リーダーシップを探求してはならない。 | Work , Journey & Beautiful

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オルタナティブな学びを探求する

この世の中にさまざまなリーダーシップ論がある。そして同時にさまざまな「リーダーとしてどうあるべきか?」が語られている。これらの考えや意見を見ていて最近正直思うのはリーダーシップを発揮する上で、もっとも弊害になるのは上記のような「リーダーとしてこうあるべき」という固定観念なんじゃないだろうか、ということだ。

人を動かすにあたって、短期的に規律的・功利的・情緒的な働きかけ(説得・動機付け)によって他者を動かすことはできる。これはテクニックの問題だ。しかし、こういった働きかけによる行動の変化には継続性がない。働きかけの効用はその場限りのものだ。しかし現実的に社会においてリーダーが求められるのは継続的な行動の変化である。そして継続的に他者の行動を変化しうるもの、それは一貫した言動だと思う。

一貫した言動。それは知らず知らずのうちに何回だって語っていること。常に自分が率先して無意識のうちに繰り返し行動していること。そういった自然と繰り返される一貫した言動に対して他者が同調し、行動をともにする。共通の価値観を見出そうとする。そういった自発的な行動の変化は継続する。

もちろんこういった言動によって「動く人」と「動かない人」とに分かれる。それは当然の話で、誰でもかれでも動かせる力をリーダーシップとは呼ばない。リーダーシップとは動かしたい人を動かす力ではない。実際、強力なリーダーシップを発揮できる人ほど「こいつにはついていけない」という顕著なアンチが存在する。もちろん「こいつにはついていけない」といわれている人がリーダーシップが発揮できているわけではない。

ぶれない軸を持っている人と常に軸がぶれている人。この両者がともに「ついていけない(付き合ってられない)」と周囲は感じる。なぜ人はぶれてしまうのか?それは無理に自分を何かにあてはめようとするからだ。自分らしさを押し殺し、誰かが言った「リーダーとはこうあるべき」とか「こんなリーダーだと思われていたい」だなんて他者の目線で自分にリーダー像を押し付けるからぶれる。どこかで無理が出てくる。そうではなく、常に自分らしくある。自分のありたい信念や理想、自分の強みに基づいた言動を貫こうとしていればぶれることはない。

つまり僕が言いたいことはこうだ。

・「リーダーはこうあるべき」なんて考えは真に受けてはいけない。
・「リーダーシップ論」なんて読んじゃいけない。



読めば読むほど、探求すればするほど、混迷を極めるもの。ぶれるもととなる。結果的にリーダーシップなんていつまえたっても発揮できない。それがリーダーシップだ。

リーダーシップを発揮するという命題に取り組むならば、リーダーシップとは何か?を理解することよりも「自分らしさとは何か?」「自分の強みは何か?いかにして発揮できるか?」「自分が心底成し遂げたいことは何か?」を自分に問いかけることの方が、よほど意味がある。




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