社長になろうと思って社長になった人はいるけれど、
リーダーになろうとしてリーダーになった人はいない。
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リーダーは実在する。
公園で遊ぶ子供達の中にも、
僕らの職場の中にも、
今も活動中の、または歴史上の偉大な人材を思い浮かべる僕らの頭の中にも。
そのレベルに差はあれど、あちらこちらにリーダーは存在する。
それらは決して先天的な資質や能力に完全に依存するものではなく(全くないとは言わないが)、
寧ろその行動や判断が彼、彼女がリーダーであると周囲に認めさせる。
もう少し言うと行動や判断は物事の過程の一部分でしかない。
そしてまた、ある特定の限定的な行動のみ取り上げてリーダーだと感じることは稀だ。(なくはないが)
その行動や判断の一貫性(ブレない軸と呼ばれたり、信念と呼ばれるもの)に共感し、
そしてそこから推測される「未来(ビジョン)」を自分も見てみたいと周囲の者が思う時、
リーダーたりうる者の周りには自然とフォロワーが生まれ、
リーダーは「結果としてリーダーになる」。
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重要だと感じるのは下記の3点。
1.活動プロセスこそがリーダーをリーダーたらしめる
2.プロセスが産むのはリーダーではなく、フォロワーである
3.リーダーシップを身につけるということは、リーダーの活動プロセス(主に問題発見、目標設定、判断力、解決力、実行力)を習得することに似る。
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今、次世代リーダーの育成はHRDのホットトピックの一つだろう。
個人的にポイントだと感じているのは「次世代」というキーワードが、所謂従来型の問題解決プロセスに基づいたリーダーシップが通用しなくなっていることを暗に示唆している、ということ。
一様なベクトル(「欧米を追い越せ」「日本を世界から認められる国に」「生活水準を高めよう」)に一致団結していた日本の高度経済成長期はとうのむかしに終わりを迎え、
新たに訪れたダイバシティ(価値観の多様化)がもたらした外的要因と内的要因の高度な複雑化は、リーダーが指し示す未来(ビジョン)の共有化を困難にした。
ざっくり言うと、どれだけ素晴らしいビジョンをリーダーが描こうと、
周囲はそのビジョンをともに見たいとは思わなくなった。
もう少し言うと自分のことだととらえられなくなってきている。
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リーダーは決して先天的な要素のみに依存するわけではないということは、
(誰しもが、とは言わないものの)多くの人がリーダーになりうる「可能性」を秘めているということに外ならない。
考えを深めるためのキーワードとしては、
気付く力、多面的な視点、対話によるShared visionの構築、それを実現するコミュニケーションスキルの向上と、個々人レベルの自律性の向上といったとこですかね。