今年もあと数時間となりましたね。
書きたいことも沢山あるけれど
年末は頭をからっほに
身体を労ることを優先してすごしていました。
クリスマスを前にしたある日。
まっすぐ生きる姿がとても素敵な女性から
クリスマスプレゼントが届きました。
「れいかちゃんの発信、みずみずしくて大好きです。」
とお便りが添えてあって
すごくすごく嬉しかった。
正直でまっすぐで私も大好き。
またある時
広島で一度だけお会いした女性がインスタで
以前私が書いたブログのことと
彼女が感じたこと。
経験されたことと一緒に書かれていて
すごく嬉しくなりました。
雪の降る日の朝ような
凛として
静かで
背筋がすっと伸びるような。
インスタからお写真お借りしました。
彼女の丁寧に生きる姿もとても好き。
久しぶりにお会いした
熱くて優しい熊本の女性も
会社の会報誌に好きな言葉を書いているのですが
れいかさんが書かれていた言葉を
今度載せてもよいですか?
と、尋ねてくださって。
「れいかさんが伝えたいこととは
違うかもしれないけれど。」
というようなニュアンスで。
そんな風に丁寧に
汲み取ろうとしてくださったことが
とてもとても嬉しかった。
思いをのせて言葉を書くようになって
思うことは
読んでくれた人方たちは
一人ひとり違う視点で
同じ文章を読んでくれて
そこから感じ取ることも
思い出す出来事もそれぞれなんだな。
ということ。
私に伝えたい思いがあったとしても
言葉にして放った瞬間
私のものでなくなる感覚。
それぞれの
「私」というフィルターを通して
私の書いた言葉たちは
時に優しくなったり
時に苦くなったりしながら
誰かの人生に小さく存在していて
それを静かに自分のなかで咀嚼して
私に返してくれるという事実が
すごく嬉しくて。
そこからまた私の方へ
大切な気づきを貰えることが
すごく多いのです。
私はそんなそれぞれの方の話を聴くことが
とても嬉しくて楽しくて
クリスマスの贈り物みたいだ。
って、思っていたのだけど
それは近しい人からほど
ずっと直接聴かせてもらってきた。
気がつけばそれは
ずっとずっと続いているものだった。
それぞれの「私」という素材を通して産まれたもの。
「本当の気持ち」で向きあった関係は
きっとどこかで
誰かの心の琴線に触れたりして
思い出の一つとなり
何かの気づきの小さな種となり
ボールをパスし合うように
過去から未来から
私からあなたから
耐えることなく
ずーーっと注がれ続けているように思います。
今年も読んで下さってありがとうございました。
たくさんの祝福のパスを受け取りました。
私からもたくさんの祝福をお届けできますように。
来年もどうぞよろしくお願いします✨