この記事 を書いたことで


自分が我慢しさえすれば・・・と

NOと言うことを、ものすごくこわがり


なんか申し訳ないな・・・と

断ることに罪悪感を抱いていた私が


本当に少しずつですが


自分の意思表示をすることは
相手にとっても、自分にとっても誠実な姿勢だよねと
心から納得したうえで、NOを言い


自分の気持ちや考えを相手に
伝えられるようになったのは
どうしてだろう?と


これまでのプロセスを

改めて、思い返しています。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


子供の頃から、いい大人になるまで、私は
自分の気持ちや要望を、人に言うことは
ワガママだと思っていました。


↑今、振り返ると、ワガママという言葉を
ものすごく極端に、拡大解釈していたとわかるのですが
当時の私は、本気でそう思っていました。


その、とてもキョーレツな思い込みに
疑問を感じるきっかけになったのは


「〇〇が欲しい」「〇〇したい」と
自分の気持ちや要望を、素直に口にする元夫に
出会って、結婚したことでした。


当時の私は
えーっ、こんなふうに言ってもいいんだ!
と、かなりなカルチャーショックを受けました。


そのとき初めて


それまでの自分が
自分の気持ちを他人に伝えることを
ほとんどしてこなかったことに、気付いたのでした。


だからと言って
何も考えていないわけではなく
何も感じていないわけでもないので


それを、いちばん身近な他人である元夫に


言葉で伝えられないことは
自分の気持ちや考えを伝える言葉を持たないことは
私にとって、とても苦しいことでした。


さらに、厄介なことに、自分の意思表示を
ほとんどしてこなかったためか


自分がどうしたいのか
相手に「何を」伝えたいのか、わかってほしいのか
という自分の意思そのものもよくわからない状態でした。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


その頃の私は、自分の気持ちを

言葉で伝えられない苦しさ

わかってもらえない苦しさ


そして

お互いの気持ちや考えを
わかりあえない苦しさに加え


自分の気持ちや要望を人に言うことはワガママだという
根深くて極端な価値観から


「伝えることに対する罪悪感」
心の奥に抱え込んでいました。


自分の心にあるもやもやを
四苦八苦しながら、なんとか言葉にして
意を決して、元夫に伝えようとするたびに


心の奥では
「伝えることに対する罪悪感」が作動するので


「伝える」アクセルと「伝えてはいけない」ブレーキを
同時に踏み込む


「伝えること」に心のエネルギーを大量に消費する

ものすごく心の燃費が悪い状態に
なっていたのでした。


さらに、それに
元夫の「答え」に従い続ける苦しさもありました。

↑決して従順だったわけではなく
元夫にお願いされたことに生返事だけして

言われたことをやらないという、今思うと
かなり不誠実なことをしていました。


元夫が言うことに、なんか違うと感じたとしても

それを説明する言葉を持たないので
「伝えることはワガママだ」と思っているので


「〇〇は、■■なのが正しい、常識、普通」
「■■できないのは、間違ってる、非常識、普通じゃない」
そういった、元夫が言う、元夫の「答え」に


「私は◇◇だと思う」と
私の「答え」を、元夫に言葉で伝えられず
お互いの「答え」をすり合わせることもできず


納得できないもやもやを感じながら
元夫の「答え」に表面的に合わせることを
続けるしかなかったのでした。


言い方をかえると、私は


自分の中にある「答え」に目をつぶりフタをして
『元夫の「答え」に表面的に合わせる』というやり方で


自分の心に嘘をつき
自分自身をだまし続けてきたのでした。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


その自分の心につき続けてきた嘘に
否が応でも向き合わされたのが離婚でした。


私に対する愛情がもうないという

元夫の「答え」を、明確に示されて初めて


自分の「答え」を明らかにして

その「答え」に従って行動しなければ

自分の存在自体が危うくなることに


ようやく、気付いたのでした。


私にとって、相手に自分の意思表示をすることは
ものすごく抵抗を感じることでしたが


それをしないことには、自分を守れない
それだけはハッキリわかったので


意思表示することに対する
こわさや抵抗感、罪悪感といっしょに
行動するしかありませんでした。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


自分を守るために
法の専門家の手を借りて、準備を進め
これからすることの段取りをしていて


ホントにこれでいいのだろうか?
不安の大波に襲われると、当時の私は
自分の心に問いかけました。


自分の意思表示をするこわさと
いい人を演じて、いいようにされる苦しさと
どっちをとる?


確かにこわいけど、切ないけど
今までみたいに黙って我慢してたら
自分を守れないよ。どうする?


私にとって、究極の選択でした。


でも、その究極の選択を一つずつ
具体的な行動として、実行していったことで


自分の意思表示をする
自分の気持ちに正直に生きる

そのために必要な決意と覚悟を

自分の心に、少しずつ育てていったように思います。


自分の意思表示をせずに
納得できないもやもやを抱えたまま
相手に合わせ続けたらどうなるのか


身をもって、体験したことも
その決意と覚悟の支柱になっています。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


NOと言うことに抵抗やこわさを感じてしまう


つい、私さえ我慢すればいいやって

黙って我慢して、相手の言うことに従ってしまう


そんな方に、お伝えしたい

考えてみてほしいことがあります。


我慢して
納得できない気持ちにフタをして
自分の気持ちに嘘をついて
自分の中にある「答え」を探すことを放棄して


「他人の答え」に自分を合わせ続ける限り
その苦しさは、ずーっと続きます。


でも


毅然とNOを言う
相手に自分の気持ちを伝える
そのことに対するこわさや抵抗感、罪悪感は


「言葉にすること」
「言うこと」「伝えること」を続けるうちに


自分の中にある「答え」を言葉にできた納得感や
きちんと自分の意思表示ができた自信
お互いの立場や気持ちを、理解しあえた喜び


そういった
自分が心から大切にしたい「何か」に
いつか必ず変わります。


変わる可能性がほとんどない
「我慢する」を選び続けるのか


変わる可能性がある
「言葉にすること」「言うこと」「伝えること」を
選び直すのか


自分の心に問いかけてみて欲しいのです。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


自分の意思表示をする必要性を感じていても

NOということに、自分の気持ちや考えを伝えることに

こわさや抵抗を感じてしまう方に


このトークライブの遠隔参加をオススメします ↓↓↓

直接参加ではなく遠隔参加をオススメする理由はコチラ


遠隔参加ってなんだろう?と思われた方は

西山いずみさんと、齋藤ひろ子さんの記事を

お読みください。

そもそも遠隔参加ってなに?

本気で信頼するってことは&遠隔参加って?



だまされない人になるトークライブの詳細はコチラ

だまされない人になるトークライブのお申込みはコチラ