11月16日(日),太田與八郎商店(宮城県塩竈市宮町)において角市(町角で行われる小さな市)が開催されました。また,塩竈市内の小学4~6年生が太田與八郎商店を含めて市内本町周辺(20店舗)で地域のおしごと体験をする「がまっこ商店街」が開催されました。写真6,7枚目は,おしごと体験参加店の一つであるotomo.(オトモ)です。
11月2日(日),貞山運河「御舟入堀」プロジェクトの「御舟入堀寒風沢研修会」に参加しました。
まず,「貞山運河」,「御舟入堀」とは何でしょうか?
「貞山運河(ていざんうんが)は,仙台藩が関係する「⽊曳堀(こびきぼり)」「御⾈⼊堀(おふないりぼり)」と明治期に完成した「新堀(しんぼり)」を野蒜築港(のびるちっこう)に関連して拡幅改修されて命名されました。貞⼭は仙台藩祖伊達政宗公のおくり名です。阿武隈川と名取川の間は⽊曳堀といい,阿武隈川流域(現福島県)や県南地⽅と仙台を⽔路で結び,仙台城と城下への⽤材輸送や名取⾕地を開発するためのもので,慶⻑年間に掘られたと考えられます(諸説あり)。松島湾と七北⽥川の間は御⾈⼊堀といい,北上川流域の藩⽶などを仙台城下に運ぶためのもので,何回かにわたって堀り継がれ,寛⽂13年(1673年)に完成しました。七北⽥川と名取川の間は新堀といい,明治維新後の⼠族救済事業のひとつとして,沿川⾕地の開拓と⽔運のため,明治3年から5年にかけて掘られたものです。これらの⽊曳堀,御⾈⼊堀,新堀は野蒜築港が始まると,その関連⼯事として県⼟⽊課により,航⾏する⾈の幅に合わせて,拡幅改修され,明治22年にはほぼ現在の姿に完成し,⼩型蒸気船などが運⾏しました。」(宮城県「貞山運河の紹介」から引用)とのことです。
「寒風沢島は,浦戸諸島で一番大きな島です。江戸時代には仙台藩の江戸廻米の港として,多くの人や船,物が行き交う島として繁栄を極め,今でも日和山の十二支方角石や縛り地蔵,仙台藩が建造した東北初の洋式軍艦「開成丸」の記念碑,砲台場跡,日本人で初めて世界一周をした津太夫など,当時の繁栄を語り継ぐ風景や歴史が多く存在しています。」(塩竈市「寒風沢島」から引用。一部筆者が書き直しています。)。つまり,江戸廻米の港として貞山運河「御舟入堀」と大いに関係があるのです。
マリンゲート塩釜(塩釜港旅客ターミナル,宮城県塩竈市港町一丁目)です。午前9時10集合です。
午前9時30分発の塩竈市営汽船に乗ります。寒風沢島(浦戸諸島の有人4島の一つ)までの運賃は630円です。ただし,団体割引(15人以上,要事前連絡)があります。
寒風沢島桟橋に到着しました。所要時間約37分です。
ガイドの鈴木宏明さん(野々島在住)です。鈴木さんは「松島に行ったことのある人は多 いと思いますが,松島湾に浮かぶ島々を訪れたことがある人は少ないはず。そういう人を増やしていきたいです。」と語る浦戸諸島の著名な案内人です。
「寒風沢港の歴史」です。今回の研修会で重要なものは,このうち「御城米御蔵敷地及御番所平面略図(土井兼太郎氏作図)」と思われます。「御城米御蔵」,「御番所」は日和山断崖の直ぐ近くにあったようです。
「開成丸」造艦の碑です。この碑は,国防上の必要から仙台藩の命により三浦乾也(けんや)が東北で初めて西洋型軍艦(2本マストのトップスルスケーナー型汽帆船)を建造したことを記念して,その門人たちにより建立されたものです。この軍艦「開成丸」建造に当たり,寒風沢に造船所を造り,小野寺鳳谷の監督の下安政3年(1856年)8月26日着工,翌安政4年(1857年)7月14日第13代藩主・伊達慶邦臨席の下進水し,その後艤装工事を経て11月完成,同年12月から正月明けにかけて寒風沢-気仙沼間の試験航海に成功したとのことです。「島歩きマップ」には「日本初の西洋式軍艦」とありますが,「東北初」でしょう。しかし,開成丸の性能では既に時代遅れ(軍艦としての速力不足)で,輸送船に改造してもその構造が適当でなかった関係もあって,進水後2年にしてその姿を消すことになってしまいました。造艦の碑は,昭和62年2月1日塩竈市有形文化財に指定されています。
なお,造船所はこの碑の近くではなく,ずっと東(寒風沢島桟橋寄り)にあったようです。
「世界一周し故郷寒風沢に帰還した漂流民 津太夫と左平」の案内板です。「数奇な運命に翻弄され,日本人として初めて世界一周してしまった男たちの長い長い12年の旅路」(寛政5年11月27日(1793年12月29日)江戸を目指し石巻出港~文化3年(1806年)2月下旬帰郷)は,大槻玄沢・志村弘強の「環海異聞」全15巻にまとめられています。
日和山展望台です。日和山は標高22.2mとのことです。天保12年(1841年)8月造立の十二支方角石です。この方角石は,十二支が刻まれた円柱形をなし,直径45cm,高さ82.5cmと他所に類を見ない堂々としたものです。奉献者が一般の船頭,廻船問屋とは異なり,幕府から差遣された役人(木村又兵衛正信)であることも珍しいようです。昭和62年2月1日塩竈市有形文化財に指定されています。
庚申塔です。この庚申塔は長期間向きがずれていましたが,しばらく訪れていないうちに直っていました。
しばり地蔵です。寒風沢港が繁栄していた頃島内には遊郭があり,船出しようとする男達を引き止めようと,お地蔵様を荒縄で縛り逆風祈願したと伝わっています。ただし,地蔵菩薩ではなく,毘廬舎那仏(毘廬遮那仏)のようです。
砲台場跡です。慶應3年(1867年),仙台藩は寒風沢港を海防上最も重要な地点として寒風沢-石浜水道がよく俯瞰できるこの地に砲台を築造しました。「加農砲」(カノン砲,Canon砲)3門を据え,弾薬庫,見張所を備え,また沖砲台として船入島には鉄の大巨砲2門を置き,別に石浜崎黒森に1門を据え,仙台藩から大砲方士卒(たいほうかた・しそつ)50人余りが霊亀山松林寺に駐屯して警備に当たったとのことです。
砲台場跡から西の海を望みます。ここ以外にも眺めの良い場所がたくさんあります。
右から大根神社,船入島弁財天大神社,船入島龍神大権現社です。
船入島を望みます。
神明社(寒風沢神明社,塩竈市浦戸寒風沢字日和山)です。主祭神は天照皇大神,豊受大神です。建築年代を直接的に証するものは無く,恐らくは江戸中期の社殿建造で,千木・鰹木を乗せた「流れ造り」としては珍しい様式を有しているとのことです。応仁年間(1467年~9年)に楠木氏の遺臣が寒風沢に来島し,定住して稲荷神を敬神して「洲の崎稲荷」又は「宇南明神」と称していたが,後年神宮(伊勢の神宮)と合祀して神明社と改めたという由緒があるようです。
浦戸寒風沢ステイ・ステーション(塩竈市浦戸寒風沢字中月)は,旧浦戸第一小学校の施設を活用し,大規模な改修を行って,浦戸諸島への定住促進と漁業後継者の育成を目的とした新たな施設として平成27年12月にオープンしました。
ここで昼食です。合同会社がんばる浦戸の母ちゃん会の「浦戸のかあちゃん弁当」です。
美味い(特にカキ,ノリ)!
集落のはずれに佇む六地蔵です。古代インドでは生類は六道(天道(天上道とも)・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)を輪廻転生する(つまり,永遠に死なない。)とされ,これは苦痛であると捉えていました。釈迦(ガウタマ・シッダールダ)はこの世のことはすべて無常と悟ることによって,この輪廻の輪から抜け出る(解脱する)ことができると考えました。解脱すると仏陀(如来)となりますが,一歩手前の存在が菩薩です。お地蔵さまも菩薩です(地蔵菩薩)。六地蔵は,六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものであると言われています。私は,六地蔵の六道への配当(どれが天道の地蔵で,……どれが地獄道の地蔵なのか,ということ)を考えて,これまで印相(いんぞう,手の指の形)又は持物(じもつ,手に持つ物)を観察して来たのですが,わかりません。最早完全に諦めました(苦笑)。
霊亀山松林寺(臨済宗妙心寺派,塩竈市浦戸寒風沢字愛宕)です。延命地蔵です。この石仏は元観音堂参道にあったものを明治37年聖観世音菩薩像(行基作)と同時にこの地に遷座されたものであるとのことです。この地蔵像は享保年間(1716年~36年)江戸で作られ,千石船によってこの地へ搬送されましたが,この船は順風に恵まれ1日1夜で到着したと言われ,そのことから一夜地蔵の別名もあるそうです。
ここにも六地蔵があります。
化粧地蔵です。白い粉を塗って祈願すると,美しい子が授かると言われているそうです。
寒風沢島桟橋で午後2時33分発の塩竈市営汽船に乗ります。マリンゲート塩釜までの運賃は630円です。令和7年10月1日塩竈市営汽船時刻表が変更になっていますので,注意が必要です。
午後3時10分頃,マリンゲート塩釜に到着しました。所要時間は約37分です。
解散です。皆さん,ありがとうございました。
10月17日(金)午前10時から志波彦神社鹽竈神社(宮城県塩竈市一森山)で神嘗奉祝祭(かんなめほうしゅくさい)が斎行されました。神嘗祭(かんなめさい)はその年に収穫された新穀を最初に天照大御神に捧げて御恵みに感謝する御祭りで, 神宮(伊勢の神宮)で最も重要な御祭りです。神嘗奉祝祭は神宮で斎行される神嘗祭を祝うための御祭りです。
志波彦神社神門前から塩釜港(仙台塩釜港塩釜港区)方面を望みます。
志波彦神社鹽竈神社境内の様子です。志波彦神社鹽竈神社貴賓館前のシキザクラ(四季桜)です。
志波彦神社境内のキンモクセイ(金木犀)です。
鹽竈神社随身門下などのハマギク(浜菊)です。浜菊は塩竈市の花(市花)です。
9月7日(日),第20回どんとロード八幡雀踊りに行って来ました。いつものように柳生祭連(やなぎうまづら)の追っ掛けです。逆光のため,被写体がほとんどわからないまま撮影したものがあります。決して振舞酒の飲み過ぎではありません(笑)。それでは,写真及び動画で報告します。
大崎八幡宮(仙台市青葉区八幡四丁目)一之鳥居です。
参加祭連(まづら)が拝殿に向かいます。昇殿参拝,社頭参拝します。
中央舞台演舞場で開会式及び鏡開き(鏡割り)が行われます。
拝殿前での奉納演舞です。ハネコ踊り保存会です。
仙臺粋人「国見雀雀」縁です。
まつり磊々欅組です。
柳生祭連です。
馬場演舞場(松焚祭斎場)における演舞です。仙臺粋人「国見雀雀」縁です。
まつり磊々欅組です。
柳生祭連です。
中央舞台演舞場における演舞です。仙臺粋人「国見雀雀」縁です。
まつり磊々欅組です。
柳生祭連です。
すずめ神輿です。大崎八幡宮一之鳥居前から県道31号を地元の仙台市立第一中学校の生徒らが神輿を担ぎます。
県道大流しです。沖野すずめ隊です。
ハネコ踊り保存会です。
仙臺粋人「国見雀雀」縁です。
合同祭連です。
まつり磊々欅組です。
柳生祭連です。
私の追っ掛けはこれで終了です。この日の仙台の最高気温は33.4℃とのこと。暑い中各祭連をはじめ関係者の皆さん,お疲れさまでした。お世話になりました。