我が家の犬も三歳になり立派な家族の一員

ソファの定位置でまどろんだり

私がソファに座るとお腹に乗ってきたり

寝ちゃったり

片側しゃくれてて歯が収納できてないけど

モモのぬいぐるみを盗んできて「俺が見つけてきたんだから渡さないぞ」という顔をしてみたり

モモのそばで眠ったり

とっても可愛い❤️

毎日家族を癒やしてくれてありがとう♫









モモに白髪が!!




とうとう10歳になりました。

身長152cm、体重45kg、洋服や靴がママと共用できるくらいの体格になってきました。今年は自転車も大人用に買い替えるなど、本当に大きくなりましたね。


今年はコロナ禍で生活が大きく変わりましたが、モモは感染症にかかったり体調を崩すことはほとんど無く、毎日元気に過ごしています。


二月には学童保育を辞め、進学塾へ通い始めました。開講まもなくコロナ禍に突入したため、以来今もほとんどオンライン受講ですが、いつもちゃんと時間になったら授業を受けて、宿題もテストもきちんとこなしていますね。字を丁寧に書くことや問題を丁寧に読むことを心掛けて欲しいなど、まだまだ頑張って欲しいところはありますが、まずはちゃんとこなそうとしている姿勢をいっぱい褒めてあげたいです。


緊急事態宣言前後から、在宅勤務をするようになったパパママと会える時間が長くなりました。ママは通勤にかかる時間が減った事でモモの学習サポートの時間がとりやすくなったことを嬉しく思っています。コロナ禍でスイミングをやめてしまったことや通塾の時間が無くなったことでモモにも時間に余裕ができ、ママのお料理を手伝ってくれたり、最近はママとジョギングやサイクリングも始めました。いつも時間に追われた生活だった時を思えば、平日の夜にソファに座ってテレビを観る時間ができるなんて、とても幸せなことです。


アニメはドラえもんやコナンなど見ていて、今年は鬼滅の刃にハマりましたね。また、ママの影響か、テレビドラマが好きで、今は「ルパンの娘」「35歳の少女」「この恋あたためますか」「危険なビーナス」「監察医 朝顔」「マネキンナイトフィーバー」など、たくさんのドラマを一緒に見ています。今年は映画館で映画を観る機会があまりありませんでしたが、それでも最近は「映画ドラえもん」「鬼滅の刃」「二分の一の魔法」を見ましたね。自宅では最近初めてハリーポッターを見ました。


ハリーポッターと言えば、今年はコロナ流行で閉園になる前にUSJに行きました。パパが犬とお留守番していたのでママと二人でしたが、ママが乗り物酔いするので、モモは一人で並んでシングルライダーでアトラクションに乗ることを覚え、ハリーポッターなど3回も乗りましたね。当時はハリーポッターのことを知りませんでしたが、乗り物はとても楽しんだし、バタービールも飲んで、雰囲気を楽しみました。


何故USJに二人で行ったかと言うと、EXILEのコンサートを見るのが目的で関西のおばあちゃんの家に泊まっていたところ「空いてるから行って来たら」と勧められたので急遽行くことにしたのでしたね。EXILEのコンサートはアリーナのとても良い席で、トロッコが通る通路側だったので、メンバーも近くで見れてとても盛り上がりました。あの直後にコンサートが軒並みキャンセルされたため、今思えばEXILEとしてのATSUSHIさんのラストステージを観ることができて、貴重な体験でした。


あの後どんどん世界が変わってしまいましたね。今年は健康で生活出来る毎日がどれだけ幸せなことか、改めて考えさせられる年になりました。


先日、「監察医 朝顔」を見て、ママは東日本大震災や阪神淡路大震災の事を思い出していました。特に阪神淡路大震災で被災したママは、ああそうだった、あの時も、今のようにいつもの日常の幸せを噛み締めていたなぁ、と思い出したのです。


そこで今年は、ママの阪神大震災の体験を話しておきます。どんな様子だったか、想像しながら聞いてくださいね。


あの日は三連休明けの火曜日の朝早い時間でした。ママは戦前に建てられた古いニ階建ての家の二階で寝ていました。襖で隔てられた隣の部屋に姉が、そして一階に母が寝ていました。


私が異変に気がついたのは、地震の揺れではありませんでした。揺れを感じる前に、眠っていた私の顔の上に、ある物が突如落ちてきて目を覚ましたのです。それは、部屋の真ん中に吊り下げられていたはずの、確か一辺80センチほどの正方形の照明ケースでした。それとほぼ同時に、寝ていたベッドの真下で何かが爆発したような衝撃音がして、背中を突き上げられるような感覚でベッドが跳ね上がり、その後上下左右何がなんだか分からないほど激しく揺れ、壁がポロポロと崩れてきました。


当時はとても寒い冬で、布団を口元まで被っていたため、落ちてきた電灯ケースで怪我をすることはなかったのですが、京間で12畳以上の広さがあった私の部屋の真ん中に吊るしてあった電灯ケースが何故部屋の隅で寝ていた私の顔の上に落ちてきたのか、全然理解できませんでした。そして、地震そのものも、地震なのだと認識できるまで少し時間がかかりました。


なぜなら、当時地震と言えば関東に多いもので、関西圏で大きな地震を経験したことが無かったうえに、地震だと理解できるレベルの揺れをはるかに超越していたのです。私は何がなんだかわからないまま、とにかく布団を被っていました。そのうちに爆発ではなく地震なのかも、と理解し始めました。まだ動けるような揺れでもなく、このままだと床が落ちてベッドごと一階に落ちるのではないかと恐怖を感じました。


少し揺れがおさまると隣の部屋から姉が「また余震が来るから気をつけて!」と叫ぶ声が聞こえました。そこでやはりこれは地震なのだと理解しました。


揺れが無くなるまでどれくらいの時間が経っていたのか、よく分かりません。もしかして数分にもならない程度だったのかもしれませんが、とても長く感じました。


実はその前日に体調を崩していた私は、揺れがおさまってもショックと倦怠感ですぐに動く事が出来ませんでした。姉は揺れがおさまると、ベランダへ出る扉を開けてベランダへ出て、同じく一階の庭に出てきた母と話しているようでした。母は外へ出る時に割れた窓ガラスで少し怪我をしていましたが、幸い大した怪我ではありませんでした。しばらくして私もベランダへ出たのですが、体調が万全で無かった上に、ひどく揺れたからか、気分が悪くなってベランダの隅で少し嘔吐しました。


二階が落ちることはなく揺れが収まったので、部屋の中に戻って様子を見てみると、それはそれは見るも無惨な状況でした。私のベッドには照明ケースだけでなく、足元には着物ダンスが倒れてきていました。布団を何枚か被っていたので気がつきませんでしたが、頭を反対に向けて寝ていたら、プラスチックの照明ケースではなく、タンスの下敷きになっていたのかもと思うとゾッとしました。


壁はところどころ崩れて外が見えており、一階へ降りる階段は壁土で埋もれて土の滑り台のような状況になっていました。


私たちは恐る恐るその階段を使って一階へ降りると、一階もさらにひどい状況でした。玄関ドアとお風呂場に入るドアが開かなくなり、キッチンは割れた食器類が散乱し、とても素足で歩ける状態ではありませんでした。


母はすぐに近所に買い物に出掛けましたが、近隣のお店では水がすぐに売り切れていて、「これしか買えなかった」とポカリスウェットを買って帰ってきました。


我が家は幸い、時々電話を受ける事が出来、また少量の電気を使う事ができました。そこで、余震が来たらすぐ庭に避難できるよう、コタツとテレビのある一階の和室を整理して、皆で座れるようにしました。トイレが使えなかったので、庭の木々の中に簡易的な囲いをして穴を掘ってトイレをしました。


地震直後、テレビでは慌ただしいスタジオの中から、アナウンサーが「四人の死亡を確認」と言っている様子が流れていました。「四人で済むわけないやろ」と思わず呟いたことを覚えています。実際、うちの近くでもマンションの倒壊などで何人もの方々が亡くなりました。


我が家は普段から母がこまめに買い物をする完全自炊生活だったため、カップ麺などをはじめとする食料品を備蓄する習慣がありませんでした。ましてや当時はまだミネラルウォータを購入することに抵抗を感じた時代です。家には一滴の水もなく、仕方がないのでコンタクトレンズを入れる際にポカリスウェットでコンタクトレンズを洗った記憶があります。


その夜、渋滞のなか普段なら30分で来れるところを10時間もかけて車で救助に来てくださった方がいて、持参いただいた食料を分けていただきました。夜があけてから、とりあえずの荷物と飼っていた犬を車に乗せて、大阪の祖父母宅に避難することができました。


祖父母宅は大きな被害もなかったため、我々は翌日から温かい食事をいただきお風呂に入ることもできましたが、時々被災した家に帰ると、近隣は大きな荷物を背負って「○○へ行くのはどっちへ行けば良いですか」とかなり遠方まで歩いて行こうとしている人々が行き交っていたり、移動に使ってそのままにしていると思われる自転車が散乱していました。高速道路や建物の倒壊で通れない道があったり、車は渋滞して原付バイクが歩道を走っていたり、火事場泥棒が横行していたり、とにかく世界が一変していました。我が家はガラス戸が割れて雨戸で隠していましたが、雨戸をどければ誰でも家の中に入れる状態になっていたため、やはり火事場泥棒が入ったようで、施錠してあった着物ダンスを開けようとした跡があり、家に帰るたび、中に誰かいるのではないかと、とても怖い思いをしました。避難していた祖父母宅の周辺と比べると、被災した実家の近辺はまるで別世界でした。


祖父母宅に避難出来た我々は不幸中の幸いだったのですが、それでもあの体験はかなりのトラウマになっています。今でもよく「今あの地震が起こったら」と考えてしまい、エレベーターに乗るのが怖かったり、大きな川の橋を渡るのが怖かったりします。たまに小さな地震が来ると、身体中が緊張感が走ります。


大地震は一瞬にして人の命を奪い、家や持ち物を物理的に壊すだけでなく、被災者の心に長年影響を及ぼします。今はモモがあんな経験をしなくて済むように祈るばかりです。ですが、地震だけでなく、今年のコロナ禍のように、不測の事態に対応できるように日頃から準備や心がけをしておくようにしましょうね。


少し暗い話になってしまいましたね。


この頃モモとママは毎日お風呂で「あっち向いてホイ」や「ヒーローゲーム」をしています。勝った方が負けた方にお湯をかけるルールですが、言い間違いなどもあっていつも大笑いしています。


こんなに毎日楽しく過ごしているのに、こんな暗い話を残すのはなんだか気がひけるのですが、いつかは話しておきたかったことなので許してくださいね。


最後に、ママはモモの笑顔が大好きです。そして、いつも面白い事を言い合って笑い合える、こんな関係がずっと続くといいなぁと願っています。


ママのところへ生まれてきてくれてありがとう。これからもよろしくね。