浦戸諸島・菜の花ウォーク(第1回) | 哲風のBLOG

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 「海と社(やしろ)に育まれる楽しい塩竈」を目指している宮城県塩竈市に鎮座する志波彦神社鹽竈神社の神事,四季の移り変わりや,仙台,塩竈,多賀城,松島など宮城県内各地の名所,旧跡,行事などを紹介します。

 4月24日(日),御朱走松島(ごしゅらんまつしま)の「65th.浦戸諸島・菜の花ウォーク」に参加しました。朴島,寒風沢島,野々島,桂島の菜の花を巡るウォーキングです。久しぶりの浦戸諸島でしたが,やはり浦戸諸島は素晴らしい!そして綺麗!写真で報告します。今日は,その第1回です。

 

 御朱走松島のイベントは現地集合,現地解散です。マリンゲート塩釜(塩釜港旅客ターミナル,宮城県塩竈市港町一丁目)午前9時30分発の塩竈市営汽船に乗ります。朴島までの運賃は630円です。

 

浦戸(1)

 

 朴島桟橋に到着しました。所要時間約54分です。

 

浦戸(2)

 

 神明社(塩竈市浦戸野々島字朴島鱈)です。主祭神は天照皇大神,豊受姫神です。

 

浦戸(3)

 

浦戸(4)

 

 「朴島の菜の花畑」として「浦戸諸島 島歩きマップ」にも載っている浦戸諸島で最も有名な菜の花畑です。黄色のジュータンとタブノキ(タブ,椨)の緑が美しく,畑からはのどかな海が見渡せます。この菜の花は「仙台白菜」の採種用として栽培されているものです。浦戸諸島に大きな木があり,何の木か判らない場合に「タブノキ」と答えると正解であることが多いようです(笑)。

 

浦戸(5)

 

浦戸(6)

 

浦戸(7)

 

浦戸(8)

 

 「弘安の碑」に向かいます。ここにも菜の花畑があります。

 

浦戸(9)

 

 「弘安の碑」です。弘安10年(1287年)銘供養碑です。梵字の碑文が刻まれているのですが,イエス・キリストを抱いたマリアらしきものが描かれているとの説があります。鎌倉時代に隠れキリシタン(切支丹)はいないはずですから,これがマリア像であれば,江戸時代に隠れキリシタンが「弘安の碑」を利用して描いたものと考えられます。

 

浦戸(10)

 

 朴島桟橋から寒風沢島桟橋へは渡船に乗ります。電話をかければ迎えに来てくれます。塩竈市の道路扱いですので,運賃は無料です。

 

浦戸(11)

 

 寒風沢島桟橋に到着しました。

 

浦戸(12)

 

 日和山展望台に向かいます。ここにも菜の花畑があります。令和3年8月に宇宙から帰還した種から育てた白菜を栽培しています。「浦戸宇宙白菜」と言うそうです。

 

浦戸(13)

 

 「世界一周し故郷寒風沢に帰還した漂流民 津太夫と左平」の案内板です。「数奇な運命に翻弄され,日本人として初めて世界一周してしまった男たちの長い長い12年の旅路」(寛政5年11月27日(1793年12月29日)江戸を目指し石巻出港~文化3年(1806年)2月下旬帰郷)は,大槻玄沢・志村弘強の「環海異聞」全15巻にまとめられています。石巻若宮丸漂流民の会は「知りたい宮城の歴史 初めて世界一周した日本人 石巻若宮丸漂流民物語」を発行しています。

 

浦戸(14)

 

 日和山展望台に到着しました。日和山は標高22.2mとのことです。木が伐採され,眺めが良くなっています。

 

浦戸(15)

 

 天保12年(1841年)8月造立の十二支方角石です。

 

浦戸(16)

 

 しばり地蔵です。寒風沢港が繁栄していた頃島内には遊郭があり,船出しようとする男達を引き止めようと,お地蔵様を荒縄で縛り逆風祈願したと伝わっています。ただし,地蔵菩薩ではなく,毘廬舎那仏(毘廬遮那仏)のようです。

 

浦戸(17)

 

 霊亀山松林寺(臨済宗妙心寺派,塩竈市浦戸寒風沢字愛宕)です。3月16日(水)の地震の被害を受けています。化粧地蔵です。白い粉を塗って祈願すると,美しい子が授かると言われているそうです。

 

浦戸(18)

 

 延命地蔵です。この石仏は元観音堂参道にあったものを明治37年聖観世音菩薩像(行基作)と同時にこの地に遷座されたものであるとのことです。この地蔵像は享保年間(1716年~36年)江戸で作られ,千石船によってこの地へ搬送されましたが,この船は順風に恵まれ1日1夜で到着したと言われ,そのことから一夜地蔵の別名もあるそうです。

 

浦戸(19)

 

 寒風沢島桟橋から野々島桟橋へは渡船に乗ります。

 

浦戸(20)

 

 それでは,明日の第2回に続きます。