1.浜田盟子さん(美しいソプラノの歌)と阪井和夫さん(伴奏と歌)のコンビのコンサートでの出逢いの話
・藤沢カトリック教会が2人を招いて行った特別コンサートでした
・当時、次男は本人の意思ではなく諸事情で学校に行かず、フリースクール的な活動をしていたYMCAにかなりの頻度で行っていました。そのYMCAの親切な方が、わたしを上記の特別コンサートに誘ってくれたのです。
☆浜田・阪井のお二人のことは事前には何も知りませんでした。それが、浜田さんの澄んだ美しい声と、歌詞の心に打たれて、自分では思いがけもしなかったのに、コンサートのはじめからいきなり涙が溢れてしまいました。宗教的な感動ではなかったです。それより、浜田さんの歌声があまりにも美しかったこと、加えて、自分が親として、あるいは家庭生活の主としてまったく不甲斐ない役割しか果たせていないことに対して、反省や悩みがどっと心に迫ってきたことのためだと思います。
コンサート後にすぐに調べたら、コンサートでの歌の歌詞は、すべて、水野源三さんの詩を歌にしたものだと知りました。
2人のコンビで出している水野源三さんの詩を歌詞にしている2種類のCDを買い、ずっと繰り返して聴いています。
「草笛」“瞬きの詩人”水野源三のこころをうたう
作曲・うた/阪井和夫 うた/浜田盟子
1994 OSAKA SHALOM OF JAPAN
言葉を心を
「瞬きの詩人」水野源三の詩、他
浜田盟子・小川裕子・阪井和夫
1996 OSAKA SHALOM OF JAPAN
2.コンサートでの歌の歌詞を作った水野源三さんのこと
水野源三さんは1937年1月長野県埴科郡坂城町に生まれました。坂城町は千曲川と信州の山々に囲まれた美しい町です。
1946年8月、源三さんが9歳のときに赤痢に感染し、終戦後間もないことから医療状態が悪く、42度の高い熱が2~3週間も続きました。ようやく熱が下がった時にはて脳性麻痺で手足口が不自由になりました。
水野源三さん
12歳になったある日、筋委縮症という難病を身に負いながら決死の伝道をされていた宮尾隆邦牧師の訪問により、彼ははじめて神の愛と救いに触れ、人生が変わりました。福音を信じ洗礼を受けました。お母さんが聖書のページをめくったそうです。
水野源三さんとお母さん
3.源三さんは「瞬きの詩人」
詩作では、お母さんが50音表を指差し、源三さが瞬くことで応え、お母さんがノートに詩を書きました。それて源三さんは、「瞬きの詩人」と呼ばれます。「お母さんの帰天後は弟さんの奥さんが交代して、47歳まで詩作を続けました。
4.阪井和夫さんと浜田盟子さんのこと
(1)阪井和夫さん
小学6年生で失明し、一時自暴自棄になりました。1986年宗教曲を主にとりあげて歌う合唱団“エバーグリーン・コール”を結成。1989年、水野源三の詩と出会い、彼の詩を中心に歌うシンガーソングライターの道を歩みます。以来浜田盟子さんとのコンビでコンサートを続けています。
(2)浜田盟子さん
1986年宗教曲を主にとりあげて歌う合唱団“エバーグリーン・コール”結成の手伝いをし、またソリストとしても阪井氏より指導を受けました。
以来、阪井氏とコンピで教会などでのコンサートを息長く続けています。
讃美の集い「瞬きの詩人・水野源三を歌う」
(これはわたしが出逢った藤沢カトリック教会での特別コンサートとは別)
【2022年4月17日、枚方コミュニティ・チャペル、イースター特別集会
特別ゲスト:阪井和夫さん・浜田盟子さん】