アヴィシャイという音楽家がジャズという枠組みから本格的に離れだしたのがAurora辺りだとして、そこで到達した"新境地"に、定着した様子が見えるのがこの「Seven Seas -七つの海-」という作品ではないだろうか。






最も、ウードやアヴィシャイの歌唱がもたらす中東旋律や音楽性の特殊さから、所謂アメリカ式のスタンダードなジャズを好んで聴く人にとっては、受け入れにくい部分も多いらしい。

そうなるのも頷ける。私自身も、このアルバムを基本的にはジャズサウンドとして認識出来てはいないと思う。どころか、西洋古典(クラシック)と中東古典(トラディショナル)がクロスオーバーした、室内楽としてかなりの完成度を有する傑作だと思っている。


そもそも、シャイ・マエストロというピアニストのダイナミズムやピアノタッチが、純水のように格別なしなやかさで、間違いなくこの作品の格式高さを構築する要因のひとつとなっている。彼の他の作品を聴いている人なら誰でも認識しているであろう、あの柔らかく優しい彼独自のニュアンスが、あまりにも純粋に「海」としてこの作品に溶け込んでいるのだ。

コンセプトに準じ、そのうえで確実に世界観を拡げていく。彼はこの後一旦アヴィシャイのトリオを離れ、自身のリーダー作や他の名だたる名プレイヤーのカルテットに参加し素晴らしい作品を残していくことになるのだが、果てしなく広がり続ける彼のピアノの世界を、聴き手や恐らく本人にも深く認識させたのは、特にこの作品なのではないだろうか。


そして、イタマール・ドアリのパーカッションは、前作Auroraより一層トリオに浸透するものになっている。これまた今後の彼の活動の功績を裏付けることになる、非常に素晴らしいパーカッションだ。

今年8月(2018826日)にアヴィシャイのオーケストラ編成の公演で来日した時も、彼のプレイに視覚的に度肝を抜かれたという感想をSNSで多く見かけたのだが、ダラブッカ、カホン、スネア、シンバルに対して素手やスティックを使い分け、適切なタッチニュアンスで実に繊細なグルーヴを生み出すその様子はあまりに緻密で圧巻。

しかしこのアルバムでは、沢山の打楽器を使用してはいても複雑に鳴り過ぎることがほとんど無く、かなり自然な波を打って耳に届くようシンプルに工夫されているように感じる。

彼はAuroraでの参加から現在に至るまで、アヴィシャイのトリオやオーケストラ等実に多様な編成での公演をサポートしているのだが、パーカッションの民族的要素をふんだんに醸すことから、まるでドラムやコンサートパーカッションのような室内楽編成向けに洗練されたリズム隊を再現することまで、実に状況に応じて多彩に色を変えられる彼のパーカッションはアヴィシャイのここ10年の多彩な活動にぴったりのものである。






そして、勿論リーダーであるアヴィシャイのベースプレイも、相当聴きごたえのあるものとなっている。

特にジャズと中東音楽の組み合わせとしても洗練されてきたこのアルバムでのアヴィシャイのベースソロの渋さやタイム感は、まるで老成した男性ライ歌手のよう。

ベースプレイよりも歌が目立った前作Auroraに比べると、今回はかなり楽曲の空気感を重視した緊張感のあるベースプレイであると同時に、そういった目立つ部分での存在感が実に静的で熟成された色味を放っている。こういった部分は特に、数年間に渡るシャイ・マエストロとのコンビネーションの果てにあるこの作品でしか出せなかった、ひとつの境地のようにも感じる。

また、まるで物語の編を分ける語り部のように、アルバムの中で等間隔で配置されている彼の歌も素晴らしい。今回の彼の歌は、特に楽曲の一部として抑制されながらも作品を通した区分けや展開部分として見事な機能を果たしているところが大変魅力的で、七つの海という映画をより壮大で途方もない旅に仕立てている。


そう、このアルバムは最早ジャズという枠組みから解き放たれ、ルーツとしての中東音楽、それからクラシック音楽の緊張感やそれに伴う体験性を組み込んだ、非常に映画的な世界観を持つコンセプトアルバムであり、最早七つの海という組曲なのだ。

アヴィシャイの創作活動は傍から見ればとても型破りで天才的なものだが、実際はとても地道で人間的なものの積み重ねで行われている。Avishai Cohen Trioのステージ、録音からは、とにかく全てのメンバー、それぞれの音を鳴らす喜びや使命感が、そのまま聴こえてくるように思う。彼らの持ちうる全ての音が運命のごとく噛み合い、ひとつの作品として形を成していく。それを感じていると、まるで人生における出会いの奇跡に思いを馳せるような、とても愛情深い気持ちにさせられる。「七つの海」は、アヴィシャイがベーシスト、ボーカリスト、作曲家としての全てをかけて到達した新境地だが、それは間違いなく、これまで音楽を通して関わった全ての者達と共に、信頼し合いながら楽しく辿った航海だったのではないか。そう思う程に、このアルバムは底が深く、太い。間違いなく当時の集大成ではないだろうか。


このアルバムを聴く時は是非とも、バンドのメンバーと同じ船に乗船した気持ちになって、楽曲のタイトルを心に思い浮かべながら、未知の世界へと誘う音の波、その流れに身を委ね、揺られてみて欲しい。きっと素晴らしい航海の旅となる筈だ。って、最早ドヴォルザークを勧めているような記事になってしまった(笑)