ラジトピ(ラジオ関西トピックス)へのリンクです。(2025年12月9日)
日本一短いローカル私鉄 廃線危機とその特殊な理由
日高新報へのリンクです。(2025年11月11日)
1928年(昭和3年)に「御坊臨港鉄道」として設立、1931年に開業。経営は当初から厳しく、風水害等の被害もあって1960年代には廃止の危機に追い込まれたが、1972年に磐梯電鉄不動産が約1億円で買収、紀州鉄道と社名を変更。1980年には本社を東京都に移転した。リゾート開発を軸とする不動産業を主力部門とするが、鉄道会社ということが信頼につながることから、赤字にかかわらず営業を続けてきた。
国土交通省が発表した2019年度の営業係数は612・5で、100円の収入を得るために612円かかる計算。運行本数を減らすなどの対策をとってきたが、人件費、線路の枕木交換等の維持経費がかさみ、経営改善も難しい状況。今後はさらに減便を行うが、鉄道事業を引き継ぐ相手が見つからなければ廃止となるのはやむを得ないという。関係者は「地域に愛されているミニ鉄道、なんとしても存続できるよう、地元企業をはじめ関西、全国の企業に声をかけていきます。鉄道事業に関心のある企業には手を挙げて頂ければと、切に願っています」と話している。
地元の御坊市や県にも、経営維持について相談している。御坊市は以前から固定資産税の2分の1以内、年間60万円程度で補助しており、担当課では「紀州鉄道の閉鎖などの話は聞いているが、まだ方向性が定まっておらず、市としては今後の動きを注視していきたい」としている。
【なぜ?】急転直下の廃線問題 数年前からの課題と意外な経営実態 立ちはだかる壁とは|紀州鉄道【小春六花】
(Takagi Railway)
Merkmal(メルクマール)へのリンクです。(2025年12月10日)
全長2.7kmの日本最小級私鉄、紀州鉄道が廃線の瀬戸際に立つ。年間7000万円の赤字を抱え、中国系企業傘下となるなか、譲渡先や存続の行方に自治体と経済界の注目が集まる。
紀州鉄道の公式サイトです。
1987年に紀州鉄道で撮った画像です。

1987年当時のターミナル駅だった紀州鉄道・日高川駅の駅舎です。(1987年7月)

御坊駅から西御坊駅まで乗車した紀州鉄道のキハ600形です。(西御坊駅・1987年7月)

日高川駅のホームの様子です。(1987年7月)
日高川駅は、この2年後の1989年4月1日に西御坊以南の廃線と同時に廃止されました。
画像内のレールの左奥に、当時は存在した「ジャスコ・オークワ御坊店(その後消滅<オークワロマンシティ御坊店ではありません>)」が写っています。

日高川駅の分岐部分です。この当時、副本線は使われていないようでした。(1987年7月)

当時は、まだ日高川駅までの区間も営業中でしたが、1日に2往復しか運行がなかったため、西御坊から歩いて、日高川駅を見に行ったのでした。(1987年7月)

西御坊駅まで徒歩で戻り、画像のキハ600形でJR御坊駅に戻りました。(1987年7月)
1995年5月に撮影した紀州鉄道の画像です。

鉄道写真向きとは思えないKonica HEXARで撮影したため、少しブレています。
同機の最高速シャッターは1/250秒でした。HEXARはPETRI Color 35 Dの最高速シャッター(1/300秒)よりも遅かったのです。

天気も悪かったので、写りも良くありません。(1995年5月)

当時走っていたキハ603は大分交通耶馬溪線から移籍した車両でした。2009年に運行を終了しています。(1995年5月)

かつては終着駅だった日高川駅の跡地です。(1995年5月)

当時、紀伊御坊駅構内に留置されていたキハ605(常磐炭礦→岡山臨港→紀州鉄道)です。(1995年5月)

キハ603の車内です。バス窓の車両でした。(1995年5月)

キハ603です。(1995年5月)



大阪へ帰る途中に湯浅に立ち寄りました。画像は、湯浅最古の醤油醸造業者である角長です。(1995年5月)
大阪市からのお知らせです。
大阪城天守閣は、令和8年(2026年)1月2日(金曜日)と1月3日(土曜日)の2日間、迎春イベント「ちょろけんと大神楽(だいかぐら)」を開催します。
大阪城天守閣が、芸能集団・東西屋社中の協力のもと平成26年に復活させ、大阪城のお正月には欠かせない存在となった門付芸(かどづけげい)の「ちょろけん」。本イベントでは、この「ちょろけん」と「大神楽」という二つの祝福芸をご覧いただけます。また、イベントをご観覧くださった方に大阪城天守閣特製「春夏冬二升五合大阪城(あきないますますはんじょうだいはんじょう)」の御札を頒布します。
(注)門付芸:家々をめぐって披露された芸能のこと。

大阪城天守閣です。(2024年11月)
(備忘録) 2025年12月22日

2025年11月30日に、SEIKOの「オンライン修理受付」にオーバーホールを依頼していた腕時計のオーバーホールが完了しました。オーバーホール関係の支払合計金額は50,050円でした。
修理完了後の腕時計は2025年12月24日に宅配便(佐川急便)で返送されてきました。
デパートなどの時計売場で電池交換をしてもらうと、年差時計であっても数秒のセッティングの狂いがあるのですが、さすがはSEIKO純正のサービスだけあって秒針のセッティングも正確無比なものでした。