1月29日(土),鹽竈神社の14末社の一つ・曲木神社(宮城県塩竈市新浜町一丁目 籬島)に参拝しました。ちなみに,島の名称は「籬(まがき)が島」,住居表示は「籬島」(ただし,住民はいません。),祭神は奥津彦大神・奥津姫大神の二神です。島の名称の由来は,曲木神社縁起によると,「この島には柏槇の曲がった大木があったので,こう呼ばれるようになった。」とあります。ただし,「籬」の字は竹の粗い垣根を意味し,「神籬」は「ひもろぎ」と読んで地鎮祭の注連縄の囲いのことですから,「籬が島」は神の島ということであると考えられるとの説もあります。この島は,平安時代から和歌に詠まれる歌枕の地でもありました。源融(みなもとのとおる。嵯峨天皇の皇子,左大臣,「源氏物語」の光源氏のモデルの一人と言われています。)が塩釜湾(千賀の浦)を模して六条河原院(現・京都市下京区下数珠屋町通間之町東入東玉水町,「渉成園」)に作った庭園にも籬が島があり,塩竈を見たこともないはずの貴族らが籬が島をはじめとする塩竈を多数和歌に詠んでいます。写真で報告します。