立春が過ぎ

厳しい寒さの中にも

春の伊吹を感じます。




大きなバイパス沿いに植えてある
山茶花がもう、木がピンク!!
もちの木も赤い身がたわわでした。



コロナウィルスの影響で

我が家でも何度か学級閉鎖を経験しました。




おこもりが続きましたが

どこかに出かけなくても見つけなくても
そこらじゅうに散らばっている
冬の終わりの景色たち。






家の中にいる時間が長くなり
どうしてもゲームやテレビ
YouTubeの時間が長くなって。



と、お子さんの事を心配するお声を
よく聴きますが



確かに。
いやいや、確かに!!
親である私がそうなっています(笑)





私は子どもたちにゲームやYouTubeなどへの
時間の制限を特に作っていません。
 


色々な発達によくない。
と、聞きますし
きっとそうなのだろう。
そうだろうと思うのですが



私が制限をかけて
それを見張る事にエネルギーを注ぐ程
恐ろしい事だとは今は感じていないからです。



お友達の畑に遊びに行ってひたすら石を掘る!!



制限がないとずーーっとやってそう!!
と思われるかもしれないけれど



『毎日の生活の中ですること。』とやんわり決めてる事はあり



◎毎日の宿題
◎タブレットでの学習
◎学校の準備もろもろ
◎家のお手伝い(ひなが洗濯物をたたみなおしてくれて、こーちゃんがお風呂掃除。)
◎お風呂
だいたいこれ位。



この毎日のルーティンは
私が仕事から帰って来るときには
ほとんど終わっています。



このルールも全部
自分たちで決めたこと。



全ては私にガミガミ言われず
心地よく好きなことをしたいから(笑)
かもしれないけれど

 

二人で遊びたいときはそれぞれのお手伝いを
勝手に協力してするし
YouTubeでお風呂の洗い方も研究したりして。




ご褒美的に
これをやったらいいよ👌
というゲームやYouTubeに
してみたこともありましたが
 


目的が『ゲームをするために!!』
になってしまって
目の前のことは
「いかに早くこなすか」に、なってしまう。



大切にして欲しいことが
おざなりになると感じていて
やってみて私がすごく心地悪かった。



だから子ども達に聞きました。
子ども達と私の事だから。
「このままだとママはこう感じて気持ち悪い。2人はどう感じてる?? 
じゃあどうしたらいいかなー?」と。



そうして二人が話し合い
今の形になったけれど
平日は学校があるので
実はそんなにゲームをする時間は
とれません(笑)



けれど制限されている
我慢しているという感覚もないみたい。

   

そしてやっぱり外遊びの方が大好きだ!



こーちゃんは
目も重度の遠視で生まれてきていて
2歳位でわかったときは
「ほとんど何もみえてなかったと思う。」と
眼科の先生に言われたのですが




しかし今のところ矯正のおかげで
視力もぐんぐん回復してきています。
人の身体って
医療や技術って本当に素晴らしい。
ありがたい。



化学肥料や農薬を与えず、雑草を肥やしとしてるんですって。すごいー!!

 

こんな時代に生まれたから
こんな時代を経験して
不自由だ。
可哀想だ。と聞くけれど
 


それは『何』と比べて??
それは『誰』と比べて??
と、聞いてみると不思議です。


私たちの子ども時代にはなかった経験だけど
この子たちの生きてる時代では
当たり前に在る経験になっている。



こーちゃんなんてもうすぐ
人生の半分がコロナ渦といわれる
時代に生きている。





今の子ども達の経験する『退屈』は
昔の子ども達は
体験しなかったものかもしれない。



両親が忙しい時でも
いつも側には話相手の 
おじいちゃんやおばあちゃん
ご近所の誰かがいて
外に出ては友達と走り回って
疲れ果てて眠る。



そんな環境を今この社会で
私たちは日常の中で
与えてあげられるんだろうか??



それが出来れば
いいよね。
自然とあたりまえに触れあうこと
土に触れていることは
とても大切な事だと私も思う。
すごく豊かな経験だと思う。
そんな経験をさせてあげたいと思う。




けれど私には今その環境を
日々与えてあげることはできなくて



だからこそ日々の
『退屈』を
『喜び』に
変えてくれる存在に
感謝がいっぱい溢れてきます。



退屈だと余計なこといっぱい考えるよね(笑)



世の中には沢山のいいもの
悪いものがあって
沢山の善悪がある。



だから見失いそうになるけれど
誰かにとっての善は
誰かにとっての悪になったりする。



知覧の特攻平和会館で私が感じた事と
ハワイのパールハーバーに行って
私の肌で感じた事。



薬が善か悪かも話し出すと
水道水は悪に汚染された水にもなるし
豊かな暮らしをもたらしている善意の水になり



環境汚染を話し出すと 
人類の繁栄こそが
地球にとってとっての悪か善か。
なんて。



壮大な話になるけれど
私には答えはわからない。



きっとどちらが正解ではなくて 
『どう見たいか』だと思うから。



私にとってのゲームやYouTubeやテレビは
手術後の子どもたちの
痛みを和らげてくれるものだったし



日常的な長い病院の待ち時間を
静かに楽しく過ごせる
魔法の道具たちだった。
今だってそうだ。



だから私は悪者として使いたくない。
そんなふうに使ってほしくないと思った。






私たちは一人一人が
違う価値観を持っていていいし



同じように
子どもたち一人一人が
違う考えを持っていていい。
違う考えを持っていて欲しいなと思う。



そして『善悪』で争うのではなく
『わかり合うため』に
言葉を尽くして欲しいと思う。



いつか大切な人がこの子達にもできるから。
そんな時に



「たった一つの思想」だけで
「譲れない何か」だけで争うことがないように



『わかり合うため』のお喋りを
一緒にお稽古しようね。






混沌とした時代に生まれたからこそ
こんなにも情報に
溢れる時代に生まれたからこそ



肌で感じる。
肌で感じられることを
信じられるように生きてほしい。




私は怖くて渡れなかったよ(笑)いいじゃないか。


何が正しいかわからないから
何を選べばいいかわからないから
自分のことを知ればいい。



誰かがこう言うからとか
皆がこうしたからとか
そうじゃなくて



自分が何を感じているかを
いつも自分に聞いて欲しい。





私の肌で感じて
私の頭で考えて
私の目で見て
私の耳で聞いて



自分自身で選んで
自分自身で決めるの。



私には子ども達の可能性は計れない。



子どもを「私」がコントロールしたら
私の想像できる価値観の中までしか
大きくなれない。
羽ばたいていけない。



誰かの想像する世界の中で生きることが
どんなに窮屈な世界なのかを



私達大人はきっと味わった事がある。
きっと知っている。





だから自分で選べるように。
選んだ先に何があっても 
経験の1つだと味わい尽くせるように。



それを「あのね…」って
話してくれる小さなうちは



嬉しくて胸が弾んだことも
喧嘩してすごく腹がたったことも
何もできない自分に悔しくて
涙が溢れたことも



うんうん。
そうだったんだね。
そう感じたんだね。
それを選んだんだね。
ママはこう思ったよ。って



うるさいなぁ。
もういい加減にしてよって言うことも
きっと沢山あるけれど



いっぱい話をしようと思っています🌸
私と話をするみたいに。



目つぶってるけれどもね✨



熊本市内での対面でのノート会
2月15日(火)  13:00~(満席)
につき追加開催します。
2月28日(月)  13:00~
蔓延防止中につき限定3名様   5000円

こちらはグループセッション形式です。
お一人お一人のお話から実際にノートを書いて潜っていきます。
初めての方もお気軽にどうぞ✨


オンラインのノート会は
2月25日(金)21:30~
こちらは最近の気付きをシェアしあいながら
お話を伺っています。
私も毎回たくさんの気付きを頂いています✨



⭐個人セッションは3月から受付いたします。



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