どれを信じ、どう感じるか?
それは『自由』です
その信じたまま、感じたままが『あなた自身』だとしたら
どう思う?
どう感じる?
どうする?
この世界の『生き方』『見方』を知らないからこそ
『ロマン』であり『おとぎ話』であり『嘘っぽい』のです
『あなた自身の意識の世界』だからです
『科学的証明』『歴史学的証明』『地質学的証明』
『文献』『歴史物』などなど『証拠』を求め
他の人の意見まで気にするなど『信じられない』のなら
『それまでの人』です
『ロマン』で『楽しむ』のも『そこまでの人』です
『意識が作り出している世界』だから
『人と比較』『人と共感』しても『意味がない』
けれど『そんな教えをされていない』から『無理もない』
間違いではないです
『何を選択』し『何を信じ』ても『どう感じ』ても
『どんな風に楽しみ方』をしても正解です
生まれる前に書いた『人生のシナリオ』通りの人生です
知らないだけです
知ろうともしなかっただけです
それは『味わいたい』から
知る必要がない人なのかも知れません
ただ『変え方は存在』しています
古来からの『教え』の中にありました
『解釈の仕方が違う』『捉え方が違う』
上辺だけを知り、上辺だけしか見ない
世の中に出ている『知識』『生き方』『世の成り立ち』は
『知らない事を見ない生き方』でしかない
『学歴』『知識』『情報』だけでは解き明かせない
解き明かさなかったと言える『智慧』『叡智』がある
知ろうともしなかった
知りたいと思わなかった
視点を変えようと思わなかった
学ぼうともしなかった
気付こうともしなかった
あなた自身の選択です
自己責任しかない『この世界』
本当に『平等』でしょ?
誰も教えてくれなかった
誰も知らなかった
『責任転嫁』は『楽にしたい言い訳』に過ぎない
自分で考え、自分で決断して、自分で行動する
『自由な世界』って、そういう事です
集団心理を操り、集団心理で動かされる『他人軸』
その生き方は『終わり』を迎えました
人を巻き込むのは『罪』です
人のせいにするのは『罪』です
人と同じだと安心するのは『罪』です
『罪』は『犯罪』とは全く違う次元です
『罪』は『業(ごう・カルマ)』ですよ
自分自身の言動は『自分自身だけが背負う』
撒いてしまったタネです
それは『自分自身でしか刈り取れない』モノ
人は『どうする事も出来ない』
『その人、自身の業』は死後も続きます
転生後も続きます
『刈り取る』まで『続く』のです
その教えが『仏教』『神道』に隠されており
『教え』だったはずなのに『解釈違い』しているから
今でも『分からない人』『知らない人』ばかりです
広める必要はないです
知ってしまったら『味わえない人』が出てしまうから
せっかくの『幻想』を『存分に味わって欲しい』のが
『この世界の摂理』ですからね
自問自答なのか?問われているのか?
使命を持って生まれてきたのに
リタイアするの?
また、1からやり直しだよ
『本当にやりたい事はなに?』
と尋ねられて出た答えは
『世界を変えたい!』
じゃあ『やってごらん』
その後、知りたい事を片っ端から調べ、時には学ぶ為に
通い続けました
『世界を変えるには』
自分自身を変えればいい‼️
自分自身を変えなければ変わらない!
最初に言っておきます
人は幸せにしかならない
幸せになる為に生まれ生きている
幸せだと思えないのなら『捉え方』です
思い込みの捉え方は不幸せ感いっぱいです
意識を変え、捉え方を変えてみて
真理を理解すると『外界』の『波動・波紋』の
影響を受ける事がなくなります
だから『冷静』で『平静』で『霊性人間』なのです














