なんて、哀しい歌声だろう。

当時作業中に何気なく流していたYouTubeTiny Desk Concertを聴いていて、あまりにも静かに、悲痛に響き続けるそのライブに一瞬で心を奪われたのが2年前。

当時彼女の演奏を確認出来る動画といえば、これとあと12つぐらいのもので、まさに最近に出てきた掘り出し物のアーティストといった感じ。音源は1stアルバムがBandcampAppleにて配信されているのみで、あまり日本にも情報が入ってきている状態ではなかったような気がする。

当時特に音源はCDで手に入れたい拘りが強かった私は(今も大して変わらんけど)、わりと購入を渋り、そのまま少しずつ忘れていった。

ところが何ヶ月か後に、大阪のタワーレコードで私は見つけてしまう。

あの時Tiny Desk Concertのライブで虜にされた、小さくも力強い女の子の1stアルバム、それも丁度最近出たという国内盤を。




そうして手に入れたのがコチラ。

なんかこういったわりかし奇跡的な出来事が起こったことがきっかけで、特に自宅の京都~大阪の移動の電車のなかでよく聴いている。Julien Bakerのデビューアルバム「Sprained Ankle」。







彼女の音楽はアメリカのエモパンクやオルタナ等からくる激情的なものがルーツとしてしっかりあって、向こうの流行りのものを聴いている人からしたらかなり受け入れやすいものがあるように思う(ごめんぶっちゃけ私そんなに聴いてないねんw)。しかし、このアルバムではその全ての音が彼女ひとりの手によって奏でられており、だからこそより力強く響いてくるものがある。

そして、込められたメッセージはそこはかとなく深刻で、辛いものだ。歌詞を見ると、薬物依存や孤独、体の痣等とても痛烈な内容のものが目立つ。


そういった言葉が、絞り出すような力強さと、いつか力尽きてしまうような緊迫感を併せ持った歌声で聴き手の心に響いてくる。竦み上がるような胸の振動に襲われ、哀しみの感情は一気に同調せざるをえなくなる。

そのうえで、ジュリアンのギターはループステーションを使用した多重録音で彩られてはいるものの、そのひとつひとつが安易なコードワークや形式的なリズムに陥ることなく、あまりにも純粋に深刻な現象の音として響いてくる。異常事態。皮膚を裂くような痛み。脈打つ血液。曖昧な時間の中を流れるネオンの色。微かな記憶。

彼女の音楽は、心の奥底に沈んでいた、幼い頃から確実に体感してきたどうしようもない気持ち、とにかく抑えなきゃいけなかったこと、ただ過ぎ去るのを待つしかいけなかったような、無力を噛み締めた時間を思い起こし、裸のままに癒してくれる。

トラウマのような痛みがそのまま心の表面に浮かび上がるが、むしろ苦痛ではない。その中で響く彼女の奏でる音や歌が、ただただ優しく、強いのだ。


Blacktopからゆっくりと、揺らめくように立ち上がるその空気感は、アルバムタイトル曲Sprained Ankleで一転、一気に患部を撫でるかのような痛感が包み込む。「死ぬこと以外についての歌が書ければよかったのに」と、のっけからあまりに悲痛な言葉がしがみついてくる。その辛さを引きずったまま、気を失うまで、その寸前のあまりに重く鋭い鼓動を捉えるようにタムが脈打つBrittle Boned。あまりに内面的な言葉と音が創り出す暗澹とした景色のなか、ゆっくりと時間は流れる。

その後はEverybody DoesGood Newsと、切りたくても切れない縁やしがみつく絶望感が白状されるようなあまりにも深刻な歌詞が語られる。ただ起伏もなく淡々と吐き出されるその言葉に、思わず目を覆い、涙を流してしまいたくなる(というか泣く)。

ここまででも相当辛く重たい空気が一貫してジュリアン・ベイカーの音楽を包み込んでいると思うが、後半はある意味前半の壮絶さが少々和らぐ一方で、それ故に隔絶されたかのような一層強い孤独な心情が描かれていくようになる。傍に在ったものが次々と去っていってしまうような悲痛と、それを痛む感情さえも失っていってしまうかのような虚無感を携え、彼女の音楽は更に深い深いところへと下っていく。

最後の楽曲Go Homeでは彼女はピアノを弾き語り、「神様、私は家に帰りたい」と願いを叫ぶ。エフェクトやループの脚色がないぶん、この曲はある意味最もストレートに彼女の言葉が心に響いてくる気がする。ある意味、思い詰めていたことを初めて告白され続けているかのようなこのアルバム。それは一見あまりに壮絶なことだが、あらゆる信仰や差別、争いが存在するこの社会という縮尺の中で、誰しもが被ったりもしくは加えたであろう危害と同調しうる。そんな危害の果てにある、一種の最悪のケースを誰よりも受け取り、誰よりも一心に歌ったアルバムのように思う。


Sprained Ankle」は、日常にやられ、何もかもどうしようもなく感じてしまった時、そんな自分を許す為に今も愛聴している。

ジュリアン・ベイカーの音楽は、何もかも聞き入れられない程とにかく弱ってしまった人の心に、誰よりも優しく同調し寄り添ってくれる素晴らしい音楽だと思う。

そんな彼女の音楽を、今年(2018年)の1月、私は初めて生のライブで体験することが出来た。

これまでに出ているふたつのアルバムから、同じくらいずつ披露してくれたが、あまりに小さな身体から発せられるその歌声は、今にも枯れてしまいそうな儚さを秘めながらも、あまりにも強く、誰よりも逞しかった。

あの時何気なく見たTiny Desk Concertのジュリアン・ベイカーを憶えていて、そして彼女の音楽にハマることを最終的に躊躇わないことが出来たことを本当に良かったと思っている。彼女の音楽と出会えたことが、奥底の部分で確実に私を生かしてくれているように思う。そう強く感じた。