ただいまノートの継続講座の真っ只中。
講座に出れなかった代わりにと
個別のプチセッションをしています。
その出来事にも意味があった事だと
そんな想いの欠片をみつける度に
心がじんわり温かくなります。
ここ一ヶ月ほどずーっと
大きな感情の波の中にいて
どうしようもない気持ちの中にいて
そこから真ん中に戻ってきて数週間
なかなか疲れが抜けずにいましたが
ようやく日常に戻ってきた感覚です。
こうちゃんの退院後も
しばらくは自宅安静だったので
お籠りが続くときは最近すぐお花を植えたくなる(笑)
窓から見える空の景色と
ベランダから見える草花に
どれだけ癒やされることか。
まず、こーちゃんの身体は今
検査が進むに連れて人体の不思議!!
状態になっています
まだ検査は続いていますが
今はとっても元気に過ごしています。
今回見つかった症状は
はじめは『歩けなくなるかもしれない。』
というものでした。
合間に40度〜42度の高熱が何度もでて
近くの病院→脊椎専門外来→大学病院
腰のホネの形成異常だと思っていたのに
検査が進むに連れて
『生死』というものに
向き合うような現実が目の前に現れた。
初めて神様に
ノートの中でめちゃくちゃに暴言を吐きました。
イヤだイヤだ怖い怖い
絶対にイヤ!!
無理無理!!
ぜっったいに
こんな現実望んだりしてない!!
めちゃくちゃに泣きました。
ひどく目が腫れた日が続いたと思う。
ただ今回のことは段階を踏んで
私の目の前に現れてくれました。
まずは歩けなくなったときに
一度受け入れたのです。
『歩けなくなること。』
その時に気づいたことは
歩けることが良い事で
歩けなくなることが悪い事だって
私めちゃくちゃ決めつけてる。
って事でした。
それに気づいた後
病院であんまり車イスに乗るのが楽しそうだから
看護師さんたちも自由に操作して楽しむのを
時間をかけて待っててくれて。
それを見守ってる中で
本当にもうなんでもいいなと思った。
どっちでもいいなって心底思えた。
この子はきっと車イスに乗るようになったとしたら、その人生を目一杯楽しむんだろう。
そう声をかけたら
『そうだね!何が楽しいかは俺が決める!』
そう答えたのをきいて
ガツンと頭を殴られたような気がした。
歩ける人生のほうが楽しくて
歩けない人生はそうじゃないって
そんなふうにジャッジしてた。
決めつけていた気持ちに気づいた。
障害とよばれる何かがあるなしで
人生の良し悪しが決まる訳が無いよ。
そう思うのなら
決めつけているのは私だ。
わかっていたはずなのに
勝手にジャッジしてるとこがあったのかと思ったら
自分のことが心底嫌になった。
やめようって思った。
車イスに乗るなら車イスの人生が
そこから始まる。
きっとそこには私がまだ見たことがない沢山の喜びがある。
生きていてくれる。
それだけでいいなぁ。
そこで一旦落ち着いてからの
痛みと高熱に
神様どうして??って
検査が進むにつれて思うようになります。
長くなるので続きます