今年最も大きかった喜びのひとつは、Avishai CohenMark Guilianaの生演奏を初めて、しかも年内で2回も間近で観ることが出来たことだ。

今思うと、去年の秋頃に本格的にAvishai Cohenの音楽に恋に落ちて、そこからリスナーとしても音楽家としても怒涛の勢いでモダンジャズにのめり込んでいった自分がいた。その過程で、元々長く愛聴していたDavid Bowieの遺作に参加したドラマーMark Guilianaの本域としてBeat MusicMark Guiliana Jazz QuartetGently Disturbedを知り、彼のドラムについても実に大きく、深い解釈や追究の機会を頂けた。今の自分にとって当時最も大きな存在だった音楽家の活動、その最もホットな変化の部分をよりにもよって体感させて貰えるだなんて、思ってもみなかったのだ。

2月はAvishai Cohen Trioの、当時1ヶ月以内にレコーディングした新曲群を携えた緊急来日。7月は長い時間を掛け、バンドとして結実したMark Guiliana Beat Musicの最新作にしてひとつの到達点「Beat Music! Beat Music! Beat Music! 」の公演。これらのライブは過去には確実に無く、先にもあるかどうか解らないくらいに、最も自分の音楽に対する根本的な感動を引き出して貰えた素晴らしい体験だった。涙を流しながらも11秒余すことなく、全身で演奏を感じることに費やした。手先足先、アイコンタクトを凝視した。時には目を閉じて、彼らのアプローチから浮かび上がる恐らく共通と思われるイメージを頭の中に描写した。21世紀、既に新しい音楽となるものは出尽くしてしまったと言われて久しいが、新しい領域を探し、自分の技術を、周囲のコミュニティを育て続け、新しさを更に前へ進める彼等のあまりに美しい精神がそこには在った。



そのうえで、この日8/31()に実現したAvishai CohenMark Guilianaの、Trioを通じた改めての邂逅というのは、彼等にとっては勿論、自分にとっても非常に大きな一大イベントだった。そこにはこの日、次の日と東京JAZZのトリを飾った20世紀ジャズを代表する巨匠Chick Coreaも大きく関わっている。

Avishai Cohenは、イスラエルでの音楽活動に限界を感じ、若くして単身ニューヨークに渡る。そこで長い間、先の見えない演奏活動を続けることになるのだが、ある日Chickのマネージャーに渡した演奏の音源がChick本人の目にとまり、Avishai CohenChick Coreaの新しいグループChick Corea Originに参加することになる。Avishaiにとっての快進撃の始まりだった。彼の変幻自在自由奔放かつ中東の旋律に精通した歌心のあるベースプレイ、そしてテクニカルながらも曲としての美しさを全面に押し出す類まれな作曲センスは、Chickのプロデュースを通じて一気に注目を浴びていった。

Avishai CohenChick Corea Originでの活動を終えた時、今後の活動拠点として選んだのはニューヨークではなく、故郷イスラエルだった。彼はイスラエルの才能溢れるジャズミュージシャンや、ニューヨークでの活動で知り合った若手の素晴らしいプレイヤー達に焦点をあて、自主レーベルを通じて彼等と音楽を作り、また彼等の作品をプロデュースしていく道を選ぶ。その自主レーベル「Razdaz」から一番最初にリリースした作品「Lyla」で、全面的にドラマーとして参加したのがMark Guilianaだったのだ。Lylaは、Markの最初の参加音源であり、この作品でMarkCDデビューを飾ったことになる。Avishai CohenMark Guilianaのリズム隊を基盤としたAvishai Cohen Trioはあまりに多面的な軸を持ち、後にピアニストとして定着したSam BarshShai Maestroと共に、後の世代まで長く演奏され、あらゆるジャンルのプレイヤーに愛される数多くの曲を作ってきた。先日ファン投票で1位に輝いた有名曲「Remembering」や、「最強のふたり」等で知られるEric ToledanoOlivier Nakache監督の2017年映画作品「セラヴィ!」にサウンドトラックとして起用された数多くの楽曲も、この時期に作られている楽曲である。更に去年2018年は当時のAvishai Cohen Trioメンバーの才能が折り重なった超名作である「Gently Disturbed」のリリース10周年記念で、Avishai CohenMark GuilianaShai Maestroの再結成が実現していたことも考えると、この時期のAvishai Cohen Trioの覚醒がどれだけ特別視され愛されているかは想像に固くない。

そんなトリオからAvishai CohenMark Guiliana、更に現在のAvishai Cohen Trioの旋律を担う新たなピアニストのElchin Shirinovという特別編成で行われるライブ。私個人、Avishai Cohenの音楽に突き動かされてきたいち人間として、絶対に見逃すことの出来ないステージだった。



このステージで私が目撃したAvishai Cohen Trioは、後に演奏した巨匠Chick Corea Acoustic Bandの演奏と比べると、非常に若さに溢れた内容だったように思う。それは、決してレジェンドに比べて劣るという意味ではなく、熟成され安心感に満ちた名演とは対極にある緊張感が、彼等の演奏を唯一無二なものに押し上げていたということである。先に挙げた「Gently Disturbed」と、2019年最新作「Arvoles」の2アルバムから中心に選曲された絶妙に趣向の違う楽曲群を、彼等の非常に繊細な演奏がひとつのステージとして紡ぎ合わせていく。

この日のAvishai Cohenは殆どの楽曲でベースソロを弾きこなし、Elchinのピアノがそれらを非常に丁寧に支えていた。最新のAvishai Cohen Trioで特徴的なのは極めて静的な旋律重視のアプローチで、歴代ピアニストSam BarshShai MaestroNitai HershkovitsOmri Morの時期に共通するピアノまでも拮抗したリズムワークというのは少しなりを潜めているように思う。しかしそれこそが、ジャズというジャンルが従来持ち合わせていたスウィングやバップ感、更にはクラシックのピア二ズムの中に共通する、旋律の美しさ自体を引き出しているように思う。特にAvishaiは近年「Seven Seas」や「Almah」、「From Darkness」等の作品で、古典音楽を参照した非常に旋律重視で静的なアレンジワークの真髄を多く披露している。そう考えると、トリオ自体のエネルギーの流れまでも静的なイメージに収束していくことは非常に自然な流れのように思える。しかし、そのうえでもAvishai Cohenの作曲は対位法が多用され、最小限の音数で非常に建築的に構成されており、となると尚更曲を成立させるにはピアニストの技術を裏づけるセンシティブさがひたすらに問われる。

Elchin Shirinovはそういった意味で、躍動感には劣るものの、非常に美しいピア二ズムを持った"適任"なピアニストのように思う。アゼルバイジャン出身のピアニストであるElchin。アゼルバイジャンは、モダンジャズのいちシーンとしてイスラエルジャズが世に定着してくる以前から、ピアニストのVagif Mustafa Zadehによる当地の古典音楽の旋律を取り入れたムガームジャズという独自のジャズが定着しており、アゼルバイジャンから出てくるピアニストは大なり小なりその側面を持った演奏をする者が多い。個人的にムガームは中東音楽の中でもイラン古典音楽の原型に近いように思う。故に中東音楽の特徴的な旋律様式の中に括られはするものの、長い伝統で培われた複雑ながらも非常に耳馴染みの良いメロディが奏でられることが多い。Elchinのピアノにも、ムガームジャズの側面はある。そのうえで彼はその音数の複雑さをAvishai Cohen Trioではぐっと抑え、むしろE.S.T的な最小限のタッチによる美しさに昇華している。ライブに行かなければ解らないことなのだが、彼のピアノはヴァース部分とソロ部分とで二面性を持ち、通常時に見せる静謐重視のプレイを、満を持してのソロパートで決壊させることがある。その時のテクニカルさ、静と動の躍動感、展開の幅の広さといったら!それこそ、ムガームジャズを通っているからこそ成し得る領域のように思う。Elchinの演奏にイマイチぱっとしなさを感じているリスナーにこそ、体感して欲しい。



さて、これに対し、普段のArvolesトリオではNoam Davidがボンゴやツインペダル等を加えた非常に音数のバリエーションに富んだセットのドラムで非常に多面的で流動性のあるリズムワークを拮抗させてくれる。それこそ彩り豊かな印象を持ち、トリオの躍動感をぐっと底上げしてくれる演奏なのだが、Mark Guilianaというドラマーだと、その印象がガラリと変わる。Mark Guilianaの演奏といえばBeat Music等での、人工エレクトロともいえる超絶技巧を絶妙なポイントで繰り出す非常にテクニカルな演奏が作り出すグルーヴ最も特徴的で、有名であろうか。しかし、それらを含め、Avishai Cohen TrioMark Guiliana Jazz QuartetDhafer Youssef作品等、一連のジャズ作品と並べて彼の演奏を聴いていると、長いキャリアの中で殆どブレていない彼の音楽性というのは実は全く別のところに見えてくる。それは超絶技巧や一級品のグルーヴとも違う、あまりに人間的な部分だ。

どんなプレイヤーにも、音像の捉え方に関しての通底した個性は存在し、そういう意味でMarkのリズム作りはある精神に基づいて常に徹底されている。それは、一曲一曲、楽曲のイメージに合わせ、リーダーシップを統合し、それぞれの演奏の合間を縫って繋げることにある。全ての技巧がその為に、必要に応じて必要な分量だけ使われている。故にピアノが活きるジャズでは徹底してブラシで裏方を演じ切る。自分のではなくあくまで共に演奏するプレイヤーの歯切れの良いリズムワークを強調する為に、ハイハットを強く踏み込み、ここぞという時だけスネアを響かせ煽り、展開の呼吸を調える。彼のドラムの本質はどこまでいっても、そういった音楽的な機能として非常に真っ当なプレイであって、それが普段私達が"パターン"として聴いているドラムワークからすらも外れた、形に囚われないものであるというだけなのだ。

しかし、そんな彼が自らの個性を存分に発揮した演奏を残した音源が存在する。それがこの投稿の最初の方に述べたAvishai CohenRazdaz初作品「Lyla」に収録されている「Handsonit」という曲だ。後のBeat Musicにも通じるような人工エレクトロのリズムワーク、サンプリング、タイプライターの演奏に至るまで、彼の個性が彼自身の手によって集約されている。実はこのアルバムで、普段ベーシストとしてあらゆるグループを牽引しているAvishai Cohenは、ウッド、エレキのベースに加えてピアノやキーボードをもメインで弾きこなし、自分の歌まで入れている。Mark以外にも多くのプレイヤーを起用したうえで、自らの演奏やアレンジワークに関してまで可能性を広げつくした作品なのだ。そういった作品自体は、Avishaiにとってこれが初めてではないのだが、Markにとっては胸を借りるような感覚で非常に多くのことを試せた機会だったのではないかと、個人的に思っている。何よりこの作品には、後にAvishai Cohen Trioで定着するMarkのドラムの個性であり、""とも呼べるような部分も多く含まれており、聴いていて非常に初々しく、しかしこの流れの中でMarkのドラムの才能が存分にアウトプットされ、研ぎ澄まされていったのかと考えるとあまりに尊い感動を覚える。

そして、この東京JAZZのステージで、Markのドラムは、十何年のキャリアの礎を共に築いてきたAvishai Cohenの楽曲の根幹を、あまりに適切に捉えていた。Arvolesの静的な質を持った楽曲で、彼のブラシワークは""としてこの上なく光った。平素な中の微細な楽曲の変化を、スネアに対するほんの少しのストロークで適切に確実に促していく。Elchinのピアノの美しさを讃え、どこまでも個性を抑えた演奏はトリオの緊張感を後押しし、演奏に対する向かい方の質さえ向上させているように思えた。同時に、これ程Avishai Cohenの曲の美しさを捉えているドラマーもそういないと感じた。

そしてもうひとつ、当時の生演奏を聴いていなくとも、音源から感じていた"懐かしさ"をも感じた自分がいた。Avishaiのもとを離れあらゆるグループを経験する過程で、そのグループにとっての適切な音高を作れるプレイヤーとなっていたMarkのドラムが、この日はスネアのチューニングが少し高く、全体的にちょっとだけ軽く感じる、当時のAvishai Cohen Trioの音源で聴くチューニングそのままだったからだ。通常のフロアタムの後ろに更にフロアタムを設置し、ドラムソロでダイナミックなロールを爆発させる、10年前のライブDVDのセッティングそのままだったからだ。Avishaiのもとを離れてからも、彼にとってのAvishai Cohen Trioでのドラムワークは特別なもので、制作に関わっていなくとも、根幹的にはずっと関わり続けているものなのだろうと感じた。するとステージの一連はあまりに特別なものに映り、優しく丁寧な互い互いのコンビネーションの連続に熱い涙が止まらなかった。

ちなみにこの日、所謂定番曲の「Seven Seas」や「Remembering」はやらずに、特別編成を考慮したうえでの選曲だったように思う。しかし最早どんな楽曲だろうと、嵐にも耐えうる骨組のようにお互いを支え合う、素晴らしいコンビネーションを体現してくれる彼等の演奏は特別な時間を作ってくれる。私は本当に彼等の音楽を知れて、またこれから続いていくものだとしても、その大きな時間を結実させる一瞬一瞬に立ち会えて本当に幸せだと感じた。



来年はAvishai Cohen生誕50周年。このあまりに特別な時間の連続の中で、ファンになりたてな自分が何を多く語れるものかとは思ってしまうのだが、これからも沢山Avishaiや、彼の周りの素晴らしい演奏者達のステージが結実することを、また私もその瞬間にいちリスナーとして立ち会えることを願って、しみじみとこの投稿を書き起こしている。