数年前のことである。
私はいつものように仕事帰りにバス停でバスを待っていた。
耳にはイヤホンを突っ込んで、これまたいつものようにジャパメタを聞きながら。
そんないつもの私の帰り道にささやかな変化が起こったのだ。
筋肉少女帯の『カネーション・リインカネーション』を聞きながら、うっかりヘドバンしてしまわぬように細心の注意を払っている私に見知らぬ女性が話しかけてきた。年の頃は50代前半といった感じか。
これといって特徴のない、地味なブラウスとスカートをまとった女性だった。
彼女は笑顔で言った。
「私、今気功を習ってるんです」
気功である。彼女は気功を習っているのだ。
で、私はなんと答えたか。
「・・・はあ・・・そうなんですか・・・」
はあ、そうなんですか。これ以外に答えるべき言葉があるだろうか。ない。
いや正直に言うなら、この時私は「だから何なんだ」と言いたかった。
だって、そうだろう。
いきなり見ず知らずの女性に気功を習っていると宣言されたのだ。
だから何なんだ。これが正直な気持ちである。
突然の『気功習ってます宣言』に困惑する私に、彼女はさらにこう言った。
「肩凝ってませんか?」
肩だ。今度は肩の話だよ。ホントに何なんだ。
激しく困惑する私。そして、なおも笑顔で話しかけてくる彼女。
私の耳にはもはや筋肉少女帯の曲は聞こえない。代わりに、積極的に聞きたいなどとは全く思っていない彼女の声だけが聞こえている。耳を塞ぎたい。いや、塞いではいるのだ。だが、彼女の言葉は容赦なく割り込んでくる。
「気功の練習をさせてください。
気功は肩凝りにも効くんです。肩、凝ってませんか?」
大きく目を見開き、嬉々とした表情で話しかけてくる彼女。怖い。
いや肩は凝っている。慢性的に肩凝りを感じている。が、彼女の気功を受けたいとはこれっぽっちも思わない。だってなんか怖いじゃないか。妙に嬉しそうな顔が。大きく見開いた目が。
「肩凝ってません」
断固お断りの気持ちを込めて、力強く私は言った。
が、彼女はこう続けた。
「じゃあ腰は?腰は痛くありませんか?」
ああ痛いよ。腰も痛い。なんやかんやと、体のあちこちにガタが来てるよ。だけど、ヤだ。あなたの気功は受けない。受けたくない。どうしても。
「腰痛くありません」
冷たく言い放つ私。
「えーっとじゃあ・・・」
他に何か体の不調はないかと考え始める彼女。
何なんだよもう。こんなに迷惑そうな顔してる人になんで頼むんだよ。そもそもなんで私なんだよ。バス停には他にも人がいるじゃないかよ。なんでこんなに私にまとわりついてくるんだよ。
「あのすみませんが、私気功には興味がないので」
私は努めて冷静にそう言った。
こういう時は、たとえイラついたとしても、それを表に出してはいけない。穏やかに、かつ毅然とした態度で断る。これ大事。
「そうですか・・・」
彼女は明らかに残念そうな顔をし、立ち去った。
そう、立ち去った。
ということは、だ。
彼女はバスに乗るためにここに来たわけではない、ということだ。シンプルに気功を試させてくれる人を求めてバス停に来た、ということだ。
なぜバス停に?他に気功を試させてくれる人はいないのか?たとえば家族とか。
あ。彼女は何か人には言えないような悲しい事情を抱えて、独り暮らしをしているのではないだろうか。
ここからは私の勝手な推測、いや妄想である。
独りきりの寂しい毎日を送っていた彼女。だが、そんな彼女に転機が訪れた。気功との出会いである。
彼女は思った。
「これさえあれば、この気功さえあれば、私は人とコミュニケーションが取れる。私にも友達が出来るに違いない」
そんな希望を胸に、彼女は習いたての気功を受けてくれる人を求め、自宅周辺を歩き回り、辿り着いたのがこのバス停だった。
そして、バス停にはちょっと疲れた顔の中年女性(疲れた顔とか失礼だな)が一人佇んでいた。彼女は思った。この人ならきっと気功を受けてくれるに違いない。
だが、彼女の予測は外れ、疲れた顔の中年女性(疲れた顔って言うな。中年女性ってのもやめろ)は冷たく断ってきたのだ。
かわいそうな彼女は背中を丸め、誰もいない静かな家へと帰っていった・・・。
って、ここまで勝手に想像したら、彼女のことがちょっと気の毒になってきた。
いや、実際彼女に家族がいるのかいないのかは知らないけど。
だけど、あまりにもわかりやすく落ち込んだ様子を見せた彼女に、私はほんの少し同情した。
とは言え、やっぱり気功を受けたいとは思わないけど。
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この記事は
私が今読んでいる
星野源 著 『そして生活はつづく』
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の文体に引っ張られ、
“星野源”風味の文体で書いてみた、
いわばお遊び。
読んでくださった方も
お楽しみいただけたなら幸いです。
あ、でも。
見知らぬ女性に
気功の練習台を依頼されたのは事実です。
いろんな人がいるもんやねぇw
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