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てっちゃんの明日を探して

小説やドラマの感想、それと時事問題について、思ったことを書き殴るブログです。

東山彰良さんは奥行きのある物語を紡ぐことのできる作家であり、美しいラストシーンを描ける作家だ、と私は思っています。

この小説もまさにそうでした。

 

『邪行(やこう)のビビウ』下差し

 

物語の舞台は、独裁者が治める架空の国、ベラシア連邦のルガレ自治州。

独立を求めて反乱軍が決起しているこの州では、古くから「自分の足で家を出たら自分の足で帰るべき」と言われ、死者を歩かせ家族のもとに連れ帰る「邪行」という呪術が伝えられています。

ただし、これは「死者を蘇らせる」術ではありません。

死者は死んだまま、ただ歩くことができる、というだけで、ゾンビのように人を襲うこともない。

この呪術をになうのは邪行師と呼ばれる人々であり、彼らが死者をぞろぞろ連れて夜歩く「通称・夜行列車」は、政府軍にも妨げられることのない、この地の大事な大事な習俗です。

 

物語の主人公は、赤い髪の17歳の女性邪行師、ビビウ。

かつては、「女は邪行師になれない」と言われていたのですが(なれるのは童貞の男だけびっくりだから貴重爆  笑)、彼女の母は、邪行師をしている叔父(日本マンガのオタクなの爆  笑)に育てられたために自然と術を覚えてしまい、やがて天才邪行師として知られるようになります。

ただ、とても美人だったのが母の不幸。

美人が夜中に1人で(死人はカウントされない)山野を歩いていたらどうなるか。

そんな悲劇の結果、母はビビウを身ごもり、お産で命を落とします。

産まれてきたビビウは孤児になるわけですが、やはり叔父(正確には大叔父ね)が引き取って育ててくれ、そのせいでやはり邪行師になりたいと言い出すのです。

こういう「死」にまつわる職業に就く人々が差別されるのは、古今東西どこでも同じ。

ビビウも激しい差別にあい、侮辱されたりいじめられたりするけれど、彼女はめげない。

さらに、心優しき彼女は、政府軍、反乱軍を問わず戦死者を家に帰すため東奔西走するのですが、ひょんなことから、とんでもない陰謀に巻き込まれてしまうのです・・・。

 

東山さんの小説の主人公は、たいてい悲劇に見舞われます。

「ヒーローは死なない」なんて予定調和はあり得ず、命を落とすことも多々あります。

ビビウもまた、命を差し出さねばならないような絶体絶命の危機に陥ります。

そのときの彼女の選択。

これに私は首をかしげました。

「え?なんでそっちを選んだ?」

でも、さすがは美しいラストに定評がある東山さんです。

ラストで彼女の選択の訳を知ったとき、読者は胸が締め付けられるような思いを味わうはずです。

 

というのも、物語の中で、ビビウは再三、自分のせいで独裁政府に殺された(と本人は頑なに思っている)アイク・リンという先輩のことを思い出します。

このアイク、顔がいいのだけが取り柄の、女ったらしのろくでなし。

でも、ビビウは彼にひたむきに恋をしているんです。

「まあねえ。17歳の女子だからねえ。イケメンには弱いよね~」

なんて思っていたら!!

さにあらず。

 

ビビウは命の危機に向き合ったとき、2つのドアの幻を見ました。

彼女はこのドアがどういう意味をもつのか、よ~~~く知っています。

右のドアを開ければ、死なずにすむけど、すべてを忘れてしまう。

左のドアを開ければ、いちばん幸せな記憶に包まれて死んでいける。

普通は右を選びますよね?

記憶喪失になったって生きてる方がいいもんね?

でも、ビビウは迷わず左を選びます。

彼女が命よりも大切にした記憶。

それは彼女がアイク・リンを愛した理由につながる記憶です。

辛いことばかり多かった彼女の人生において、この記憶の美しさは唯一無二のもの。

彼女を襲ったあまりに残酷な運命の最後にこのシーンを見せられると、読者もきっとこう思うはずです。

「ああ・・・確かにこれは、こんなにも美しい思い出だけは、何があっても手放せないよな」

 

ここでいきなりの余談ですが、友人Fは犬3頭、猫1頭と暮らす動物好きです。

彼女がかつて子犬を飼い始めたとき、そのコはたった2週間で天国に旅立ったそうです。

動物病院のベッドで血を吐く子犬にすがって、Fが泣きながら名前を呼ぶと、そのコはぐったり横たわったままシッポを振ってくれました。

何度も何度も。

たった2週間一緒に暮らしただけなのに、その子犬は自分に名前をつけ、何度も何度もその名を呼んで、自分を愛してくれたFを「ボクの飼い主」と認めていたんです。

死の床でもFに会えてうれしかった。

だから、どんなに苦しくても「ボクの飼い主」が名前を呼ぶ声に応えたかった。

そのコもきっと、Fや、Fの子どもたちや、仲間の犬との幸せな思い出に包まれて、召されていったのではないかと思うのです。

 

記憶には、思い出には形がない。

当人しか触れることができないので、他人とは共有できない。

だから、お金には換算できないし、何かと引き換えにもできない。

それでも。

だからこそ。

自分にとって何よりも大事な人との、幸せで大切な記憶は、命よりも重い・・・こともあるんですね。

 

物語の最後の最後に登場するバイクタクシーの運転手が、ビビウとともに危機に立ち向かった政府軍の元軍人・ケーリンに「あんたは天国を信じてるのか?」と聞かれてこう言います。

「おれたちはホクロ(独裁者のあだ名)が地獄へ墜ちると信じている。地獄だけを信じて、天国を信じないわけにはいかんからな」

ふむ。

確かにそうだな。

私にも「地獄に墜ちろ!」と思う「独裁者」や、平気で人の心身を傷つける「犯罪者」が世界中にたくさんいる。

彼らにはぜひとも地獄に墜ちてほしいし、そう信じたい。

であれば、うちの猫やFの子犬が、天国で楽しく遊んでいることも、信じてもいいのかもしれないな。

 

この小説で唯一残ったナゾがあるんですよ。

ケーリンは「英雄」に祭り上げられた直後、自分でも知らなかったヤバイ出自がバレて、強制収容所送りにされます←独裁者と強制収容所ってセットなんだよな

その秘密を知っていて、政府の上層部に進言できた人物はたった1人。

あの優しい彼がなぜそんなことを?

ビビウのためでしょうか?

東山さんはそこの解釈はあえて読者に託したのでしょうが、東山さんの筆で彼の心理も読んでみたかったです。

 

あなたのもっとも大切な懐かしい記憶はなんですか?

 

「それはあれよ照れ」と即こたえられる方に、ぜひ読んでほしい1冊です。

エンタメ小説としてもBERRY GOODグッなので、ドキドキハラハラがお好きな方もぜひ。