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tetote-sukumoのブログ

スローライフな農業生活をちょっとずつご紹介。

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ハイサイ!!

今日は3.11日。忘れちゃ駄目な日ですね。 

東日本大震災

神奈川に居る時、なんか出来ないかって試行錯誤しながら物資を調達したり人員を送ったり一致団結して色んなことを考えさせられた時からもう5年。
各々がなにか出来ないかって常に考えてた気がする。
運良く私達は髪を切ることができたので有志を募って5人で被災地にハサミを持って髪を切りに行ったことをいまでも良く覚えてます。


友達のそうくんのエスティマを借りて、大の大人が5人乗りこみ物資や荷物を積み込むといくらエスティマでもギューギューで身動きもロクに取れないほどの狭さでしたが、道中文句の一つも言わず一緒に東北に行ってくれました。

感謝。

私達の前に行った人間から常に話しは聞いていたし、写真などで現状というのはわかっている気でいた。

しかし、少しづつ近づいてくるにつれ景色が変わる(真夜中なんでそんなにわからないんですが)のがわかる。

神奈川からは6時間から7時間くらいかかったと思います。

まだ道も所々地割れしてたり、通行止めの場所があったりでナビか使えず先発隊の情報を地図で照らし合わせながら目的地石巻市まで。

仙台市で降り、下道で石巻まで行ったのですが、想像を絶する風景に皆が言葉をのむ。

朝日が差し込む町は既に町ではなく、綺麗な空とは相成った地上に広がる瓦礫の山にただただ呆然とするしかなく、思わず言葉にならない言葉を吐く。

凄惨なこの場所に一体髪を切るという行為が本当に必要なのかと自問自答をしてしまう。

ちょっとした偽善という気持ちはこの時に吹き飛んだことを覚えてます。

夜中に出発し、着いたのは早朝7時。

まずはボランティアの申請をしに受付センターに。

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この時役所などはほぼ機能していないので、このセンターにてボランティア証明書を頂き保険や個人登録を行います。

二次災害に巻き込まれた場合や悪いことをした時にすぐ対処出来るよう必要なことです。

無事5名とも登録許可されたのですが、瓦礫撤去や水路確保などのボランティアはセンターの職員さんが振り分け等をして各々の配置を行うのだが、私達みたいな髪を切りに来たっというボランティアはいままでに無かったらしく余計に混乱させてしまったみたいで、いま思えば申し訳ないと思うばかりです。。

代表者と話し合った結果、各避難場所の代表者の電話番号を教えて貰いアポを取ってみてとのこと。

特例で自由に動けることを許してもらえたのでそこから一軒ずつ電話してみる。

辿々しい説明で重ね重ね申し訳ないといまなら思う。

一時間ほどでやっと是非来てくださいと仰ってくださった避難所の小学校があったので、ありがとうございますと早速向かう。

小学校の名前は忘れましたが、石巻漁港の近くのそこらへん一帯で一番大きな小学校で、自衛隊さん達も駐屯してるようなとこだった。

体育館には段ボールで仕切りをし、所狭しと並ぶ寝袋や布団。


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300人~400人ほどの被災者がそこには居て、みんなが助け合いながら生活してた。

そんな大変な場所にポッと来た怪しい五人組の理美容師を代表者は快く出迎えてくれ、体育館のスペースを貸してくれブルーシートまでひいてくれ椅子も用意してくれた。

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最初はみんなキョトンとしていたが徐々に人が集まってきて蓋を開ければ大忙し。

五人ともフル回転。

髪を切りながら聞く話しは日頃営業でする軽い話なんて一つもなかったけど、それでも髪を切ると同時に色んな悪いものも切れたらいいなと思いながら切って切って切りまくった。

代表者の方が色々宣伝してくれたらしく次から次に行列ができた。

私の他の方も疲れていたでしょうがそんなもの微塵も出さず完璧な接客をしていたのが感動的でした。

ある程度落ち着いた時に代表者の方から二階に寝たきりの方が居て切ってほしいと言ってるんだけどっと言われ、取り敢えず体育館はあとの四人にお任せして私だけそちらに出向くことに。

二階は教室を寝たきりの方が使えるようベットが一部屋に4つほどあり看護師さんや保健師さんが忙しく動いていた。

私がやらせてもらったのは齢80歳くらいの可愛らしいおばあちゃんで、にこにこした笑顔はいまでも覚えてる。

寝たきりだが介助があれば座れるらしく、看護師さんが椅子に座られせてくれた。

神奈川から来ましたって言うとおばあちゃんはニコニコしながら色んな話をしてくれたんだが、やはり震災は色んな傷をつけてました。

おばあちゃんの旦那さんは残念ながら連絡がつかない状態で、心配で夜も寝れないと言っていた。

髪を切る手もピタッと止まる。

どんな言葉をかければいいのか一瞬悩んだが、どんな言葉も軽々しく聞こえそうで止めた。

理美容師というのは時に話し手も必要だが、聞き手に回るのがいいと、この時に知りました。いまでも絶好調で話しますけどね。

30分ほどで終わり、最後の仕上げでブラッシングしてるとおばあちゃんが手を差し出してきた。

ん?としてると手を取られ手のひらに飴玉が2個落ちてきた。

おばあちゃんが『これくらいしかあげれるもんがないけど、お礼に貰って』っと。

あなたたちの手は魔法の手。色んな辛いことがあったけどあなたたちのお陰で今日はすっきり気持ちがいい。こんなこと震災後初めて。

正確にはもっと方言があったけどこんな感じのことを言われた。

もう感無量で泣かずにはいられなかった。

おばあちゃんのお陰で、この場所に来ても良かったんだって自信になった。

その後泣きっ面のまま看護師さんも切りたいとのことでズビズビでカットする。

湘南のカリスマって呼ばれながら二階を後にする。

泣きっ面を隠したままみんなと合流。

ばれてないよう願う。

一階ももう落ち着いてたので、後片付けをし代表者の方にお礼をし小学校を後にする。

みんなにまた来てねっていわれたけど、私達のやっていることは現地の同業者の仕事を奪うことになるので復興の足をひっぱりそうで二の脚を踏んだ。

1日目はもう一箇所行っているのだが、文字数制限があるのでまた明日にでも書きます。

それでは今日はこんなところで。

Hava a rice day!!

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