こんにちは tete laです。

 

10月の頭くらいに私のご先祖の百回忌の法要行いました。

 

百回忌なんてなかなかないですよねあんぐり

 

 

 

今年はわたしの祖母の三回忌だったのですが、

そのとき、父がお寺でたまたま目に入ったものがあり

気になって近づくと、父の知っているご先祖さまの名前があったそう。

 

その父の知るご先祖のお母さんにあたる方の没後100年目だと記されていたのだとか。

 

 

父は、どうしたものかと。。

そのお寺さんのご住職に尋ねたところ、

「その節目の年に当たったのも何かのご縁でしょう。

 ご自身のために、なさりなさい」

と助言されたため、百回忌の法要を行うことにしたそうです。

 

 

わたしのひいひいひいひいおばあちゃんにあたる方の法要。

家族だけで、簡素にいたしました。

家族皆でお経のお勤めを行った後、

家々のご位牌が段状に祀られているお部屋に通していただきました。

大きな空間に何百、何千ともあるご位牌。

 

空気がピシッとして荘厳な神聖な雰囲気に包まれていました。

 

その空間を歩いていると

ああ、この名前も顔も知らない誰か一人でも欠けても

わたしは今こうしてここにいることはないんだなぁと。

 

すとんと腑に落ちたのです。

 

言葉では何十回も何百回も聞いたことあるフレーズ。

ありふれた聞き古したことば。

ご先祖の誰がかけても私は生まれてこないってやつ。

 

それ、多分今まで私はちゃんと理解していなかったんだわ。

それが、自分の深いところで理解したというか。

 

 

ああ、ありがとう。ただただありがとうと思ったんです。

この世界の全てにありがとうを言いたくなりました。

 

あの気持ちを言葉にするととても陳腐で臭ーく聞こえるんだけど。

すごく暖かかくて満ち満ちた感覚でした。

とてもとても感慨深いものでした。

 

 

そして、ご住職の言いたかったことを

なんとなく私なりに解釈できた気がしました。

 

「自身のために」とは「全体のために」ってことなんだろうな。

 

 あなた(わたし)と全体とは同一のものなんだと。