読書していたら、
『理由もわからずに生まれてきて、理由もわからずに死んでいくのが、生きものの定めであり、この世の摂理なのだが、人というものは、それに無意味な理屈をつけて、あさましく悩む。』
という一文に遭遇した。
中学生の頃だっただろうか。私はよく自分はなぜ生まれてきたのかについて考えていた。
もちろん答えは出なかった。
答えの出ないまま、私は考え続け、高校生にたなったある時、友達に言われた。
「そんなん考えたら死にたくなるからアカン。やめとき」
友達も考えたことがあったのかもしれない。
それでも私はふとした時に考え続けた。
ほんのひととき、答えのようなものを捕らえることは出来たが、あくまでも『答えのようなもの』だ。本当の答えではない。 それっぽい感じの言葉を思いついただけで、芯を捉えている感覚はまるでなかった。
考えても答えの出ないことは考えてもしょうがない。
そう思い至るようになった。
昨年父が亡くなった時、 久しぶりにという言い方は少し変かもしれないが、でも久しぶりに「人はなぜ、何のために生まれてくるのだろう」と考えた。
そして思った。
これは現象なのではないか、と。
人が生まれ、人が死ぬ。それは現象のひとつに過ぎない。生まれてきたものは必ず死ぬ。この世に存在したものはいつか必ず存在しなくなる。ただそれだけ。そういう現象が起こっているだけのではないか。
現象などと表現すると「酷い言い方だ」とか「悲しい表現だ」とか「心ない冷たい考え方だ」とか感じる人もいるだろう。
でも酷くても悲しくても冷たくても、そういう現象なのではないかと私は思う。
私自身も、ただ生まれてきてただ死に行くだけ、というのは何だか悲しいと思っている。私が生まれてきたことに意味はないのかと思うと、何だか悲しい。
けれど、悲しいけれどそういうものなのだ、とも思う。
理由もわからず生まれてきて、理由もわからず死ぬ。そこに無理矢理理屈をつけることはない。理屈がつけられないことに悩む必要もない。ただそういうものなのだと受け止めればいい。
でも、ただ生まれてきてただ死ぬ、だけではつまらない。少しでも楽しく面白くいきたい。
少しでも楽しく面白く。
それが私の人生のテーマなのかもしれない。
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