発酵や健康食、添加物の及ぼす悪影響。
精神面の向上が完治への道と熟知しており、社会にそれを呼びかけ、健康相談を受け続けている彼でさえ、いや、そーゆー彼だからこその試練なのかもしれないのですが、「自分がおかしいのか?」となってしまう程、病気になってしまう人達の闇は深く、昨今では若年層に増え続けているとの事でした。
彼も自分も思う所なんですが、そーゆー人達程与えられた役目が大きく、親子さんの場合もそれは同等だと思います。
症状が出たり和らいだり、苦しいのは充分分かります。しかしそこを乗り越えられないのは生への覚悟や死と向き合う事が足りないんだと最近特にそう思います。
外的要因に原因を定める事は簡単です。
他はそれを誘導してくるし、それが正解だと決めつければその通りにすればいいだけだから何も考えなくていい。社会の基本通り、自分の人生を消費して行けばいいだけだから...。
しかし、過去にそれが解決出来ない歴史は素直に事実を見れば分かるだろうと思うところ...。
恐らくそれは違うだろうと勘づいていても、ブレてしまって初志貫徹出来ない。
遠回しに死にたいの?聞くとそうでもなさそう。
生きたいの?と聞くとそれもそうではなさそう。
もちろん本人すらその問いかけに反射的に自分の中の正解を答えてるだけのような気がして、
何がしたいのか分からないという本来の自分の意志がない事が根本の原因ではないのかな?という気がします。
それをどうにかしてあげたい!とは思うものの、
それは自分の傲りなのかな?と躊躇してしまう事もあるし、ましてやベクトルを自分に向けられていない段階の人にはそういう事を話す気にもなれない。
例えそうでなかったとしてもそれらの核は自分で決める事なので、本当にいい向き合い方が出来てる人とは、話していても気持ちがいい。
腹を据えた覚悟が出来れば、その覚悟が深ければ深い程、物事は嘘のように好転して行きます。これは自分だけではないという事は色んな人の体験を通して言える事だと思います。
と、まぁ自分の病気に対して振り返るキッカケがあって記事を書いてみるか!って気になったので、1番の肝はこれかな?って所でした。
健康食や精神面、排毒やリバウンド。
代替医療や運動等。多分自分が知らないいい物は探せばたーくさんあると思います。
が、それに興味がある自分で居続けなけりゃーなーんにもなりゃーしねーのかな?って気がします。
信者もいいけど、飽きたら辞めればいい。
そーしなきゃいけない!って考え自体が刷り込みなのかもしれないし。
自分を知るって事が簡単なようで1番難しい事なのかもしれないなぁ~と思っています。