尾芭蕉は元禄2年5月9日(1689年6月25日)に松島を訪れていますので,満月は見ていません。

 

霊場松島(8)

 

 一旦,松島海岸駅に戻ります。松島海岸駅の駅長は女性で,かなりの人気です。参加者全員と記念撮影したり,個別に記念撮影に応じたり。

 

霊場松島(9)

 

 天麟院です。圓通院(白華峰圓通院,仙台藩第2代藩主・伊達忠宗の二男・光宗の御霊屋・三慧殿(さんけいでん)があります。),陽徳院(萬歳峰陽徳院,仙台藩初代藩主・伊達政宗の正室・愛(めご)姫の御霊屋・寶華殿(ほうげでん)があります。)とともに,「松島三霊廟」の一つで,伊達政宗と愛姫の長女・五郎八(いろは)姫の御霊屋「定照殿」(じょうしょうでん)があります。

 

霊場松島(10)

 

 定照殿です。副住職の御厚意により,特別に中を見せていただきました。

 

霊場松島(11)

 

霊場松島(12)

 

 比翼塚です。その昔(約700年余前)この付近の長者・蜂谷掃部(はちやかもん)の子・小太郎と出羽國象潟(きさかた,現・秋田県にかほ市)の商人の娘・谷(たに)の悲恋の物語があります。ここで,ガイドのayaさんから紙芝居を用いた説明がありました。谷は嫁ぐ直前に他界していた小太郎の父母に孝養を尽くし,義父母亡き後,「紅蓮尼」(こうれんに)と名乗ることが許されました。添い遂げることがなかった小太郎に一生を捧げたのです。松島町と象潟町(にかほ市)は全国でも珍しい「夫婦町」となって(昭和62年8月1日調印締結),交流を続けています。

 

霊場松島(13)

 

 新富山(しんとみやま)です。展望台があります。

 

霊場松島(14)

 

 松島海岸方面を望みます。

 

霊場松島(15)

 

 五大堂です。大同2年(807年)坂上田村麻呂が毘沙門堂を建立し,天長5年(828年)慈覚大師円仁が五大明王を安置したことから五大堂と呼ばれるようになったとのことです。現在の建物は伊達政宗が慶長9年(1604年)に創建したものです。国指定重要文化財です。

 

霊場松島(16)

 

 午後零時50分頃,ここで解散しました(行程は約6kmとのことでした。)。ガイドのayaさん,御朱走の鈴木さん,皆さん,ありがとうございました。