それは間違いなく、私の人生を変えてしまった時間だったと言えるだろう。この日彼の演奏を聴けたという運命に、どれ程感謝するべきか解らない。そしてこの奇跡の公演を届けに来てくれたシャルル・アズナヴールには、一生を掛けて感謝していくしかない。



9/19(水)

Charles Aznavour Japan Tour 2018

奇跡の来日公演

────大阪NHKホール



シャルル・アズナヴール、奇跡の来日公演と題されたこの日は、彼のしぶと過ぎる音楽精神と日本のファンの声援が作り上げた公演だ。一部のファンには「4度目の"最後の来日公演"」とまで言われている。なんと今年で(2018年)彼は94歳になった。普通はもう、いつぽっくり逝ってしまうか解らない、ましてやコンサートなんて出来たもんじゃないってな年齢だろう。だが彼は、日本公演の予定を入れてくれた。

そしてそのニュースを見た時、私は心の底から震え上がった。というのも、この前のシャルルの来日が2年前のことで、そのタイトルが「最後の来日公演」。それを見逃してしまっていたことを、非常に後悔していた矢先の報だったのだ。

私はすぐ2枚のVIP席のチケットを取り、シャンソンファンだった母を誘った。ピアフやイヴ・モンタンのレコードが好きで、若い頃よく聴いていたという母に、あの時代の歴史と熱をそのまま持ち合わせているシャルル・アズナヴールの本当のシャンソンを聴かせたかったのだ。

ちなみに、当初予定されていた来日公演は5月。なんと公演の一週間前にシャルルったら、自宅で階段から落ちて骨折してしまう。公演の延期・払い戻しのお知らせを見た時は心臓が止まるかと思った!当然、払い戻しなどしない。どうか、どうか無事生きて日本に来てくれることを願いながら、ついに9月、夢にまで見た「奇跡の来日公演」を迎えることとなった...(ちなちに9月といえば丁度台風で関西空港が使えなくなってしまった時期で、ティグラン・ハマシアン等来日公演関西周辺スタートを予定していたアーティストは皆その予定をキャンセルせざるを得なくなっていた。シャルルは5月に大阪→東京と回る予定だったものを、9月に延期した時は東京→大阪と変更していた為に見事中止を免れたのである。これも奇跡!)



先に終えた東京公演は新聞にも載り、期待が高まる中での大阪公演当日。回りは劇団にいそうなチョー美形な方々や、も~そりゃ色々収集してそうなおじさま方、セレブそうなおばさまばかり!有名人もいた気がする。ラジオ番組のDJの方も見えた。そんなどこか厳かな会場にとにかく慣れないふたり。しかもVIP席、前から6列目の超間近。場違いじゃないかね私達、そんなことないわよ母さん、みたいな会話を何度も重ねる。そんななか、ついに公演開始のブザーが鳴った。


杖もつかずに颯爽と現れるシャルル・アズナヴール!即座に歓声と拍手が沸き起こった。

演奏が始まりシャルルが歌い出すと、とにかく94歳という年齢故の衰えを全く感じさせないその素晴らしい歌声に、私の心はおろか目も思考も全てを奪われてしまった。あまりに文句のない、神の歌そのものだった!

それはカルロス・ガルデルやエディット・ピアフ、歴史に永遠に名を刻んだあらゆる歌手がひとつだけ遺せなかったもの、年老いていくなか尚も残り続ける唯一無二の本格。

当然だが年齢とともに出せる声の高低は狭まっていく。それ故に高さや上手さを美学とした歌というのは加齢とともにその新鮮味を失ってしまうことが殆ど。

シャルルの歌声はむしろ、それを受け入れ、歓迎していた。幅広くなくとも確実に取れる音程。激情的でなくとも伝え切れる表情、その振れ幅。技巧的な幅を無くしたからこそかえって集中し洗練されたその歌声。最早私達の想像しうる、演じ手としての歌などとうに超えていた。小さな頃は家庭を支え、ピアフの弟子となってからはピアフの意志を継ぎ、有名になってからは若き後進を育て、故郷アルメニアを大地震が襲った時はその故郷の人々をずっと支え続けた...あらゆる人々に対する誠実な愛の心が94年の歳月を掛けて作っていった、人生、体を使い切った心そのものからの歌であった!自分の立場などではなく、人を護り、人を愛し、人を育てる為に練り上げられた彼の歌の本域を感じ私達はこのうえなく最大の敬意に充ちた涙を流した。

彼が何を歌っても、幸せを呼び込むことが解った。

サポートミュージシャンはシックな衣装を身にまとい、ひとりずつ顔だけを見ていくと、40、50ぐらいのこの道何十年といったベテランミュージシャンばかりといった感じだった。しかし、シャルル・アズナヴールのバックで彼らは、まるで心の底まで若かりし頃に帰り、のびのびと演奏しているように見えた。楽しさや幸せを、受け取り、支え合うように。シャルルが最前線で歌い続けることが、確実に周囲に活力を与えていることを感じたのだ。

そして、シャルル自身のステージでの振る舞いも相当に凄かった。

杖も無しにステージを歩き回り、手振りや表情の変化で楽曲の展開を細かに指揮する。時には椅子に座り、静かなる威厳を放ちながら歌そのものの魅力を聴かせる。ラ・ボヘーメではハンケチーフを操りかの有名なマイムを一切の妥協なしで伝えてみせた。

ちなみに、杖は公演の途中でスタッフが持ってきていたのだが、シャルルはそれを殆どまともに使っていない。演奏者を指すのに使ったり、果ては最後「世界の果てに」を歌い終わったあとステージ裏のスタッフに投げて返してしまうwwそれ程に、本当に元気だったのである。

なんとこの日彼は一切の休憩を取らず、22曲もの楽曲を水も飲まず歌い切ったのである!



文句のつけようもなければ、本当に誰も見せられないような奇跡のステージをこれでもかという程に見せつけてくれたシャルル・アズナヴール。彼の凄まじさに対し、鳴り止まない拍手が絶え間なく送られた。

ステージを後にする彼の後ろ姿を、その優しく謙虚な面影を今でも覚えている。

私はあの日を、あの時間を、あの光景を、決して忘れることが出来ないのだ。




何故なら、あれがシャルル・アズナヴールの、人生最後の公演になってしまったからである。

奇跡の来日公演から12日後の10月1日。シャルル・アズナヴールが自宅で亡くなっているのが見つかったのだ。

日本では大して取り上げられなかったものの、フランスやヨーロッパ諸国では大ニュースとして一週間以上もニュースに取り上げられていた。



私は訃報を母に伝え、ふたりで声を出して泣いた。何度も、本当にありがとうと、空に向かって伝えた。

一週間は、思いがけないことの連続だった。シャルルの葬儀はフランスで国葬としてとり行われ、諸国大統領も駆け付けたと報じられていた。また、彼の故郷アルメニアは葬儀の執り行われた日を「追悼の日」とし、休日としたらしい。

哀しみの気持ちが抜けないまま、過ぎた月日を思いながら、今もまだ少し信じられない自分がいる。

私と母は、フランス、アルメニアの巨星シャルル・アズナヴールの、人生最後の公演の目撃者になってしまった。つまりあの時観たステージが、結果的には彼の94年の人生全ての集大成。それをVIP席という間近で観せて頂けたことを、幸運に思う気持ちもありながら、それをもう二度と観ることも、期待することも出来ないという虚しさに打ちひしがれる思いも当然ある。



それは間違いなく、私の人生を変えてしまった時間だったと言えるだろう。この日彼の演奏を聴けたという運命に、どれ程感謝するべきか解らない。そしてこの奇跡の公演を届けに来てくれたシャルル・アズナヴールには、一生を掛けて感謝していくしかない。

彼は本当に、努力の人だった。歌手としてお金を稼ぐことは、そう簡単なことではない。いつも傍にいる誰かを護る為に、生かし続ける為に歌っていた。決して奢らず、若い者に機会を与え続け、共にあり続けた。そんな彼が94年掛けて練り上げた、人生の全てがつまった"歌"。"ステージ"。それは誰にも、思い立ち、決心した程度で真似出来るものではない。だからこそ、あれ程の愛や軌跡を秘めた公演などは、もう二度と見ることが出来ないのではないかとすら思うのだ。


そんな何物にも替え難い、奇跡を見せてくれたシャルル・アズナヴール。本当に、本当にありがとう。

あなたが居てくれたから、これから先、本当に沢山の優しい音楽が生まれてきてくれると思う。

私はあなたの音楽を忘れない。そのうえで、あなたの優しさを受け継いだ沢山の音楽を、同じように心の底から全力で愛していくことを誓う。

あなたは私が出会った中で最も偉大な、愛の音楽の父親だ。