先日、ぼんやりと本屋を歩いていたのです。
本屋を歩くのは楽しい。
そこに並ぶタイトルを目にしていると今流行の時流がなんとはなしに感じられたりする。
そこで目についたのは
「正しい…」
正しい教養の付け方だの云々。
これ、そのうち正しい尻の拭き方なんてのも並ぶんじゃないのか?

まず発生するのは紙の問題だ。
ダブルがいいのかシングルがいいのかなんて話が出るわけだ。
昔はちり紙を使っていただの、それなら貝殻で拭いていただの「伝統派」なんてものも出てくるに違いない。

そうしてると「ちり紙伝統派」からこんなことが言われるわけだ。
ちり紙を使う時に揉むのがスタンダードだった。
「便所しぐさ」の誕生だ。
前から拭くのがいいだとか後ろから拭くのがいいだとかやりあうわけだ。
男の拭き方はこれだ!とかファッション紙に出るかもしれない。
大和撫子の優雅な拭き方とか婦人誌に出るかもしれない。

そうすると、匂いの部分に着目して
「バラの香りがするアレの出し方」なんてのも出るかもしれない。

そうして本来は何を正しくすることによって
「何が得られるか」を完全に放置して「正しさ」は一人歩きする。

うん、今現在もそこかしこにある話だね。

そんな妄想をしながら、目的である「正しさ」なんて1つも触れていない本を購入して私
は本屋を後にしましたとさ。

「幸福とは、幸福を探すことである」
by ジュール・ルナール