仙台城跡 | 哲風のBLOG

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 「海と社(やしろ)に育まれる楽しい塩竈」を目指している宮城県塩竈市に鎮座する志波彦神社鹽竈神社の神事,四季の移り変わりや,仙台,塩竈,多賀城,松島など宮城県内各地の名所,旧跡,行事などを紹介します。

 宮城縣護國神社(仙台市青葉区川内)は仙台城本丸跡にあります。仙台城跡のいくつかを御覧ください。

 

 本丸北壁石垣です。

 

仙台城跡(1)

 

仙台城跡(2)

 

仙台城跡(3)

 

 伊達政宗騎馬像です。この日は,伊達武将隊(奥州・仙台おもてなし集団 伊達武将隊)の出陣は無かったようで,伊達政宗の「影武者」が1人で出陣していました(笑)。

 

仙台城跡(4)

 

 「仙台藩御用酒発祥の地」の碑です。「仙台藩初代藩主・伊達政宗は,将軍家剣術指南・柳生宗矩に振る舞われた酒があまりにも美味だったため,酒造元の杜氏の一人を仙台に呼び寄せて酒を造らせた。仙台城三の丸裏手の清水門付近に酒蔵を建て,付近の湧き水を利用して造った酒は「御用酒」と呼ばれて藩主をはじめ上級武士などに供給されたが,一方では他の町酒屋と技術を競い合い醸造技術の向上が図られた。」とのことです。

 

仙台城跡(4)

 

 「遣欧使節支倉常長の碑」です。一般に「常長」と呼ばれていますが,史料(本人自筆署名)には「長経」とあるとのことですので,諱(いみな,本名)は「長経」が正しいようです。

 

仙台城跡(5)

 

 伊達政宗胸像です。元々は騎馬像だったのですが,金属回収令によって昭和19年に応召され,大東亜戦争後胸から上の部分が見付かったとのことです。

 

仙台城跡(7)

 

 林友直(子平)のレリーフ(浮き彫り)です。子平は,「三国通覧図説」,「海国兵談」などを著し,海防の必要性を説きました。正論であったにもかかわらず,朱子学信奉者で頭の固い老中・松平定信などによって弾圧され,失意のうちに亡くなりました。蟄居中「親も無し 妻無し子無し 版木無し 金も無けれど 死にたくも無し」と嘆き,「六無斎」と号したことは有名です。

 

仙台城跡(8)