広告業界が元気が無い。

電通さんが日本の広告費を発表した。
http://www.findstar.co.jp/news/syosai.php?s=201002

インターネット広告が新聞を抜いたとか、そんなことは
おいておいて、今に始まったことではないが、
広告という産業そのもののパワーが
明らかに落ちてきてしまっていることを示している数値。


関係ないけど、自分は
ありがたくも、「広告の無い世界」の住人となった経験がある。

90年代前半までの共産主義国家。ソ連。
は、基本的に広告が無かった。


いや、政府が出す政治的なプロパガンダ系のポスターや
「告知」はあった。

どこどこでパンを売ってますよ。程度の「案内」もあった。

だけど、いわゆる資本主義社会に当たり前にある
(最終的に)売上を上げるために打つ広告。
ってものが無かったと記憶している。

パン屋の看板は「パン屋」、薬局は「薬局」、
魚屋の看板は、どこに行っても「魚屋」。

「焼きたてパン モンサンミッシェル」とか
「ケロちゃん薬局」とか
「鮮度の魚政」

みたいな、個性を活かしたネーミングは一切無い。
あったとしても「レニンスキー通りの魚屋」程度の
場所を示す枕がつく程度。


当然、商品も単一。あっても2~3種類程度。
パッケージには商品名があるだけ。(だった記憶)
(国営企業のブランド名が記載されてる程度)

「りんごジュース」「ノート」「ビール」

まあ、非常に分かりやすい。

が、人々が
好みやこだわりを基準に選ぶ楽しみは存在しない。


差別化の必要の無い社会はこうなる。


他社より努力して売上あげても、
他の人よりもお客さんに笑いかけても、
他社より目立つ看板を掲げても、関係ない。
資本、収入は一定、公平配分される仕組みだから。


そんな中、ある日その土地で、
衝撃的な「広告の力」を体感することになる。


当時の政府が進める
西欧資本への開放政策から規制が緩和され、ある日急に
街中に、ペプシコーラのラッピングバスが走り出したのを
目の当たりにしたとき。


ある日、突然
目の覚めるブルー基調に情熱的な赤いラインの
引かれたの大きなカンの注ぎ口から、光の加減で濃淡の付いた
茶色い液体が勢い良く飛び出し、その先端にはシズル感溢れる
今にもパチパチとはじけて飛び出してきそうな
コーラの泡を描いたラッピング広告バスが目の前に
何台も走り出したのだから。

そんな光景は、今の日本ではごく当然で誰も気にしないような
自然の街の景色だ。

しかし、この当時のソ連という国においては
この、色彩に満ち溢れた「ただのバス」は
今まで排気ガスで汚れ、ダークな色味の服装の人々が下を向いて歩く
淡色、灰色の街の風景を一気に変えた。


普段特に気にすることもないであろう
一交通手段でしかないバスに街中の人が注目し、


バスの利用客もあえてラッピングされているバスを選んで乗ろうと走り回る。
普段笑わない人たちが笑顔でバスを見送る。


そんな景色を見ながら、街中が遊園地のような
沸き立ちとなっているような感覚を覚えたのを記憶している。


そしてなんか、この風景は
「きっとこれからすばらしい何かが始まるんだ」
という「希望」を感じさせるものだった。


いや、決して大げさな話ではなく。


あの時に感動した体験を思い出すと

広告ってのは、元来そのぐらいのパワーを
持っているものなのだ。と信じたい。


人の心に、わくわくするような希望とか
はっとするサプライズとかあたたかい幸福感とかを
ドガッっと植えつけるだけのパワーを持っている。
のだと。

いまや、
広告が効かない。とか
邪魔者や雑音でしかない。
という話を聞いたり、雑誌や新聞で目にしていると


雑音とはいえ、どうやって少しでも聞かせましょうかね。とか
邪魔者で申し訳ないですが、ちょっとだけ見て欲しい
のですけどね。とか


ネガティブで卑屈で小粒な広告論が
蔓延するのではないかと心配だ。


本来もっと広告は心を動かせると思うし
心を動かせる仕事をしたいと思う。