文化燈籠 | 哲風のBLOG

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 「海と社(やしろ)に育まれる楽しい塩竈」を目指している宮城県塩竈市に鎮座する志波彦神社鹽竈神社の神事,四季の移り変わりや,仙台,塩竈,多賀城,松島など宮城県内各地の名所,旧跡,行事などを紹介します。

 鹽竈神社(宮城県塩竈市一森山)境内の文化燈籠(銅鉄合成燈籠)です。文化6年(1809年)に仙台藩第9代藩主・伊達周宗(ちかむね)が,文化5年(1808年)江戸幕府から命じられた蝦夷地警護(函館,国後,択捉に約2千人を派兵)の凱旋記念に奉納したもので,銅鉄合成の動物,花鳥をはめ込み,精巧を極めています。昭和51年10月1日塩竈市有形文化財に指定されました。

 

文化燈籠


 「アイヌ先住民族説」なるものによるのでしょう。江戸時代までの北海道が日本でなかったような主張がなされています。文部科学省ですら,「江戸時代の北海道は日本かどうか判らない。」という見解のようです(教科書検定)。ふざけ過ぎというものです。鎌倉幕府は安藤(後に,安東)氏を蝦夷管領に任命しています。室町幕府もそれを踏襲しています。蠣崎(松前)慶廣(広)は豊臣秀吉から蝦夷地(北海道)支配の朱印状を得ています。同じく慶広は徳川家康から黑印状を得ています。松前藩の成立です。江戸幕府は2度にわたって北海道を直轄地にしていますが,そればかりでなく千島列島も北蝦夷地(樺太)も直轄地にしています。鹽竈神社境内の文化燈籠は第1次直轄時のものです。第2次直轄時に仙台藩の元陣屋(「元」は拠点という意味)になったのが白老(しらおい)で,同地には鹽竈神社(白老塩釜神社,北海道白老郡白老町陣屋町)があるとのことです。仙台藩は白老から択捉島までの警護を担当したほか,交代で樺太の警護を担当しています。北海道,千島列島,樺太の警護を担当したのは松前藩,仙台藩(伊達),弘前藩(津軽),盛岡藩(南部),秋田藩(佐竹),庄内藩(酒井),會(会)津藩(松平)です。伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」は北海道測量から始まったのです。間宮林蔵は樺太を探検し,大陸にも渡り,海峡(間宮海峡)を確認しています。

 「アイヌは北海道の先住民族である」との主張は何の学問的(分子人類学(遺伝学など),考古学,言語学など)根拠の無い政治的主張ですが,「アイヌは(北海道だけでなく)日本(列島全体)の先住民族である」などとトンデモ説を主張している者がいます。縄文時代(あるいはそれより前(岩宿時代))から日本列島に住んでいたのは日本人(正確には,日本人の祖先)です。アイヌの成立はずっと後で,13世紀頃と言われています。「アイヌ史観」に基づいて日本の歴史を書き換えようとしているのです。歴史大好き人間の私にとっては,許し難いことです。

 

 鹽竈神社境内の文化燈籠を見て,極寒の北海道,千島列島,樺太で日本を守るために命懸けで戦った松前藩と東北諸藩の武士たちに思いを馳せてみませんか。