こんにちは tete la です。

5月です。
ただいま、ザ・ゴールデンウィークでっす。

人混みが苦手なので、大型連休は
フツーに仕事か家でゆっくりする派の引きこもり組です。。。

 

 

さて。
腰が痛いな、とか、
肩が痛いな、とか、
頭痛いなとか。

 

一般にからだのどこかが痛いとき
原因は何だろうと考えると思います。

 

年だからかなとか。
何か変な動きしたかなとか。
内臓がよくないのかなとか。

 

原因を自分のからだの機能の中で
見出そうとすると思います。

 

確かにからだの機能の問題ではあるんだけど。

 

根本の原因は本当にからだの機能なのか?
ということ。

 

 

もしかしたら、その原因は
からだ以外のところにあるのかもしれない。

 

心だったり、魂だったり、
オーラだったり、精神だったりにあるのかもしれない。

 

ひと昔前よりは、
目に見えないものの価値などに
目を向けるようになってきたとはいえ、

まだまだ、目に見えないものは
無いものとされがちのように感じる。

 

 

からだと心はつながっていて、
お互いに関係し合っているよ。
と言われてもさ、

 

うーん。
心とかって目に見えないじゃん。

 

オーラ??魂???

そんなこといわれてもねぇ。

だって、からだ痛いんだもん。

 

気の持ちようとかそういうこと?

 

そんな風に
感じる方もいらっしゃるでしょう。

 

でも。
ちょっと今までの自分を振り返ってみると
目に見えなくても
心とからだってつながってるってこと。

 

実は多くの人が体験しているはずなんだ。

 

例えば
お腹がしくしく痛いとき、

 

家族とか友だちとかが
何でもないことで、笑わせてきて、
気づいたらお腹痛いのなくなってたとか。

 

例えば
パートナーのあるひと言が気掛かりで
心配事が膨らんで、ドキドキバクバク動悸が激しくなったり、
胸がキュウっと締め付けられそうなとき、

 

その発言の真意が分かったり、心配事がなくなったら、
ドキドキも胸の締め付けもなくなってたとか。

 

心とからだのつながりの体験とは
そういう日常の中にじつはいっぱいある。

 

ほんの少し、自分の心に気を配ってみると
気づくことがあるかもしれないってこと。

 

からだ以外に目を向けるというのは
これは別にからだを否定しているわけじゃない。

 

 

からだの痛みに対して、
心が関係しているということに気づく。

 

そして、それを「受け容れる」ことが大切だと思う。

 

話は聞いたことある(気づく)。では不十分。
そうなんだと、腑に落ちるところまで行ったら
やっと、「受け容れた」ということ。

 

どうしても、人間は視覚に大きく頼ってしまう。
見えるものを過信してしまう。

 

本当に知るべきところが見落とされがちなんだ。

 

昔から心身一如ということばがあるように
心とからだは不可分なもの。

 

からだの痛みが心の不調を招きやすくさせるし、
また、その心の不調がからだの痛みをさらに悪化させやすくする。

 

負のスパイラル。

 

からだの痛みが思うようによくならないときには
心に注目してみるのもよいのかも。

 

 

 

 

今、自分に見えてる世界だけがこの世界なんだろうか。

 

電車で隣に座っている見知らぬ人と
あなたの見ている世界は

 

本当に全く同じものなんだろうか。

 

見えないものは無いものなんだろうか。

 

視覚だけが全てじゃない。
もっと言えば、感覚は五感だけじゃないかもしれない。
もっともっと言えば、人間の感覚がすべてでもない。

 

人間が測り知れないことを野生の動物や植物たちは知っている。
いや、野性の動物だけでなく
人間と一緒に生活している動物だって
人間の知覚できない多くを教えてくれるんだ。

 

人間の感覚を超えた先にも世界は続く。

 

確率論でいっても
目に見えないものが存在する可能性の方が高いのに、
見える見えないだけで判断する方がナンセンスぽいぞ。

 

世界は未知だらけなんだ。
自分の人生の道も未知だらけ。

 

きっと知らないを認めると、どんどん世界が広がるんだ。
すると、自分の人生も、もっともっとおもしろくなるんだろう。

 

 

 

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