緩める。立ち止まる。捨てる。待つ。 | Work , Journey & Beautiful

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オルタナティブな学びを探求する

僕という人間のデフォルトスタンスは、このBlogのタイトルでもある「生き急ぐ。絶えず。程よく。比べることなく。」であるわけだけれども、ここでいうところの「程よく」というのが本当に重要だよな、と最近よく痛感する。

程よく、というのは常に程々のスピード感で生き続ける、というイメージというよりは、スピーディーに変化を求めて生きていくタイミングと少し息継ぎをするタイミングを繰り返しながら、長期的にみたときに「結果的に程よい」スピード感であるというイメージだ。

僕の中には変化しないでいること、停滞していることは僕にとっては相対的に衰退していることに等しいという価値観があって、息継ぎをする、というのは、実は僕にはとても恐ろしく、不安なことでもある。そこまでして僕は高まりたいのであって、この価値観は今の僕にとって最も大切なもののうちの一つ。

とはいえ、多くの人がそうであるように僕の中にはバイオリズムがあって、常にアクセル全開を維持し続けたんじゃ息切れもするし、燃料だって尽きてしまう。そうならないように「意識的に」緩める・立ち止まる・捨てる・待つ、という選択をすることを恐れない、というのも重要だな、と感じる。

大切なのは、意識的であるということだ。それは「そうしようと思ってそうする(計画的)」という意味ではない。そうではなくて、自然の流れに任せて「ああ今は休みたいと思ってるんだな」と認知した時は「いかんいかん、このままでは(何かに)遅れてしまう」なんて思うことなく、意識的にそのまま自然の流れに任せるのがいい、という意味だ。

無理をしない、というと平易だけれど正にそういうことなんだろう。どこか心に無理をさせても多くの場合事態がよくなることはなく、

無理をする
→事態は一旦少しよくなる
→しかし持続せず結果は良くならない
→心が辛くなる
→自分は頑張ってるのに、と思い始める
→他責になる
→態度や言動に無理が顕れる
→事態が悪化する、
といった悪循環に陥る。

多分僕はこの悪循環サイクルに人一倍陥りやすいタイプで、2010年の特に後半をアクセルを全開にして走り続けて僕が得たのは、焦りと疲労感とこの何物にも変え難いパターンの認知だった。

ということでここ二日程、心を休めてみたんだけど。色々体からアクが出てきたのか、とても眠たいし、とても気だるいし、とても穏やかだ。

とにかく、僕は待とう。そろそろと心の内面からモチベーションが湧き上がってくる、胎動を感じるその時を。