昨日咲いた薔薇です。


今回は長ーいです。




昔話は面白いですね。

人と動物が普通に喋ったり、道具まで喋ったり、淡々とコワいことが進んだり。

淡々と、というのが昔話の特徴かもしれません。

今読んでいるのは、バルカン半島に伝わる昔話集です。

ブルガリアの昔話にあった「兄と弟」。

これは、むむー!と考えさせられました。

あらすじを、、



昔々、仲の良い兄弟がいました。
兄は畑仕事、弟は羊の世話をしていました。
父親は常々、兄弟仲良くと言っていました。

ある日父親がしにました。

兄は畑仕事、弟は羊の世話をして兄弟で協力してながは暮らしていました。

兄弟だけになると兄は畑仕事も羊の世話も弟に押し付け、自分は農園の主人となりました。
それでも弟にはなんの不満もありませんでした。小さい時からとても兄を慕っていたからです。
兄は裕福になり嫁にもらい、次第に働くことを忘れ、贅沢な日々を送るようになりました。

弟は変わらず働きづめでした。

ある日、兄弟の仲の良さをひがみ仲違いさせてやろうと企んだ1人の村人が弟に近づきました。




さて!ここで問題です。

この村人は何をしたと思いますか?



少しお考えくださいね!














答えは!










村人は弟に近づき、こう言いました。





おまえさんとお兄さんは本当の兄弟なのかい?

とても本当の兄弟とは思えないね。

だって、あまりにも暮らしぶりが違う。

お兄さんはあんなに贅沢している。
それに比べて、おまえさんは仕事ばっかりしているじゃないか。

本当の兄弟なら、こころよくおまえさんと仕事を代わってくれる筈だ。

家に帰ったらそうたのんでみたらいい。




弟は、自分たちは本当の兄弟だ、なんて酷いことを言うんだと憤りました。

でも、言われたことで、心に突き刺さるような痛みが残り、疼きだしました。

たしかに兄さんはこの頃威張りすぎる。もしかするとほんとうの兄弟ではないのかもしれない。

翌日弟は兄に不満を伝えました。
仕事を代わってもらうことを兄は承諾しました。

しかし兄は急に弟のことが腹立たしくなりました。
今までなんでも言うことを聞いてくれていた弟にそんなことを言われて面白くなく、憎らしくなりました。

そして、嫁さんに弟の食事に毒を盛るよう指示します。
しないと、おまえのいのちがない、と。


そして兄嫁は、自分にはそんなことはできない、どうなるか神様に委ねることにします。

食事の席についた弟が、兄が帰るまで食べずに待とうといい、兄嫁は、弟はこんなに優しいのにと情けなくなり泣き出します。

どうしたんだい、姉さん?
実はかくかくしかじか、、、

そうなったら一体兄はどんな反応をするだろうと、一芝居打つことにします。

一方、狩に出ていた兄。
手負いのワシがこんな命乞いをします。

ああ、兄弟が生きていれば、こんな目には合わなかった、、と。

かつてワシには兄弟がいました。
ある日打たれてしんでしまいました。

それ以来、一羽となった自分は、こんなふうに危険な目に容易く巻き込まれるようになってしまった、、と。

兄はハッとして飛ぶように家に帰ります。

家に帰ると、死装束を身に纏った弟の姿が!

なんてことをしたんだ!と嫁を怒鳴る兄。

いやいや待て待て、そうしろと言ったのは兄さんじゃないか!と弟起き上がる。

おまえ!生きていたのか!

ひしぃぃっっ!!熱い抱擁。

兄は自分のしたことを詫びました。




それからというもの、兄弟は仕事を協力してやりながら、仲良く暮らしました。

最後の一文。


もう、どんな悪魔のささやきも、ふたりの気持ちを、二度と引き裂くことはできませんでした。







私は最後の一文に考えさせられました。

現代、こういう不満、苦しみ悲しみ憎しみ落胆はあちらこちらにあると思います。

公平
平等
みんなに等しく

という概念は素敵と思いますが、同時に

不公平
不平等
格差

という概念がシーソーの端と端のように必ずついてくるのではないかな。



私はきょうだいが多くて、ジュースのボトルを買うと計量カップで平等になるよう人数分分けていました。

でも、それは、平等なようで平等じゃない。
かと言って、好きなだけ、飲みたいだけ、と言ったら相手は子ども、ボトルは何本必要ですか?になります。

聖書にも、ありますよね。

葡萄園の主人の話 

放蕩息子が帰ってくる話

どちらも、不公平だ、という気持ちから頑張ってた方が不満を言います。

私は、葡萄園の話の、朝から葡萄園で働いていて不満を言う人の気持ちも、放蕩息子の話に出てくる、ずっと家で真面目に家業を手伝ってきた兄の気持ちもわかります。


でも


でも



悪魔の言葉 、か。



たしかに、そんな考えをしないほうが、自分が楽です。


人と自分を比べないこと。


これも、それなんですね。



悪魔の言葉があって雨降って地固まったところもあります。

現実には雨が降っただけでお開き、、なこともありますが、、。



比べることはしない、それはこんなカタチでも出てくる。



それを人に伝えることも、余計なお世話で、かえって伝えられた人が苦しむキッカケになってしまう。

これは結構やっていると思います。 
大変だね、おつかれさま、と悪意無く言うけど、そっか私大変なことしてるか!気がつかなかった!を引き起こすキッカケになるのかなあ、、、

知ることは悩みの始まりか。

この昔話の村人は、仲違いをさせようという悪意があったから、発端が違いますよね。 悪意を持って言われたら嫌な気持ちになりますよね。

大変なこと、しんどいことは、人によって違いますしね。



あまり頭で考えず、

比べず、


これやりたいなあということをしていこう。


以下追記/

この話を友達に、どう思う?と聞くと


昔話にありがちな、説教物語だと。

なるほどー、説教ね!

兄が酷いって思うのは普通だよね、と。
そーだよねー!と私。

これは、どちらか酷いことをしても、許してやって仲良くしろ、という、親が面倒だから子どもに刷り込ませようとした、親が作ったお説教か。
そう思うと見方が変わります。

娘にも読み聞かせました。
どう思う?と聞いたら、兄ひどいな!と。


私も、改めて読んで

仲を引き裂こうとした村人が、もしも、仲を裂くための嘘を言っていたら、悪いなと思うけれど、事実を言っているだけだよなあ、と。

本当の兄弟でも全然違うことは当たり前にあること。
本当の兄弟じゃないんでは?というか囁きを持って、悪魔の囁きとしているとして、でもあなたと兄はそう思うくらい全然違うね、と言っているだけで、そんなに悪いかな?

やはり、なにがあっても面倒だからとにかく許してやれ、と無理くり言いくるめるのに利用されてきた昔話かな、と思うようになった今、です笑。

兄が改心する際に 

お父さんが言っていた、兄弟仲良くするとはこういうことだったのか

と言うんですけど、、、


いやいや、あんたが仕事は全部弟に押し付けて自分は遊ぶようになったことを反省しろ、問題はそこからきてるだろ!

と思いましたね。

私も、すぐ、書き手の心に添って読むから、いいように説き伏せられるな、と自分の癖に気がつきました。
わりと、日常でも、話し手の心に添って聞くので、いいように説き伏せられているな、注意しよう。
心がモヤモヤする時は、我慢してるよ!というサインですね。

いい発見をしました。