「英語、好きじゃない」
息子がそうつぶやきました。
「おおっ、そうかそうか。それは極めて正常な反応やな」
「ホンマ?」
「ホンマや。覚えてるか?小3とか小4のとき、漢字とか語彙を徹底してやってた頃」
「うん」
「あれ、ほぼ呪いやったやろ。魔王に呪文を覚えさせられてるみたいな顔で、ノートに殴り書きしてたやん」
「…たしかに」
「でも、6年になったら“国語の時間かぁ、癒される”みたいな顔してたで」
「あるな」
「だから大丈夫や。今はまだ、呪いの途中や」
そもそも、英単語を覚えるのが好きな人なんているのでしょうか。
いたら、少なくとも私とは少し違う回路で動いている人だと思います。
(もちろん、そういう人が世の中を支えているのだとは思います)
「国語が好き」とか「英語が好き」という言い方に、少し違和感があります。
算数(数学)が好き、というのはわかります。
でも、国語や英語はどうでしょうか。
漢字を書き続けるのが楽しい。
英単語を覚えるのが好き。
いるのかもしれませんが、少なくとも私は違いますし、我が子もどうやら違うようです。
むしろ、いたら一度じっくり話を聞いてみたいです。 どうやったらそこまで到達するのか、純粋に知りたい。
もちろん、本を読むのが好きとか、文章が面白いというのはよくわかります。
でもそれは「内容」が好きなのであって、「作業」が好きなわけではないはずです。
そう考えると、「国語が好き」「英語が好き」という言い方は、かなりいろいろなものをまとめている気がします。
雑に言えば、「まあ嫌いじゃない」という状態を、少しきれいに言い換えているだけなのかもしれません。
うちの子どもも、国語で漢字や語彙をやっていた時期は、はっきり嫌がっていました。
やりたいとは言いませんし、むしろ見事に避けます。
人はここまで自然に課題を回避できるのか、と少し感心したくらいです。
ただ、ある程度できるようになってからは、そういうことは言わなくなりました。
好きとも言わないし、嫌いとも言わない。
ただ、淡々とやる。
この「淡々とやる」に辿り着くまでが、一番長かった気がします。
この経験から思うのは、「好き」という感情は、最初からあるものではないのかもしれない、ということです。
好きだからやる、というよりは、
できるようになる
→ 嫌じゃなくなる
→ なんとなく続く
→ 気づけば「まあ好きかも」になる
そんな順番の方が、現実的な気がします。
「好きだからやる」というのは、少し綺麗すぎる気もします。
だいたいは、やっているうちに、あとから「好きっぽくなる」だけだと思います。
少なくとも、現実はそんなに親切ではありません。
一方、最近は、「無理にやらせない」「楽しく学ぶ」という言葉をよく目にします。
それはとても大切だと思いますし、できれば私だってそうしたいです。
ただ、「好きにさせるために負荷をかけない」という方向になると、少し迷います。
ある程度「できる」状態に届かないと、
面白さを感じる場所に立てないのではないか、という気がするからです。
プールで例えるなら、水に入る前に「泳ぐの楽しいよ」と言われても、あまりピンときません。
まずは入ってみないと、冷たいのか温かいのかもわかりません。
(できればぬるめであってほしいとは思いますが)
そう考えると、英語についても、最初にある程度やるしかないのではないかと思っています。
なので、うちでは英単語や熟語をまとめてやってもらっています。
正直に言えば、楽しい作業ではないと思います。
多分、私も、同じことをやれと言われたら、かなりの確率で途中で消えたくなります。いや、たぶん消えます。
それでも、「わかる」「読める」が少しずつ増えていかないと、
その先にある面白さには辿り着けないのではないか、と感じています。
もちろん、このやり方が誰にでも合うとは思っていません。
誤解を恐れずに言えば、息子は語学については比較的理解が早い方だと感じています。
だからこそ、ある程度やり込めば、そのまま「できる」に繋がりやすいのではないか、という見立てもあります。
「好きだからやる」のか、
それとも「できるから好きになる」のか。
どちらが正しいのかはわかりませんが、
少なくとも我が家では、
「好きにさせる」よりも、
「好きになれる地点までどう近づくか」を考えることの方が多い気がします。
「英語が好きじゃない」と言われたときに、
どうすれば好きになるか、というより、
どうすれば少しでも「わかる」に近づけるかを考える。
その方が、遠回りのようで、結果的には近道なのかもしれません。
ちなみに、我が家はまだ英検も何も持っていません。
英語を始めてから、まだ一か月も経っていない、完全な初心者です。
なので、この分野で結果を出しているわけでもありませんし、
偉そうなことを言える立場でもありません。
どちらかといえば、かなり下の方から、
たぶん床に近い位置から、そっと申し上げている感じです。
もしかすると、今はまだ、呪いの途中なのかもしれません。
ただ、ほとんどのことは、最初はそんなものなのだと私は長い人生で実感しています。