この記事 を書いたことで
自分が我慢しさえすれば・・・と
NOと言うことを、ものすごくこわがり
なんか申し訳ないな・・・と
断ることに罪悪感を抱いていた私が
本当に少しずつですが
自分の意思表示をすることは
相手にとっても、自分にとっても誠実な姿勢だよねと
心から納得したうえで、NOを言い
自分の気持ちや考えを相手に
伝えられるようになったのは
どうしてだろう?と
これまでのプロセスを
改めて、思い返しています。
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子供の頃から、いい大人になるまで、私は
自分の気持ちや要望を、人に言うことは
ワガママだと思っていました。
↑今、振り返ると、ワガママという言葉を
ものすごく極端に、拡大解釈していたとわかるのですが
当時の私は、本気でそう思っていました。
その、とてもキョーレツな思い込みに
疑問を感じるきっかけになったのは
「〇〇が欲しい」「〇〇したい」と
自分の気持ちや要望を、素直に口にする元夫に
出会って、結婚したことでした。
当時の私は
えーっ、こんなふうに言ってもいいんだ!
と、かなりなカルチャーショックを受けました。
そのとき初めて
それまでの自分が
自分の気持ちを他人に伝えることを
ほとんどしてこなかったことに、気付いたのでした。
だからと言って
何も考えていないわけではなく
何も感じていないわけでもないので
それを、いちばん身近な他人である元夫に
言葉で伝えられないことは
自分の気持ちや考えを伝える言葉を持たないことは
私にとって、とても苦しいことでした。
さらに、厄介なことに、自分の意思表示を
ほとんどしてこなかったためか
自分がどうしたいのか
相手に「何を」伝えたいのか、わかってほしいのか
という自分の意思そのものもよくわからない状態でした。
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その頃の私は、自分の気持ちを
言葉で伝えられない苦しさ
わかってもらえない苦しさ
そして
お互いの気持ちや考えを
わかりあえない苦しさに加え
自分の気持ちや要望を人に言うことはワガママだという
根深くて極端な価値観から
「伝えることに対する罪悪感」を
心の奥に抱え込んでいました。
自分の心にあるもやもやを
四苦八苦しながら、なんとか言葉にして
意を決して、元夫に伝えようとするたびに
心の奥では
「伝えることに対する罪悪感」が作動するので
「伝える」アクセルと「伝えてはいけない」ブレーキを
同時に踏み込む
「伝えること」に心のエネルギーを大量に消費する
ものすごく心の燃費が悪い状態に
なっていたのでした。
さらに、それに
元夫の「答え」に従い続ける苦しさもありました。
↑決して従順だったわけではなく
元夫にお願いされたことに生返事だけして
言われたことをやらないという、今思うと
かなり不誠実なことをしていました。
元夫が言うことに、なんか違うと感じたとしても
それを説明する言葉を持たないので
「伝えることはワガママだ」と思っているので
「〇〇は、■■なのが正しい、常識、普通」
「■■できないのは、間違ってる、非常識、普通じゃない」
そういった、元夫が言う、元夫の「答え」に
「私は◇◇だと思う」と
私の「答え」を、元夫に言葉で伝えられず
お互いの「答え」をすり合わせることもできず
納得できないもやもやを感じながら
元夫の「答え」に表面的に合わせることを
続けるしかなかったのでした。
言い方をかえると、私は
自分の中にある「答え」に目をつぶりフタをして
『元夫の「答え」に表面的に合わせる』というやり方で
自分の心に嘘をつき
自分自身をだまし続けてきたのでした。
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その自分の心につき続けてきた嘘に
否が応でも向き合わされたのが離婚でした。
私に対する愛情がもうないという
元夫の「答え」を、明確に示されて初めて
自分の「答え」を明らかにして
その「答え」に従って行動しなければ
自分の存在自体が危うくなることに
ようやく、気付いたのでした。
私にとって、相手に自分の意思表示をすることは
ものすごく抵抗を感じることでしたが
それをしないことには、自分を守れない
それだけはハッキリわかったので
意思表示することに対する
こわさや抵抗感、罪悪感といっしょに
行動するしかありませんでした。
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自分を守るために
法の専門家の手を借りて、準備を進め
これからすることの段取りをしていて
ホントにこれでいいのだろうか?
不安の大波に襲われると、当時の私は
自分の心に問いかけました。
自分の意思表示をするこわさと
いい人を演じて、いいようにされる苦しさと
どっちをとる?
確かにこわいけど、切ないけど
今までみたいに黙って我慢してたら
自分を守れないよ。どうする?
私にとって、究極の選択でした。
でも、その究極の選択を一つずつ
具体的な行動として、実行していったことで
自分の意思表示をする
自分の気持ちに正直に生きる
そのために必要な決意と覚悟を
自分の心に、少しずつ育てていったように思います。
自分の意思表示をせずに
納得できないもやもやを抱えたまま
相手に合わせ続けたらどうなるのか
身をもって、体験したことも
その決意と覚悟の支柱になっています。
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NOと言うことに抵抗やこわさを感じてしまう
つい、私さえ我慢すればいいやって
黙って我慢して、相手の言うことに従ってしまう
そんな方に、お伝えしたい
考えてみてほしいことがあります。
我慢して
納得できない気持ちにフタをして
自分の気持ちに嘘をついて
自分の中にある「答え」を探すことを放棄して
「他人の答え」に自分を合わせ続ける限り
その苦しさは、ずーっと続きます。
でも
毅然とNOを言う
相手に自分の気持ちを伝える
そのことに対するこわさや抵抗感、罪悪感は
「言葉にすること」
「言うこと」「伝えること」を続けるうちに
自分の中にある「答え」を言葉にできた納得感や
きちんと自分の意思表示ができた自信
お互いの立場や気持ちを、理解しあえた喜び
そういった
自分が心から大切にしたい「何か」に
いつか必ず変わります。
変わる可能性がほとんどない
「我慢する」を選び続けるのか
変わる可能性がある
「言葉にすること」「言うこと」「伝えること」を
選び直すのか
自分の心に問いかけてみて欲しいのです。
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自分の意思表示をする必要性を感じていても
NOということに、自分の気持ちや考えを伝えることに
こわさや抵抗を感じてしまう方に
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