その中には伝統工芸士や人間国宝も含まれるんですが、
毎日のように竹と接していて、竹を仕事にしてる全部の業種に対して、いわゆるプロ中のプロであっても、材料として使われる山に自生している分については竹が何年経っているものなのかハッキリ分かる人はいないよーです(¯―¯٥)
年輪がなく、わずか60日で10mを超えるまで成長する竹はその生態について謎が多く、年を重ねると共に材質が固くなるらしーのですが、やはり他の植物と比較しても異なる点が多くて...。
資料で残ってる分では、室町時代から歴史があるという別府竹細工は県の伝統工芸品に認定されています。ただ過去の水害で資料が流され、詳しいものはほとんど残っていないという謎だらけ...。(¯―¯٥)
昭和初期に産まれたすでに亡くなられた人間国宝であっても祖父の世代から代々引き継がれて来たって語られてるぐらいで、起源不明ながらもお家独特の編み方があるなど、認知度が低い割に歴史、技法も様々。
竹の生態と同じぐらい陽炎のような文化があり、不思議な魅力を感じてしまいます(;^_^A
安価で加工しやすいプラスチック製品によってその産業は廃れ、竹林も放置され、何だかその実態を知ってしまって悲しい気持ちになってしまいました。( ノД`)
自分なりにですが、やはり戦後から、そういった事も含め日本らしさがなくなっていったんじゃないかなぁ~?と思い、特に教育については学問を深めるという事よりも、他と競争して勝つ事ばかりがシステムの中に投影されているように見えて、息苦しい社会を自分達で作り上げてしまっているように感じてしまいます。
元はと言えば、正解という解答の捉え方も、「過去の事例でそういった現象が規則的に複数回起こる」という事なのに、実際社会で使わない事をたくさん習い、それを覚えて他の人より数多く正解する事で人より抜きん出て、楽して高収入を得るという、学問という概念を完全に逸脱しています(¯―¯٥)
竹細工を学ぶ中、技術というのは人間の持つポテンシャルを活かす為の徹底した反復練習だという事を実感しています。
目で分からない0.5mmの竹の厚みを指先でつまんで10人中10人が分かるようになって来ています。(¯―¯٥)
過去の偉人は早い内から師に教えを請い、その才能を苦悩する中で開花させて行っていました。
そー思うと34年間もったいなかったなぁ~と、ダメと分かっていても、どーしても思ってしまいます。( ノД`)
まぁ、何が正解かなんてどこまで自分で考えても分からんし、そこを突き詰めて行くのも無駄なエネルギーを使う事なので、毎日を大事にして行こ~と思うのでした(;^_^A


