【10月の予約状況(東京)】


24(火)17時○

25(水)17時○

26(木)◎

27(金)15時○





言葉には温度がある


「ごめんなさいよりありがとうを」コレは僕も好きな考え方なのですが


今日初めていった素敵な町中華のお母さんが

しきりに「ごめんなさい」という


しかし悲壮感はない可愛らしいごめんなさいだ


「お待たせしてごめんなさいね」

「今いっぱいなんですごめんなさいね」


並んでるお客さんもその体温の感じる「ごめんなさい」に包まれてる気がした


食べてるお客さんも食器下げたり自然と手伝いたくなる


そして店を出る時は大きな声で『ありがとうございました!』


いや本当に勉強になりました。


文章にするとあたりまえの事なのですが


ソレをどれだけの深さでどんな温度で体験したんだろうか?


そんな視点と想像力を持つ人達ほど何かをとことん積み重ねてたり


シンプルに本をよく読む人とよく接する人達が多い気がする


俗に言う人柄という物が磨かれ徳みたいな物に昇華されていくのは経験値と感性による吸収力の差かも知れない


僕も少しは本読もう。


ゲッターズ飯田さんの占いなんかでもそうですが根本は良い人生送ってもらう為の助言なので、そう思って受け止めりゃ矛盾した部分を探して喜ぶような輩にゃならないし


まして占いの「せい」にする人は生まれないと思う


本当は本質は言葉でも文字でもないから


重箱の隅をつついて揚げ足とり正義を主張し悪目立ちでも数があれば勝ち!みたいな寂しい世界で必要なのは


たぶん平たく表現するなら体温があるかとそれを感じれるかなんだろなぁ。