夢の中へ…。 | 日は照るとも 絶えずとうたり テッピンブログ  ~松永鉄一朗~

日は照るとも 絶えずとうたり テッピンブログ  ~松永鉄一朗~

2020年松永鉄九郎門下として、松永鉄一朗を襲名しました。
鉄九郎師匠大阪お稽古場での様子や神戸での邦楽イベント情報などを中心に綴ってまいります。
古典芸能の楽しいところをたくさんお届けできるように綴って参ります。
よろしくお願いいたします。


みなさんには叶わないと思った夢がありましたか…。
私はいま会社の社長という立場になりました。

でも、これは叶わないという夢だったのではなく、夢にもなかった立場です。
必然的に事が起こり、一介のサラリーマンから社長になりました。

でも、社長になろうと思えばなれるのではないかと考えます。
そんな形でも社長は社長…今から20年前に心臓病を患い、それでも止まぬ激務の中にいた自分を見直し、17年前に体と年齢と家族のことを考えてゆっくりやろうと思って独立して…それが違う方向へ進んでしまって、想像以上の規模になって多くの仲間たちと仕事をすることになりました。

出来るんならやったらええやん…。それが大きくなったのが今の地位なので、夢とはまた違う方向でした。
仕事上の夢はあります。でも、それは叶わない夢でなくて、叶えられるから見る夢で…。
今回の名取式の夢とは全然違うのです。

左に忠五郎家元、右に鉄九郎師匠。
私に取ってこんなに感慨深い写真はありません。

これが夢見る夢で、叶わないはずの夢だった姿のなのです。
色んな事情があって父母が揃わなかった幼少期。

でも、違いなく祖父母は鐡吉治であり、鐵吉佐であり父母は和佐次朗、鐵吉庸と全員が松永流の名取。
私は早くに祖父母とも離れて暮らしたので、松永の名前に近いのに名乗ることはできない人間だったのです。
それぞれの顔も声もまだ目や耳の中に残ってます。

実家の距離は徒歩1分。
なのに会えない祖父母への思いや長唄への憧れは時を超えて持ち続けてました。
母方の家に引き取られ、小唄を毎日のように聞き、習う歌や三味線も小唄ばかり…。
やがて、思春期になり小唄のゆっくりした風流な部分がどうしうても聞き入れられなくなり、母にこっぴどく叱られました。
 

そうなるとどんどん遠ざかる長唄への思い。
言い出せなくて、50過ぎまで習うことなくきました。
そこから、ご縁で鉄九郎師匠に教えをいただき、弟子にしていただくことに…。

ほんとに無理と思ってたことは松永流の名前をもらう事より…松永で習う事。
それが叶ったばかりか、鉄九郎師匠の弟子に…そして名取。
忠五郎家元と鉄九郎師匠の温情に感謝感激の一日でした。

 

夢を叶えていただき、喜ぶだけではお礼にもなりません。

かくなる上は上達目指して頑張ります。

今後ともよろしくお願いいたします。