「コープみらい」という生活協同組合がある。以前は「さいたまコープ」だったが2013年、東京・千葉の生協と一緒になりこの名前になった。

 

   他の店と同様、ポイントカードがある。妻が組合員なのでカードを持っていた。私が店に行くときは妻から借りて使っていたが、いちいち借りるのは面倒くさいなーと思っていた。あるとき、店の人にその辺を尋ねたら「家族だったら問題なく家族用のカードが作れますよ」と教えられ、晴れて(?)、自分用のカードを手にした。

 

   買い物のたびに200円につき1ポイントが計上される。1ポイントは1円の価値があり、別の買い物の精算のときに現金扱いができる。私は、たまったポイントを端数の支払いに利用している。

 

    9月の終わりころ、いつも行く小さなコープ(ミニコープという)に入った。小さい店舗なので入り口からわずか右側3メートルくらい先にレジがある。かごを手にしたとき、レジの人が「いらっしゃいませー」と言った。いつもと声の感じが違うなと思ったが気に留めず、目を合わせることもなく、目的の品物を買いぐるっと回る感じでレジに戻った。

 

   レジにいた店員は初めて見る若い女性だった。まだ入ったばっかりの雰囲気がただよい、緊張しているのがありありと判った。慣れない手つきで精算かごに移し結果が出た。777円だった。私はいつもの調子で「悪いけど7円引いてもらえますか」と言った。

 

   そのときの女性の返答は「いえ、そんなことできません」だった。戸惑いながらもキッパリした口調だった。「えっ!」と思ったが、次の瞬間、事態が飲み込めた。私は「いや、ポイントからですよ」と返した。店員も分かったようで、あわてて「あっ、すみません」といい画面を操作した。待っているあいだ、何か言いたくて考えた。恥ずかしそうにその後の手続きを行っているので怒る気はしなかった。精算かごを持つ直前、「さっきは面白かった」と声を掛けた。若い店員はもう一度「すみません」と言った。

 

   帰りの車の中で、思い出し笑いが止まらなかった。今思えば、私の人相がよほど悪かったのだろう。「悪いけど」の言葉も良くなかったかもしれない。慣れないとこういうことはあるよなと思い、楽しい思い出にすることにした。

 

   本人の名誉のために付け足し。二日前、買い物に行ったらレジにその女性がいた。知らんぷりして今回も同じように「端数の8円、引いてください」と言ったら、何の問題もなく事は進んだ。慣れたのだろう。顔がちょっとはにかんだように見えたので、「あのときのオヤジだ」と気づいたかもしれない。

 

☆本文と関係ない今日の575

  新たまを 聞き間違えて 恥をかく

   

★今日の写真

(和歌山県串本町の橋杭岩:今年9月3日撮影)

 

 

    9月15日頃までは全く気配がなかった「解散総選挙」がいきなり行われるようだ。16日頃から新聞、ラジオ、テレビは総理大臣の正式発表を待たずに、確定ニュースとして連日報道している。あまりニュースを見なかったものだから、半信半疑だった。ようやく日曜日の17日になって間違いなさそうだと悟った。

 

    直前の9月13日、日経新聞インタビューで「解散総選挙は全く考えていない」と言ったその人である。だから、そのときの私の気分は、“ビックリ”と“ガックリ”だった。“ビックリ”は本気でこのタイミングでやるのかという気持ちであり、“ガックリ”は権力者への深い失望だった。驚きとガックリは、やがて“怒り”に変わっていった。

 

 

    政治や社会に対する私の関心は、ここ数年、「日本の民主主義」である。大げさに言えば、民主主義を各分野に広げ発展させることが現代に生きる私の仕事だと思っている。

 

    ここで言う民主主義の意味は二つ。一つは手続き上の民主主義である。あることを成すときにその流れが手続き上合理的であるかどうか。もう一つは成そうとする中身の問題である。それが、より多くの国民の利益(国民主権)に合致しているかどうか。

 

    その視点で見たとき、今回決定されようとしている解散総選挙なるものは、あまりに理不尽ではないか。丁寧に説明すると言った権力者と周辺の人たちは、野党の臨時国会要求を3か月も引き延ばした末に冒頭解散で蹴散らすことにした。解散で問いたい中身は後付けすることにし、「今なら勝てる」を唯一の動機にした。これが民主主義の発展に大きな邪魔者になっているだけでなく、今ある民主主義のレベルも下げていくのは明らかではないだろうか。

 

   

 

    加えて言えば、私は森友・加計問題を民主主義の視点から大いに注目していた。小さい問題どころではない。この問題は、日本の民主主義のレベルが試される絶好の機会だと見ている。税金の公平な使い方、政治の透明性や平等性から考えて、ちゃんと解明できるかどうかが日本の政治家や国民に問われている。

 

    それらをすべて葬り去り、解散総選挙でチャラにしようというのは国民や野党に対する究極の侮辱である。さらに言うと、すべての決定は最終的に誰か個人が行うものだ。今回で言えば安倍晋三首相になる。どんなに権力をもっていても、決定への責任を彼は負うことになる。責任追及を迫るのも基本は一人一人の個人である。私は、私を侮辱した上に民主主義を破壊しその進展を阻害する責任を追及したい。そういう個人になりたいと思う。

 

    最初の“ビックリ”と“ガックリ”は、今振り返れば安倍さん個人に対する「この人、何なのだ」という気分だったのかも知れない。9月20日の朝日新聞投書欄の“かたえくぼ”には「きったねえ」というのが載っていたし、知り合いは「サイテー」という言葉を吐いていた。私は「うそつき―」と言いたい。

 

  国民一人一人が(賛否はいろいろあっても)言葉を紡いでいくのが民主主義にとって大切だと考える。今まさに日本の民主主義は「存亡の機」(実は「危機」だと思ってた)にある。テレビで、ある評論家が「総理はまだ何も言っていない。説明を聞くべきだ」と言っていた。本日、安倍晋三氏による説明があるようだが、そこで彼が「いや、私は解散総選挙なんて一言も言っていませんよ。だからやりません」と発表したら少しは見直すのだが、無理だろうなー。

 

    他にも、「解散は首相の専権事項?」とか「北朝鮮問題を利用?」とか言いたいことはあるが、久しぶりに更新して疲れたのでここでやめる。首相の発表前にと思ってアップするものである。

 

☆今日の575

 美しい 稲田と今年 言いにくい

 (いい季節なのだが、汚したのは大臣)

 

★今日の写真

(丸山千枚田:三重県熊野市で今年9月3日撮影)

 

 

 

   先日、郵便局に出かけた。いつも行く局でなく車で10分の隣町の郵便局だった。自分名義と妻名義の通帳に入金のためだったが、ATMは局員のアドバイスを受け操作するご婦人がいて時間がかかりそうだったので、局内にいるスタッフに声をかけた。中でも大丈夫というので窓口で手続きをすることにした。

 

   さほど時間もかからず終了した。通帳を受け取ろうとしたとき、担当した男性職員から予想もしない声をかけられた。「私の母と同じ名前でしたので‥」と言うのだ。

 

   意味はすぐわかった。妻の下の名前はびっくりするほど変わっているわけではないが、同名の人は今まで一回しか見たことがない。テレビの、番組の終わりに流れる制作者一覧のテロップだったと思う。妻の名は(一応個人情報なので仮名)「しほ乃」という。

 

   局員は自分の母親と同じ名前だと判って嬉しかったのだと思う。私は突然の声掛けにちょっとビックリしたが、少しうれしくもなり「へぇー」と言い、「出身はどこ?」と訊いた。「九州です」と答えたあと、「“ほ”を“お”と読ませる人はいるんですが、私の母もそのまま“ほ”なんですよね」と続けた。「せっかく共通の話題ができたから、またこの局に来なくちゃ」と言ったら、男性は「よろしくお願いします」と律儀に返した。

 

   これだけの話だが、なんだかいい気分になった。嬉しさを素直に表現した男性局員の話しぶりが、空間をおだやかなものにした。ふだん窓口でもATMでもお互い事務的にしか対応しない郵便局でこういう体験ができるとは思わなかった。

 

   人はこれだけのことで爽やかな気持ちになれる。職員は私どもの長男と同じくらいの年齢だった。

 

★本文と関係ない今日の575

  うっかりと 地雷を踏んで 長期戦

       (相手はだれでしょう)

 

☆今日の写真

 (昨年5月撮影:福島県、表磐梯)

 (今年5月撮影:埼玉県越谷市)