前回の最後の方でお伝えしたのは、
 
 
才能というものは、必ずしも人生の初期からいきなり発揮されるわけではない、ということ。
 
 
つい「才能」って聞くと、子供の頃とかわりと若いうちから芽が出るもの、
 
かつ、何か一つに優れた特別なもの、って思っちゃいませんか?
 
 
例えば、
 
ちょっと前に話題になりましたけど、分数ものさし考えた男の子とか、
 
探偵!ナイトスクープで見たんですが小学2年生なのに複雑な回路の図面を描いて電子部品でいろんなもの作っちゃう男の子とか、
 
平均より遅い年齢から始めたのに、みるみる才能を発揮したバレエダンサーとか。
 
 
こんなふうに、
 
小さい頃やわりと若いうちから芽が出るものをいわゆる「才能」だと思いがちかもしれませんが、
 
 
 
鑑定経験上思うのは、
 
ほとんどの人は、
 
「人生のわりと途中」
 
イコール、
 
「まあまあ年齢」になってから、
 
自分の才能、つまり本当にやりたいことや、面白いと思えることに気づいていくようです。
 
 
それは、
 
 
今まで経験してきたことやすでにやっていることの中にヒントがある場合や、
 
逆にまったく関心を持ったことがないものだったり、
 
むしろ向いてないと思って目を向けてないことだったり、
 
これまで生きてきて出会ったこともない、知らない何かだったり。
 
 
本当に、多種多様です。
 
 
 
もう少し言えば、「才能に気づく」というのは、
 
最初に挙げた3つのケースだったり、
 
 
例えばですけど、
 
たまたまのきっかけでタロットを習い、そこからのめり込んでプロになる、
 
みたいな特殊?なものだけではなくて。
 
 
好きな事や面白いと思える何かに出会ったり(しかも、特別な一つだけ、というわけでもなく)、
 
もっと広い意味で言えば、自分の性格に合った生き方や働き方が分かっていくことも、「才能に気づく」ことだと捉えています。
 
 
 
そんなふうに、
 
人生の物語をある程度進んでから、
 
自分の「何か」に気づいていく、出会っていくことが多いんですが。
 
 
 
でもそれらは、手相を読むと、
 
手のひらのいろんな情報から、
 
「それ」「それら」に向いている、
 
と連想できるものなんですね。
 
 
 
するとやはり、
 
「生まれつき向いている何か」
 
「それ(や、それら)に関わったりやるために生まれてきたようなもの」
 
というのが誰しもにある、ということなんです。
 
 
そして、
 
必ずしも人生の最初から出会う、気づく、発揮される、わけでもない。
 
 
 
「そこ」に至るまでの人生があって、
 
その経緯があったからこそ、
 
才能に出会い始めて以降の人生により幸せを感じられたり、
 
 
たとえばそれまでにやってきたり経験してきたいろんな要素が、
 
それ以降の人生につながったり、役にたったり。
 
 
中には、「それまで」と「それ以降」が「ほぼ無関係」の場合もあります。
 
 
 
 
というわけで、やっとですがまとめると、
 
成功法則本にありがちな、
 
「私に特別な才能があったらからではありません」
 
というのは、手相観の見解としては違うと思っていて、
 
 
人には誰しも、
 
「自分の人生を自分らしく幸せに生きていくための才能」
 
があり、
 
それは何かのスペシャリストになったり派手に稼ぐようなケースだけでもなく、
 
かつ、
 
人生のいつごろから気づいたり芽が出たりするかは人によって違う、ということ。
 
 
 
これが、自分が手相鑑定というものをやっていて、大事に考えている部分であり、
 
声を大にしてお伝えしたいことです。