「坂本比叡山口を歩く」の中編です。
昼食場所に選んだ「鶴屋喜八(旧・「手打蕎麦 鶴喜(つるき)」)」に向かいました。(「喜」の正しい字(七が3つ)は機種依存文字ですので「喜」に変えています)
滋賀県大津市坂本にある「手打蕎麦 鶴屋喜八」の現在の建物は、1887年(明治20年)に建てられたものです
「鶴屋喜八」の主屋です。
「鶴屋喜八(鶴喜そば)」と「比叡山延暦寺」は、300年以上の歴史で結ばれた深い関係にあります。1716年、延暦寺の賄い方(僧侶)であった初代・鶴屋喜八が、門前町の坂本(坂本比叡山口)で旅人に蕎麦を振る舞ったのが創業の始まりです。
「鶴屋喜八」の蕎麦が東宮殿下(後の大正天皇)に献上されたのは、1912年(明治45年)の春のことです。
1912年(明治45年)4月〜5月に滋賀県・三重県で行われた陸軍の参謀本部演習を見学するため、東宮殿下(後の大正天皇)が滋賀県の彦根にご宿泊された際のことでした。
「伊吹山麓の山ソバ」に興味を持たれた東宮殿下が「朕にそのそばを取り寄せよ」と仰せになり、当時の滋賀県知事が地元の老舗「鶴屋喜八」に命じて献上したところ、大変ご満足されました。
東京へお帰りの際、明治天皇への御土産として持ち帰られ、これを機に昭和天皇が崩御されるまでの長きにわたり、毎年年末に宮中へと年越しそばが献上されるようになりました。
「鶴屋喜八」の入口です。
昔からある「賜 宮内省御用命」の看板です。
「鶴屋喜八」の主屋(しゅおく)は国の登録有形文化財に指定されています。
以前は『山門鶴喜』とか「総本家 鶴喜そば」あるいは「手打蕎麦 鶴喜(つるき)」などと呼んでいたと思うのですが、最近は「手打蕎麦 鶴屋喜八」が正式名称になっています。
これは、『創業当時の元の屋号【鶴屋喜八】に戻し、支店がない事を分かりやすく致しました。』ということです。
「鶴屋喜八(本家鶴喜そば)」と、同名の「鶴喜そば(鶴喜そば製菓)」は、全く別の法人・経営者です。前者は江戸時代創業の伝統を守る本店1店舗のみですが、後者は機械打ちや複数店舗展開(支店)を行っています。
今回利用した「鶴屋喜八」です。
後者(本家本元とは別法人)の「鶴喜そば(鶴喜そば製菓)」です。こちらは、比叡山延暦寺にも支店があります。
滋賀県大津市坂本にある「本家鶴喜そば(鶴屋喜八)」の分家・暖簾分け店は親戚筋にあたります。ただし七代目以降、本家(一店舗主義・手打ち)と、チェーン展開(機械打ち・工場生産)を行う鶴喜そば製菓株式会社(親戚が経営)とは経営が分かれています。
本家本元である「鶴屋喜八」の店内です。壁に、高橋松山氏の大津絵「鬼の念仏(鬼の寒念仏)」が飾ってありました。
この絵は江戸時代から魔除けや護符として親しまれてきました。
兄たちは、「天ざるそば」を注文したようです。
2016年9月当時の「鶴屋喜八」の暖簾です。
2016年9月に私が食べた「鶴屋喜八」の「ざるそば」と「かやくご飯」です。
関東の一般的な蕎麦屋とは基準が異なり、「海苔なし」ですが「ざるそば」です。(「もりそば」は鶴屋喜八のメニューにはありません)
なお、別法人である「鶴喜そば(鶴喜そば製菓)」の「ざるそば」には海苔がかかっていました。
2002年4月に比叡山延暦寺で撮影した、本家本元とは別法人の「鶴喜そば(鶴喜そば製菓)」の比叡山店(和労堂店)の看板です。「延暦寺御用達」と書いてあります。
昼食後は日吉大社に向かいました。
滋賀県大津市坂本にある日吉大社の鳥居周辺です。
日吉大社は、全国に約3800社ある日吉・日枝・山王神社の総本宮です。
平安京の鬼門を守護する魔除け・災難除けの社として知られています。
滋賀県大津市坂本にある天台宗の寺院、求法寺(ぐほうじ)です。
日吉大社の参道脇に位置しており、神仏習合の歴史を伝えています。
このお堂は「走井元三大師堂」とも呼ばれ、建物は江戸時代中期の再建で滋賀県の指定文化財です。
日吉大社のシンボルである「山王鳥居」です。
鳥居上部に特徴的な三角形の屋根(破風)が付いている珍しい形式です。
これは神道と仏教が融合した「山王信仰」の象徴とされています。
日吉大社の境内に位置する木造の神馬が納められた神馬舎です。
滋賀県大津市にある日吉大社の神の使いとして知られる「神猿(まさる)」の舎です。
「魔が去る」「何よりも勝る」という縁起の良い意味を持ち、厄除けの象徴とされています。
舎内では本物の猿が飼育されており、参拝することができます。
豊臣秀吉と日吉大社の関係です。
・秀吉の生母である大政所(おおまんどころ)が、各地の日吉神社(日吉大社から勧請された神社)に子授けを祈願して秀吉を授かったことから、幼名が「日吉丸」と名付けられました。
・日吉大社には「神の使い」として猿(神猿・まさる)が祀られています。秀吉自身も「猿」の愛称で親しまれ、身のこなしや風貌が猿に似ていたという逸話もこれに由来しています。
・織田信長の比叡山焼き討ちの際、麓にある日吉大社も大きな被害を受けましたが、後に秀吉が大規模な修築を行い、社殿を復興させました。
このように、豊臣秀吉は自身の名前、容姿、そして信仰面において、全国の山王社(日吉神社・日吉大社)と強い繋がりを持っていました。
白山宮は、日吉大社の「山王上七社」に数えられる格式の高い摂社です。
白山宮は、菊理姫神(くくりひめのかみ)を祀っています。
古くから山岳信仰と深く結びついていた比叡山と天台宗のつながりから、比叡山延暦寺を開いた最澄の時代以降に白山比咩神社(加賀国一宮)などから神々が勧請され、摂社として建立されました。
現在の白山宮本殿および拝殿は、豊臣秀吉の時代(1598年建立)に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。
石川県白山市の白山比咩神社の参道です。このときは積雪後でした。(1992年12月)
2009年に廃止(鶴来~加賀一の宮間を廃止)になった北陸鉄道石川線の加賀一の宮駅の在りし日の一コマです。(1992年12月)
日吉大社の西本宮楼門です。国の重要文化財に指定されており、明治34年(1901年)に建立されたものです。
楼門の屋根下には、神の使いとされる「神猿(まさる)」の彫刻が飾られています。
日吉大社の西本宮拝殿です。拝殿は、入母屋造で、檜皮葺の建物です。天井は中央部が一段と高くなった折上小組格天井となっています。現在の拝殿は、1586年に本殿と同時に建てられたものです。1964年に重要文化財に指定されました。
(参考画像) 坂本比叡山口は紅葉の名所でもあります。
坂本比叡山口は、延暦寺の門前町として栄え、現在は重要伝統的建造物群保存地区として、美しい石垣の風景が残されています。
伝統的な石灯籠や歴史的な雰囲気のある建物が写っています。
比叡山延暦寺の僧侶が修行を終えた後に過ごした「里坊(さとぼう)」のひとつを捉えたものと考えられます。このエリアは、比叡山延暦寺の門前町として栄え、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
「穴太(衆)積み(あのうしゅうづみ)」と呼ばれる、苔むした石垣が続く道です。
今回の「中編」後半の紅葉は、2003年12月7日(日)に坂本比叡山口で撮影した画像でした。
(つづく)
【備忘録】2026年6月9日に大阪市の市税を払いました。
【納付書情報】 履歴確認用番号:NP***************
納付方法:クレジットカード
納付手続き日:令和08年06月09日
納付額:22,200円
1件の納付書 納付先:大阪府大阪市(個人住民税(普徴))






























































