ちょっと質問。
もし友達数人の合同誕生会に招待され、親しさの度合いは多少違っても、全員友達または友達の友達で何年も知っている場合、通常プレゼントは全員分用意するんでしょうか?
そしてたとえばそのうち二人から過去にプレゼントを貰っていたら、やっぱり用意するべきですよね?
でもそうすると残りの一人にもあげないのはヘンですよね?親しくなくても。
贈り物って、自分が貰った物より安そうな物だったらマズイかなとか、気を遣ってしまうのは私だけでしょうか・・・
日本人的感覚ですが。
お中元やお歳暮の場合はそうみたいですね。
私は未婚なのでその経験はないですが。
昔昔、留学から一時帰国するたびにダイエーのお中元カウンターで働いていました。
毎年5人以上の人にお中元を贈っているお得意のお客さんは、送り先の住所リストが既にダイエーの方で郵送されているので、それを持ってお中元を選びに来ます。
そういうお客さんの中でよくいたのが、「この人にはこの5,000円のハム、こちらの人には10,000円の方ね。間違えたら大変だからくれぐれも気をつけてね。」と私たち店員に指示をしてくる人。
高い方の品を送る相手はきっと旦那の会社の社長さんなどで、安い方の品は部長さんまたは同僚などにでも贈るのでしょう。
相手が自分(または旦那)の出世にどれだけ関わってくるか、または普段世話になっている度合いや親しさによって品物に差を付けるのだなと思い、大人の世界の汚さみたいな物を知りました。
と言ってもすでに私は20歳ぐらいでしたが
汚さと言ったら語弊があるでしょうが、うまい世渡りの仕方とでも言うのでしょうか。
でもその時の私はまだ青かったので、「相手によって差をつけるなんて良くない。贈り物って気持ちじゃないんか?!」とあまりいい感じはしませんでした。
自分はそういう大人になりたくないとも思ったかもしれません。
でもそれが大人の世界なんですね。
特にお中元やお歳暮の習慣がある日本文化の中では、当たり前のことなのかも知れませんね。
それができない人は非常識と思われてしまうのかも。
じゃあお金がない人はどうすればいいのかな。
「贈り物は気持ちがこもっていればいい。値段じゃない。」と言う人もいますし、私も本来はそう思います。
でも、日本人の「本音と建前」というのがここにも見え隠れしていると思います。
過去の友人の誕生会などで他の人たちがブランドの化粧品などをプレゼントする中、仕事が安定せずお金のない私は、手作りのCD(一晩中掛けて、自分の好きな曲を色々と二枚のCDに入れました)と、決して高いとは言えない小物を買って一緒に渡したのですが、やっぱり他の人のプレゼントより劣るので引け目を感じましたし、相手の反応も薄かった気がします。
一応それなりに喜んでくれましたが、その後そのCDを聴いたとか聴かないとか感想は全く言っていなかったので、ちょっと寂しく思いました
その方は私の誕生日などには、小物でもブランド品をくれるきちっとした大人の女性なので、やっぱり貰うものもそれなりの品物でないと嬉しくないし、満足できないのかなと思いました。
やっぱり大人になるとそういうものなのでしょうか。
もしかして自分もそう思っているのかな。
自分が誰かにプレゼントをする時は、常に相手の反応を予測して相手が喜びそうな物を一生懸命選んでいるつもりですが(本当にお金がなかった時は、学校の課題で撮った白黒写真のプリントとか。自分で頑張って引き伸ばしたもの。)、やはり値段の高い物の方が心がこもっているような気がしてしまうのが人間心理でしょうか。
それとも日本人だけ?
もし友達数人の合同誕生会に招待され、親しさの度合いは多少違っても、全員友達または友達の友達で何年も知っている場合、通常プレゼントは全員分用意するんでしょうか?
そしてたとえばそのうち二人から過去にプレゼントを貰っていたら、やっぱり用意するべきですよね?
でもそうすると残りの一人にもあげないのはヘンですよね?親しくなくても。
贈り物って、自分が貰った物より安そうな物だったらマズイかなとか、気を遣ってしまうのは私だけでしょうか・・・
日本人的感覚ですが。
お中元やお歳暮の場合はそうみたいですね。
私は未婚なのでその経験はないですが。
昔昔、留学から一時帰国するたびにダイエーのお中元カウンターで働いていました。
毎年5人以上の人にお中元を贈っているお得意のお客さんは、送り先の住所リストが既にダイエーの方で郵送されているので、それを持ってお中元を選びに来ます。
そういうお客さんの中でよくいたのが、「この人にはこの5,000円のハム、こちらの人には10,000円の方ね。間違えたら大変だからくれぐれも気をつけてね。」と私たち店員に指示をしてくる人。
高い方の品を送る相手はきっと旦那の会社の社長さんなどで、安い方の品は部長さんまたは同僚などにでも贈るのでしょう。
相手が自分(または旦那)の出世にどれだけ関わってくるか、または普段世話になっている度合いや親しさによって品物に差を付けるのだなと思い、大人の世界の汚さみたいな物を知りました。
と言ってもすでに私は20歳ぐらいでしたが
汚さと言ったら語弊があるでしょうが、うまい世渡りの仕方とでも言うのでしょうか。
でもその時の私はまだ青かったので、「相手によって差をつけるなんて良くない。贈り物って気持ちじゃないんか?!」とあまりいい感じはしませんでした。
自分はそういう大人になりたくないとも思ったかもしれません。
でもそれが大人の世界なんですね。
特にお中元やお歳暮の習慣がある日本文化の中では、当たり前のことなのかも知れませんね。
それができない人は非常識と思われてしまうのかも。
じゃあお金がない人はどうすればいいのかな。
「贈り物は気持ちがこもっていればいい。値段じゃない。」と言う人もいますし、私も本来はそう思います。
でも、日本人の「本音と建前」というのがここにも見え隠れしていると思います。
過去の友人の誕生会などで他の人たちがブランドの化粧品などをプレゼントする中、仕事が安定せずお金のない私は、手作りのCD(一晩中掛けて、自分の好きな曲を色々と二枚のCDに入れました)と、決して高いとは言えない小物を買って一緒に渡したのですが、やっぱり他の人のプレゼントより劣るので引け目を感じましたし、相手の反応も薄かった気がします。
一応それなりに喜んでくれましたが、その後そのCDを聴いたとか聴かないとか感想は全く言っていなかったので、ちょっと寂しく思いました
その方は私の誕生日などには、小物でもブランド品をくれるきちっとした大人の女性なので、やっぱり貰うものもそれなりの品物でないと嬉しくないし、満足できないのかなと思いました。
やっぱり大人になるとそういうものなのでしょうか。
もしかして自分もそう思っているのかな。
自分が誰かにプレゼントをする時は、常に相手の反応を予測して相手が喜びそうな物を一生懸命選んでいるつもりですが(本当にお金がなかった時は、学校の課題で撮った白黒写真のプリントとか。自分で頑張って引き伸ばしたもの。)、やはり値段の高い物の方が心がこもっているような気がしてしまうのが人間心理でしょうか。
それとも日本人だけ?