島の魅力を学ぶ研修会-途中棄権(第1回) | 哲風のBLOG

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 「海と社(やしろ)に育まれる楽しい塩竈」を目指している宮城県塩竈市に鎮座する志波彦神社鹽竈神社の神事,四季の移り変わりや,仙台,塩竈,多賀城,松島など宮城県内各地の名所,旧跡,行事などを紹介します。

 3月6日(土),7日(日)開催された「浦戸島歩きガイド直伝!島の魅力を学ぶ研修会」(13日(土)は荒天のため中止)に参加しました。いくつかの疑問点が解消されたり,新しい発見があったり,充実した研修会だったのですが,私の体調が悪化し,1日目の朴島,寒風沢島,2日目の野々島までで,途中棄権せざるを得なくなりました。写真で報告します。今日は,その第1回です。

 

 マリンゲート塩釜(塩釜港旅客ターミナル,宮城県塩竈市港町一丁目)です。

 

研修会(1)

 

 午前9時30分発の塩竈市営汽船に乗ります。

 

研修会(2)

 

 朴島桟橋に到着しました。所要時間は約54分です。

 

研修会(3)

 

 真ん中は,研修会講師・U氏(桂島在住)です。

 

研修会(4)

 

 朴島の研修です。菜の花畑です。菜の花の季節は,黄色のジュータンとタブノキ(タブ,椨)の緑が美しく,朴島へ多くの観光客が訪れます。菜の花は仙台白菜の種を採取するために栽培されています。浦戸諸島で大きな木があり,何の木か判らない場合に「タブノキ」と答えると正解であることが多いようです(笑)。

 

研修会(5

 

 ハクサイ(白菜)にもオス,メスがあり,受粉が終わるとオスは用済みということで抜かれてしまうそうです。まず,オスです。

 

研修会(6)

 

 次に,メスです。

 

研修会(7)

 

 松島四大観の一つ・「壮観」こと大高森(東松島市宮戸)を望みます。

 

研修会(8)

 

 省略されましたが,朴島には弘安10年(1287年)建立とされる古碑「弘安の碑」があります。梵字の碑文が刻まれているのですが,ある研修会参加者によると,イエス・キリストを抱いたマリア像らしきものが描かれているようです。鎌倉時代に隠れキリシタン(切支丹)はいないはずですから,これがマリア像であれば,江戸時代に隠れキリシタンが「弘安の碑」を利用して描いたものと考えられます。今回写真はありません。次回訪れた時にじっくり見たいと思っています。

 

 朴島桟橋から寒風沢桟橋へは,人数の都合もあり,私は研修会講師・U氏の舟に乗りました。

 

研修会(9)

 

 塩竈市の無料渡船に乗った研修会参加者らです。

 

研修会(10)

 

 寒風沢共同カキ処理場(塩竈市浦戸寒風沢字湊,寒風沢漁港内)です。

 

研修会(11)

 

 民宿「外川屋」(塩竈市浦戸寒風沢字湊)です。ここで昼食です。

 

研修会(12)

 

研修会(13)

 

 寒風沢島の研修です。写真はありませんが,造艦の碑(塩竈市指定有形文化財)に「涌谷伊達安藝平邦隆篆額」とあります。伊達氏は藤原北家山蔭流を称しています(それ自体かなり怪しいという説もあります。)ので「平」(たいら)とあるのは疑問です。何と,涌谷伊達氏は「武石三郎胤盛の末裔」を名乗っているのです。胤盛は千葉介常胤の三男ということですから,千葉氏(桓武平氏良文流)の子孫ということになり,武石氏の子孫が亘理氏で,亘理氏の子孫が伊達氏から養子を迎えたというわけです。

 

 砲台跡です。ある資料(複数)に「藩より大砲方士五十人余りが寺院松林庵に駐在」とあったのですが,私は「方士」とは何かずっと理解できませんでした。説明板をよく読むと「大砲方士卒」(たいほうかた・しそつ)であることが判りました。「士卒」とは士官と兵卒ですから,江戸時代であれば士分(騎士,徒士)が「士」,卒分(足軽以下)が「卒」ということでしょう。これならば,容易に理解できます。誰かの書いたものを簡単に信用してはいけない,よく読まなければいけないと反省しています。

 

研修会(14)

 

研修会(15)

 

 それでは,明日の第2回に続きます。