「私(土蔵)は残った」本間家の蔵に会いに行こう! | 哲風のBLOG

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 「海と社(やしろ)に育まれる楽しい塩竈」を目指している宮城県塩竈市に鎮座する志波彦神社鹽竈神社の神事,四季の移り変わりや,仙台,塩竈,多賀城,松島など宮城県内各地の名所,旧跡,行事などを紹介します。

 2月26日(土),Goshurun Matsushima (御朱走松島)の「59th.「私(土蔵)は残った」本間家の蔵に会いに行こう!石巻鹿島御児神社参拝ウォーク3キロ」に参加しました。石巻若宮丸漂流民の会・石巻千石船の会の本間英一さんのガイドで,鹿島御児神社(宮城県石巻市日和が丘二丁目),日和山公園(同),門脇地区を巡りました。みやぎ東日本大震災津波伝承館(石巻市南浜町二丁目)も見学しました。一部を写真,動画で紹介します。

 「私(土蔵)は残った。私が生まれたのは明治三陸大津波の翌年明治30年,西暦で言うと1897年だった。隣にあった同じ年の双子の蔵は今回の津波のため倒壊してしまった。私は多くの悲劇を生んだこの3・11の惨状を後世に伝えるために,ここに建ち続けるだろう。」(合掌)

 

 JR石巻駅(石巻線,仙石線,石巻市鋳銭場)です。

 

石巻(1)

 

 鹿島御児神社です。宮城県神社庁によると,主祭神・由緒は「鹿島御児神社の御由緒は古く,その創建の由来縁起についてはこれを明らかにする史料はありませんが,平安時代の「延喜式神名帳」には既にその名が見られ,国史見在社として最も由緒深い神社です。御祭神は,武甕槌命・鹿島天足別命の親子二神で,武甕槌命は天孫降臨に際し葦原中つ國の平定に御功績を挙げられた神であり,またその御子神である鹿島天足別命は香取神宮祖神の御子神と共に命を受けて海路奥州へ下向し,東夷の征伐と辺土開拓の経営にあたることとなりました。その乗船がたまたま石巻の沿岸に到着碇泊して錨を操作した際石を巻き上げたことから,石巻という地名の発祥をみたのだとの言い伝えがあります。石巻に上陸された両御子は先住蛮族地帯であった奥州に於ける最初の史跡を印した大和民族の大先達であり,開拓の先駆者として偉大な勲績を残された地方開発の祖神です。古くより代々の使臣藩主等の崇敬も厚く,社領・宝物の寄進,社殿の修築等がなされてきました。明治7年には旧村社に列し,大正10年には旧郷社に列格。昭和10年には旧県社に列格しました。勝利の神として職業繁栄を守り,悪疫除けの神,海上安全の守護神として民人の信仰篤く,また交通安全の霊験著しく,其の信仰は益々盛んとなっています。」とのことです。

 なお,「かたりべ通信社 石巻千石船の会」の「ふるさとのかたりべ第161号」(令和3年9月20日)によると,鹿島御児神社は創建以来日和山にあったのではなく,2度の遷座があったとのことです。おそらく1200年以上の歴史があり,当初は「牡鹿郡石巻門脇村好日山鹿島台」(門脇村の西はずれ定川沿いと推定されています。ただし,当時は石巻村も門脇村も無かったとのことです。)に建立され,葛西宗清(清宗とも)の日和山築城後の西暦1300年頃に日和山の南麓(現在の鹿島御児神社表参道下の東側だったと考えられています。)に移り,その後葛西氏の日和山城が廃れ荒地となったため享保19年(1734年)に現在地に移りました。

 

石巻(2)

 

 大鳥居は昭和10年県社昇格記念に建立されたものとのことですが,度重なる地震や経年劣化により倒壊のおそれがあるということで令和3年5月22日解体されました。その後再建工事が進んでいましたが,同年12月12日竣工しました。大鳥居は「石巻のシンボル」と言われているものです。

 

石巻(3)

 

石巻(4)

 

 東日本大震災の被災地を望みます。

 

石巻(5)

 

石巻(6)

 

石巻(7)

 

 境内入口の鳥居です。

 

石巻(8)

 

 拝殿です。

 

石巻(9)

 

 本殿です。東日本大震災で倒壊してしまいましたが,伊勢山皇大神宮(横浜市西区宮崎町)の旧本殿を譲り受け,令和元年10月に再建されました。

 

石巻(10)

 

 松尾芭蕉句碑です。

 

石巻(11)

 

石巻(12)

 

 忠魂碑です。大正12年に建立された漁業者の海難供養碑です。「ふるさとのかたりべ第161号」によると,碑に刻まれている内容を要約すると「牡鹿郡の漁業者で海難の犠牲者となったのは天保以来300余名である。本郡の沖合は豊かな漁場であり,その産額は700余万円に達する。不幸にして犠牲になった事は痛切の極みではあるが,その精神は後世への亀鑑である。」とのことです。

 

石巻(13)

 

石巻(14)

 

 どちらも私には読めません。勉強します。

 

石巻(15)

 

石巻(16)

 

 日和山を下って,ここに出て来ました。

 

石巻(17)

 

 紫雲山来迎院西光寺(浄土宗,石巻市門脇町二丁目)です。

 

石巻(18)

 

 「村のはずれのお地蔵さん=きずな地蔵」です。

 

石巻(19)

 

石巻(20)

 

 本間家の蔵です。本間家は,江戸時代には石巻を代表する千石船の船主として活躍した武山家の流れを継承する家です。武山家は明治時代になると廻船業から撤退しますが,手広く金融業を営む傍ら当地の産業の近代化に尽力しました。併せて戸長,町会議員,郡会議員,石巻町長などの公職も歴任しています。昭和元年武山家の当主の死去によって武山家は断絶し,当主の娘(四女)の嫁ぎ先の本間家が武山家の醸造工場と土地家屋を継承することになりました。東日本大震災によってこの蔵以外の建物はすべて倒壊流失してしまいました。

 

石巻(21)

 

石巻(22)

 

 蔵の中を見学した後,レコードを聴きます。

 

石巻(23)

 

 

 地蔵菩薩その他の石碑です。

 

石巻(24)

 

 旧石巻市立門脇小学校です。震災遺構として令和4年4月3日から一般公開されることになっています。

 

石巻(25)

 

 善海田(ぜんかいた)稲荷神社がここにあったのでしょう。現在は鹿島御児神社の境内社になっています。

 

石巻(26)

 

 石巻市南浜津波復興祈念公園(石巻市南浜町二丁目)中央部にある「みやぎ東日本大震災津波伝承館」です。令和3年6月6日に開館しましt。

 

石巻(27)

 

 避難築山です。

 

石巻(28)

 

石巻(29)

 

 これで解散です。また,時間を掛けていろいろ調べてみたいと思っています。