捨てられるところまで含めて玩具の役割。だが……
今ここでこれを読んでいる諸君にとって、ゾイドはいくらか特別な地位にあるのではないかと思う。他ならぬ私もゾイドには特別の形質があると見、愛してやまない。しかし、一歩引いて見ればただの玩具に過ぎない。たかが玩具なのである。
だが、たかが玩具にも立派な役割がある。子供に与えられ、遊ばれ、やがて飽きられ、場合によっては壊されることで、その心の成長に寄与することだ。捨てられることで玩具はその使命を全うするのである。
大きなお友達の場合でも、玩具に入れ込むという行為は「子供のやり直し」という意味合いがあると思われるため、本質的には子供のケースと変わらないのではないか。同志がゾイドを卒業していくのは寂しくもあるが、喜ぶべきことなのだろう。
ただ、飽き方、捨て方にも作法があるのではないか。そう思わされる一件があった。
昨日YouTubeで北のアニメを落としたついでに「ZOIDS」で検索してみた。最近は違法なアップにめっきり厳しくなったのでアニメなどのファイルは激減したものの、まだAMVやゲームのキャプチャー、あるいはオリジナルのムービーをアップしている者も存在する。
そんな中にあって、すっかりゾイドに飽きてしまったアメリカの少年がアップした動画があった。玩具を使ったごっこ遊びなのだが、内容が酷い。悪の組織に拉致監禁されたGIジョー(笑)を救出するため、イクス、ディバイソン、レッドホーンで編成された部隊が挑むのであるが、もう徹底的に蹂躙されてしまう。フルボッコ。ガンガンに叩きつけられて破壊されるイクス、ディバイソンはマシな方で、レッドホーンに至っては池に沈められた上、サルベージ後、バーナーであぶられるのだ。サマーボーイはかなり気分が悪くするであろうから、URLは貼らないでおく。
しかしまた、その時のクソガキの楽しそうなこと! なんか人として間違っている気がする。再度言うが、飽き方、捨て方にも作法があると思う。飽きる、捨てるということは、その存在との関わりで成長させてもらったということだ。自分のレベルが上がったために、対象物が必要でなくなったということだ。であれば、感謝があって然るべきではないか。女でも思想でも、何だってそうなのではないか。「ごちそうさまでした」も言えないのは嘆かわしい。捨て方はすべからく美しくあるべし。
――いつまでも卒業できないのもアレだが。