『仰天・俳句噺』〜夢枕獏〜を読みました。
俳句への興味からこの本を手に取ったのですが、テーマは俳句にととまらず、仏教、和歌、詩、縄文、神話、鬼、プロレス、釣り、登山、文壇の仲間のことなど多岐に渡っており、非常に面白いエッセイでした。
私には難しい話もありましたが、獏先生の博識と熱量に圧倒されながら、最後まで一気に読みました。勝手に親しみを込めて、獏先生とお呼びします。
この本で一番驚いたのが、獏先生の知識の膨大さと洞察力でしたが、こういう方を「博覧強記」というのですね。この言葉はある方から教えて頂きました。
しかも獏先生、小田原の方だったとは!同じ小田原出身でありながら、それも知らなかったなんて、私、迂闊過ぎました。
面白い話は沢山あったのですが、獏先生曰く「日本の三大偉人は、空海、宮沢賢治、アントニオ猪木だ。」と。
まず空海。
ここから本文引用
ワタシは、空海こそは、日本民族が産んだ、最初の世界人であると思っています。若い頃、20代の空海は、まさにロック野郎ですよ。佐伯一族の金を集めて、日本国唯一の大学に入っておきながら、そこをやめて出奔してしまうんですよ、真魚(まな・空海の若き日の名前)ちゃんは。
この時に、『三帰指帰』(さんごうしいき)という長編を一本書いて、二十代の空海はそれを世間に叩きつけるようにして、修行の旅に出ちゃう。(中略)空海のこの『三帰指帰』こそが、日本で一番古い小説です。
(中略)「四書五経」から、何から何まで、空海は、当時日本に入っていた書のほとんどを読んでいたのではないか。当時、書を読んだということは、暗記したということと、ほぼ同義と考えていい。
(中略)「このわたしが、兜率天まで行って、弥勒菩薩から直接そのありがたい教えを聞いて、もどってきて皆さんにその教えを語ってさしあげますよ。」そして、何と、空海は、自らのこの言葉を実践してしまうんですね。唐の青龍寺まで出かけて、そこで恵果和尚から、密教を学び、それをまるごと日本に持ち帰ってくるんです。(中略)
とにかく、空海、ロック野郎です。「おまえたちの考え方は間違ってるからな。おまえたちが価値あるものと思って守っているものは、ゴミのようなものだからな。」ロックそのものです。いいなあ、空海。引用ここまで。
ここで私は、5〜6年前に観た歌舞伎のことを思い出したのです。空海が、唐に渡って恵果和尚の元に行き、教えを乞う物語。思えば、あれは獏先生原作の歌舞伎だったのです。
次に、宮沢賢治です。
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宮沢賢治の詩の多くは、ぼくにとっては天鼓の響きを持っています。言葉をひとつ書くと、その言葉が増殖する。増殖して増殖して止まりません。(中略)
『ヘッケル博士!わたくしがそのありがたい証明の任にあたってもよろしうございます。』
これですからね。ヘッケル博士というのは、その昔、(中略)人間の子供は、母の胎内で、魚の状態、爬虫類の状態、哺乳類の状態を経て、人の胎児となる、という説を唱えたんですね。
人の赤ちゃんは、胎内で進化の歴史をなぞってから、人間として生まれてくるということです。(中略)つまり、人間の体内進化を証明する任にあたってもいいと、突然ここで、賢治は言い出すんです。もうめっちゃくちゃでしょう。
(中略)ぼくは、賢治の「永訣の朝」という詩が好きでした。賢治が大好きだった、妹のとし子が死ぬときの詩です。(中略)賢治は、この日、大好きな大好きな妹のとし子が死んでしまうことを知ってるんだ。それで、どうしていいかわからない。とし子に何かしてあげたい。でも、何をしてあげていいかわからない。
(中略)それが、とし子にはわかったんだねえ。「あめゆじゅとてちてけんじゃ。」賢治お兄さん、あの松の枝につもったみぞれをとってきて、わたしに食べさせて下さいー
ああ、何て優しいのか。とし子は、なんにもすることがなくておろおろしている賢治に、やるべき仕事を与えてやるために、みぞれをたのんだんだよ。それが、賢治にもわかったんだねえ。だから賢治は、「わたくしをいっしょうあかるくするために」と書いている。
(中略)とし子は、自分のことばかりで苦しんでもうしわけない、次の世ではみんなのために苦しみたい、て言ってるんだよ。これを、賢治は聴いちゃった。これはもう、賢治は、後の生き方をとし子に決められちゃったんだよ。それは、「菩薩行」だ。
(中略)賢治の心にはね、修羅があった。それはいったい何だったのか。このごろ指摘されるところの、同性愛者としての葛藤であったのか。あるいはまた、妹のとし子への、過剰なる愛であったのか。
(中略)賢治の死後、わかったことがある。それは賢治が、春画のコレクターであったということだ。あるいは、このあたりのことが、賢治の修羅と深くかかわっているのではないか。賢治は『法華経』を信仰するブッディストであり、その分、常の人間より強い何ものかが、そこにはあったのであろう。なにしろ、死んだのは三十七歳である。引用ここまで。
昨年、賢治の小説を何冊か読んだのですが、詩は読みませんでした。詩って難しいイメージがあって。でも、今回獏先生の鑑賞を読んで、こういう意味なんだと教えて頂いたので、今度詩も読んでみたいと思います。
『仰天・俳句噺』、私にとって未知のことが沢山書かれている、すごく面白い本でした。お勧めの一冊です。

















































